19号 2015年1月発行
今号の主なトピックスは
1.あいさつ〜スタッフの今年の抱負
2.終活カウンセラー上級資格をとりました
3.八ヶ岳に抱かれた自然石のお墓
4.馬のお医者・大木さんの語る「お墓は生きた証」
5.Q&A「石の産地」
6.石の町めぐり「イタリア世界遺産」
3と4がメインコンテンツ。
石をお墓にしてきた人類共通のスピリットが伝わってきます。
今までご縁があって住所がわかる方に郵送、または八ヶ岳のあちこちのお店に置かせていただいています。
郵送ご希望の方はメッセージなどでお知らせください。
対談・職人気質 -その道のプロにきく仕事へのこだわりと家族のつながりについて思うこと-
第10回 馬が生きた証を残したい 〜馬の臨床獣医師 大木道子さん〜
全日本女子学生選手権4年連続優勝(1971年〜1974年)、オリンピック強化ジュニアコーチなど、競技、指導ともに華々しい経歴を持つ一方、獣医師として馬の終末医療に心血をそそぐ。乗馬学校ハフリンガー・エクイン・アカデミー(北杜市高根町)代表。毎夏小淵沢町で開催されるホースショーでは演技者として出場すると同時にショー全体の解説も担当し、馬の魅力を伝える。「ハフリンガー」は山岳地帯に生息する馬の一種、「エクイン」はラテン語で「馬」を意味する。乗馬だけでなく馬事全般を知り馬と上手に付き合うための知識や技術を学ぶことを目的とする。
―どのような経緯で馬と出会い、関わってこられたのですか?
祖父が日本の競馬会の設立に尽力、父はJRAの職員、母も大正生まれながら乗馬の心得があったという、乗馬一家でした。小4から乗馬を始め馬術競技に出ていましたが、とにかく馬が好きで一緒にいたかった。深く馬の習性を知りたいと思って獣医になりました。30年ほど前に八ヶ岳に移り住み、2006年に前身の牧場を引き継いで当校を開設しました。
―馬とは人にとってどんな動物なのですか?
馬は群れの生き物で、人との相性もいいので、飼われることは馬にとって不自然なことではないんです。馬術は競技を通して正しい馬の乗り方を知ることが目的。それはつまり馬にとって安全で疲れにくいということです。馬はただの道具ではなく、命と個性ある生き物ですから、それぞれの特性をよく見てあげたい。私が馬乗りとして秀でているとすれば、どんな馬でもいいところを見つけてその良さを引き出したいという気持ちがあるところだと思います。扱いにくいとされる個性的な馬ほど魅力を感じますよ。
―どんな人が馬のオーナーになるのですか?富裕層というイメージがありますが。
馬のオーナーといっても特別な人は少なく、普通の人がたまたま何かの縁でその馬と出会ったケースが多いです。乗馬するために所有するのがふつうですが、乗馬すらできなくなるくらい年老いた馬を預かることもあります。最近感じているのは、自分の馬を最後まで面倒みようというオーナーさんが増えてきたことです。当校ではターミナルケア(終末医療)を大切にしていますから、それに信頼をよせてくださり、ご自身もできる限りいい最期を過ごさせてあげたいと協力してくれるのはとてもありがたいです。
―ターミナルケアで大切にしていることは何ですか?
人間と同じことだと思うのですが、その馬らしい晩年を過ごさせてあげたいと思っています。また、野生では苦しみが長く続くことはありえないから、なるべく痛み苦しみから遠ざけて、穏やかな最期を送らせてあげたい。でもいつも迷っていますよ。神様の領域だから。安楽死させることに慣れたりおごったりしてはいけないと思う。
―死んだ馬のための石碑をつくっていますが、どんな思いで?
馬は死んだら産業廃棄物扱いなんですよ。出会いや活躍にはスポットが当たるが、死は表に出ない。だから生きた証として石碑がほしいと思いました。私自身のことですが、25年つきあっていた馬と死に別れた経験があります。死んだ直後は泣けなくてむしろ看病が終わったことにほっとした気持ちもありました。でも石碑を受け取って帰る途中、もうすぐ四十九日だと思った瞬間、どっと涙が出てきたんです。ふしぎですよね。ただの石のはずなのに「確かにそこにいる」と思ったんです。肉体は処分されても、魂は残る。そんなことを実感できるのがお墓だと思います。


絵本の里として知られる北海道剣淵町を舞台にした映画「じんじん」。全国各地でこの映画が「スローシネマ」というスタイルで上映されています。北杜市内でもこの映画の上映会を開こうという取り組みがあり、今年7月に実行委員会が立ち上がりました。実行委員の代表の一人小池英幸さんに、その思いを聞きました。
北海道のある小さな町を舞台に絵本で町おこしした人たちのドラマ。家族の絆、人々のふれあい、大自然、農業体験、そして絵本のあたたかさなど、いろんなキーワードがからみあったすばらしい作品です。大きなレジャーランドではなく、そこにある自然そのものが観光資源になる、という点で八ヶ岳と通じる部分があるんですよ。
この映画は総務省後援であることから、他の町での上映では行政からのトップダウンであることも多く、北杜市でも実行委員会の前身の準備委員会の段階では市の議員さんや図書館の職員さんが中心でした。PTAや地域の民生委員さんにも加わってもらえば、という話もありましたが、進んでいくにつれて農業や観光、商工業など民間のもっといろんな立場の人々をまきこむのがいいという方向になりました。私も本業は商売ですしね。
