おかみブログ

2013年3月31日

石の似合う、栗の町 小布施

黒姫高原のログペンションであたたかい夜を過ごしたあくる日は、またまた肌寒い曇りの日。
でもなんとか雨は持ちそうなので、帰りがけに小布施町に行くことにしました。
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2013年3月30日

ナウマンゾウと小林一茶のふるさと

恐竜大好きなMooのために、古生物つながりで、日本に生息していた古生物を見せてあげようと思ったのが、春休みの家族旅行のきっかけでした。
比較的近場で、でもちょっと八ヶ岳とは違うところ。
ナウマンゾウ博物館のある信濃町野尻湖畔です。
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まだまだ寒々しい湖の様子。
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ここで発掘が行われます。 なんか、背中で語ってるぞ。
ナウマンゾウは日本のあちこちで化石が発掘されていますが、
市民の手で長く発掘作業が行われている野尻湖が有名。
原始の時代の人間にとっては大切な食料であると同時に衣服や道具をつくる材料でもありました。
ナウマンゾウの名は日本でゾウの研究に従事していたドイツ人の「ナウマン」氏に由来して。
そうかー、日本らしい名前じゃなくてちょっと残念な気も。
野尻湖周辺もまだ雪が残っていました。
雪かきをして積み上げられたところがアスレチックみたいでおもしろいらしく、子供たちは泥だらけの雪山によじのぼります。
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ゾウと人間をモチーフにした鉄アートがなかなかおしゃれ。
黒姫山を背景に、写真を撮ってみました。
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湖を一周ドライブし、黒姫山を望むベストスポットで記念撮影。
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さて、ナウマンゾウ博物館が思いのほか早く見終わってしまったので、
宿に行く前にもうひとつ見学を、と
小林一茶記念館に行きました。
一茶についての知識は、数編の俳句以外ほとんどなく、とても勉強になりました。
信濃町は小林一茶の生まれ育ったふるさとです。
今年は一茶生誕250年、誕生日は5月5日。
いつも以上に様々なイベントが、記念館では予定されています。
全国に一茶の句碑があることもわかりました。
ウチの近くにもあるかも。
また調べて、訪れてみたいです。
記念館の裏には集落共同墓地があり、そこに一茶の個人墓と小林家の代々墓もあります。
一茶のお墓棹石がとても長いもの。そのまま俳句を一行で彫れそうな感じでした。
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一茶さん、ありがとう。
信濃町の春はまだ先。
黒姫高原はスキーシーズンの最終段階です。
お泊りはその高原エリアのログハウスペンションを取りました。
八ヶ岳にいるとログハウスをよく目にするのですが、自分が寝泊りすることはほとんどありません。
たまに行くと木の重厚感がめずらしく、山小屋のあたたかみが感じられて、すてきです。
今回は黒姫でその感覚を味わうことにしました。
ログペンション「セシルクラブ」。
しっかり、丸太ログ。
私たちが泊まった一番大きな部屋はロフトがあり、上の子2人はそこが大のお気に入り。
そして、何より嬉しかったのは、お食事のおいしさ。
家庭的ですが、とても上品でいいお味のフレンチでした。
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雪に囲まれた黒姫高原の夜は更けてゆく・・・。

