古い街道沿いにひっそりとたたずむ石仏のような金子家のお墓。
後ろには大きな桜の木、その先には南アルプスの稜線が見えます。
ここは水の里、全国の道百選でも知られる白州町台ケ原、龍福寺というお寺の裏山にある墓地の一画。
本碑も台座も花立もすべて八ヶ岳の地石。
「無」の一文字が自然のすべてを抱きかかえているような、安らぎを与えてくれます。
金子君子さんの亡き夫紀久雄さんは水墨画の作家でした。
百貨店の美術館担当、広告代理店という職場にいながら自らも作品づくりに魂をそそぎました。
定年後小淵沢に移住。白州町台ヶ原の金精軒ギャラリーで毎夏開催される「街道に集う作家」展に出品し続けました。
富士山や甲斐駒ケ岳の姿をダイナミックに力強く描いたその画風は見る人に躍動感と情熱を与えてくれます。
畳1~2帖分もの大きな作品が多く、台ケ原の龍福寺はじめ数々の寺に襖絵も寄進しています。
「山を描くことに心血を注いできた人でした。お酒が大好きでね、それで膵臓をやられちゃったんですけど。
いつもお酒片手に人懐こく笑ってました。亡くなったのは急でしたが、本人は幸せだったんじゃないでしょうか。
大好きな絵とお酒に囲まれて」
3回忌になる今年、君子さんはご縁のある龍福寺の墓地に自然石のお墓を建てることにしました。
「移住する前に住んでいた横浜にも墓地は用意してあったんですけど、
やっぱり好きで移住したここ(八ヶ岳)で眠らせてあげたいから」。
正面に彫った「無」の字は八ヶ岳で交流を深めた書家・塩野谷博山氏に提供してもらいました。
博山さん曰く「無とは何もないことであり、すべてあること。この世にあるものは仮の姿、目に見えないものこそ意味がある」。
「磨かれたピカピカのお石塔ではなく、素朴な自然石が好き」という君子さん。
「あるがままの姿に全てを備えた「無」の字を彫ることで、いろんなことを自然に受け入れていけそう。
お父さんがいつもここにいてくれるような気がします」