2013年3月21日

春のお彼岸によせて

今年の春のお彼岸。
17日が彼岸の入りでしたが、ちょうど週末だったので16日からお墓参りの人が増えだしました。
土日はとてもいいお天気。
あんなに雪が降って寒かった今年の冬が信じられないくらい、暖かくて、花のつぼみも一気に膨らみました。
また今日は太陽が真西に沈む日。
だからお彼岸は西方浄土にいらっしゃる仏様をおもう日とされています。
今日から少しずつ日が長くなります。
草木もどんどん芽生え、花がほころび、水が湧き出る。
「弥」=ますます 「生」=生い茂る 季節です。
お彼岸のことについて、「国民の祝日に関する法律」でちゃんとその意味を決められています。
春は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」、
秋は「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」。
日本ではこの日、わざわざ休みにして、季節と先祖のことを考える日にしているのです。
ここ八ヶ岳でも、16日からお彼岸ラッシュが始まり、今日ピークを迎えました。
午前中はいいお天気だったので、朝から墓地には車が連なり、駅から花束を持って歩く人々も続出。
まだまだ木々は緑になりませんが、お墓の前に新しい花々が供えられて、
里山の墓地は華やかににぎわいました。
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ふだん近くてもなかなかお参りにいけない我が家ですが、今日は合間をみはからってお墓参りへ。
まずまだ墓石のない我が家の墓地。先代親方が眠っています。
それから、町内の親戚の家の墓。昨年百歳でなくなった大叔母さんをお参り。
そして、やっと夕方近くになって本家のお墓。石屋の初代と二代目、そのおかみさん。
お墓参りにはお花とぼたもちは、私の中で欠かせませんが、
今日はシフォンケーキも。
お供えしたものを持ち帰っていただくとご利益があるというので、
あえて子供たちと一緒に食べたいものを買いました。
お参りの後は家族で買い物に行って久々のお食事。
こういうふうに、近くでもちょっとしたイベント性をもたせると、お墓参りがもっと楽しく、家族の思い出として残るんじゃないかな。
今日はお墓の守り主のお宅は訪ねる時間がなかったけど、本来は立ち寄ってお茶を飲んで、またそこでお菓子や果物をいただいて・・・なんてしてると子供たちも大喜び。
時々「こら、お行儀よくしなさい」なんて雷がとんできても、そ知らぬ顔で、ハイテンションで騒いでみたり。
秋のお彼岸は、ちゃんとそんな時間もとろう。
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2013年3月13日

津波石の夢

昨日、子供と一緒に早く寝たせいか、今日は3時に目が覚めました。
夜型の私にはめずらしいことです。
眠りが浅かったのか、夢を見ていました。
津波に襲われた村の人が「てんでんこ」に高台に逃げている様子。
震災の日を迎え、当時の映像や思い出話を報道していたからかもしれません。
ここ八ヶ岳は、さすがに津波は来ないはずなので、自分のこととして、というより、そういう報道の映像が脳裏に浮かんだ感じでした。
夢の中で「津波石」が出てきました。
後世の人のため、津波がここまで到達した、ということを示す石です。
北杜市では地震発生時刻に町内放送で黙祷が呼びかけられましたが、普段はすっかり平常の生活。
そんな、平和ボケした私に、何かの啓示だったのでしょうか。
全優石(全国優良石材店の会)の震災復興プロジェクトとして「津波記憶石の建立」事業があります。
せめてそれを紹介することで、いつ起こるかわからない大災害を頭の片隅に置いていかねば、と思いました。
http://www.tsunami-kioku.jp/
個人の方からの志や全国の加盟店などの寄付により、津波記憶石は平成24年7月現在で計25基建てられました。
石碑に刻まれた地元小中学生のメッセージで、ある少女のものが強く印象に残りました。
「100回逃げて、100回来なくても、101回目も必ず逃げて」
こんなブログを早朝にカタカタ打っていると、トコトコと足音が。
Kuhまで目が覚めてしまったのか、起きてきたみたいです。
でもまだ眠いらしく、ひざのうえで二度寝。
そういえば、地震発生のときはこの子と二人で自宅にいたなぁ。
まだ3ヶ月の赤ちゃんで、あわてて机の下にかくれたっけなぁ。
あわてて保育園に上の二人を迎えに行ったなぁ。
町全体が停電してたから、電話もつながらなくて、放送もなくて、信号も消えてて。
いつも訓練してた緊急連絡網も回らなかったけど、保護者が自主的に迎えに来てて、なんだか保育園は戦々恐々としてた。
私なりの「震災を忘れない」でした。