映画の良さを伝えたいのはもちろんですけど、準備委員会で集まった時、ほとんどが知らない人たちだったんです。私は生粋の長坂町民ですし、他にもいろいろ役をやったりしていて自分では顔が広いつもりでいたんですが、それでもまだこんなに地元で新しい出会いがあったんだと思いました。新しい人たちと業種や立場をこえて一緒に何かを作るのがおもしろそう、と。町が元気になるっていうのはこういう出会いの集まりなんじゃないかと思います。
親子3代にわたる韮崎助産院の助産師。母・雨宮さんの厳しくも愛情のこもった指導に加え、娘・由紀さんのカイロプラクティックや整体の技術を取り入れた骨盤ケアを通して、自然で無理のない妊娠生活と分娩をサポートしている。産後の指導も充実。家庭的な雰囲気で、出産後も交流が続く人が多く、親子2代の分娩でお世話になったという例も少なくない。
雨:おなかの赤ちゃんはちゃんと聞こえてるだよ。「手をあげて」って言ったらちゃんとあげるもの(笑)。家族のみんなから愛されてる実感を赤ちゃんに与えてあげることが何より重要なの。だから自宅でもみんなで語りかけをしてあげてほしいね。
雨:毎月の検診はたっぷり時間をとりますよ。今の世の中、一人の妊婦を予定日まで管理して正常な分娩にもっていくのは、実は並大抵のことじゃない。その人の食生活、睡眠時間、働き方、それからほかの家族の生活のしかた、そういったことを検診のときに聞き出したり感じ取ったりしてるんだけど、夜中までパソコンしてたり、食事も不規則だったり少なかったりする人が多い。そういう実情はよく注意して面談しなければわからないでしょう。
今の日本は乳児死亡率が低いから、みんな出産をなめてる節があるけど、本当は自己管理がものすごく大切な一大事業だってことを妊婦さんも家族も認識しなきゃだめ。助産院では特に、自然に産む力をつけてもらいたいから。
小淵沢在住の国際山岳ガイド。八ヶ岳編笠山の山小屋「青年小屋」を運営。山梨県警とともに長く山岳救助活動にも携わり、現在は同署山岳救助隊長。日本山岳ガイド協会理事、八ヶ岳山岳ガイド協会会長、環境省自然公園指導員、北杜市観光協会理事などいくつもの重要な立場から、指導や講演も多い。信仰、環境、観光など様々な分野から登山の理解を深めともに行動してくれる、山のプロフェッショナル。
山岳ガイドは土日が中心です。お客様は初心者や女性、そして冬山に挑む上級者まで様々です。それぞれの人の目的やレベルに応じて安全な山登りをサポートすると同時に、山への畏敬の念や自然の多様性を感じてもらいたいという思いで案内しています。
日本では昔から山岳信仰があって、登山は修行の一環でしたからね。西洋の登山は約200年とまだ歴史が浅く、「制覇」することが目的ですが、日本では記録に残っている限りでも1400〜1500年の歴史があり、おそらく縄文の頃から生活の中で登山が行われていたと考えられています。私も「山は生き物であり、先生であり、神様」という思いで日々対面しています。「自然をどのように制御するか」をモットーとしてきた西洋人とちがって、自然に生かされていると感じてきた日本人には、DNAの中に自然への親しみと尊敬が組み込まれていると感じますね。だから私も山に失礼がないように、山に合わせた体力づくりや知識の習得を心がけています。
基本的に警察が単独ではできない遭難の場合に私が出動しますので、危険で難しい現場が多いです。残念ながら遺体にも遭遇します。何ヶ月も時間が経ってしまっているものもありますが、傷つけないよう細心の注意をはらいます。「骨一本も残すな」と他の隊員にも徹底し、お経を読んでケルン※を立て、遺体は丁寧にくるんでヘリの中に入れます。遺体は家族にとってかけがえのない「形」で、気持ちを整理するにも遺体があるのとないのとでは全然違いますから。
豆の味がしっかり味わえる大粒の納豆「こぶちさわ納豆」。
「手しごとや納豆」一番のこだわりは豆にあり。
第二のこだわりは炭火による発酵。炭を使うことで納豆の香りがよくなり、納豆菌の働きが活発になり、よりおいしい納豆になるというわけ。さらにコンピュータ制御された専用室で温度管理も徹底しています。
スタッフは代表・製造合わせて4人。いずれも地元の主婦のみなさんです。
㈱シミックバイオリサーチセンターの皆さん
慰霊碑建立の前にも毎年慰霊祭は行っていましたが、やはり形あるものが必要だろうと。動物実験を行う企業としては当然の事業だと思います。
社員はもちろんのこと、グループ本社の代表やグループ関連会社からの有志の寄付で建立しました。入魂慰霊祭ではグループ本社の代表も出席し、盛大に執り行うことができました。個人から募ることでより自分自身の仕事との意識を高められたと思います。
富士見町有賀畳商会4代目。高校卒業後、京都の老舗畳店に住み込み、畳技術や簿記を学ぶ専門学校に通いながら3年間修業。その後父の店に戻り、京都仕込みの伝統技術に加え最新設備も取り入れ家業を守っている。畳製作技能士1級(国家資格)と職業訓練指導員畳科の免許を持つ。
畳離れしてはいますが、うちには個人の方から張り替えの仕事もよくあります。代々の店という知名度と技術のおかげですね。お客様に直接説明ができる機会も多くて、材料や加工の違いをわかってもらえやすいので、やりがいも大きいですね。
先祖を一番意識するのは、祖父の残した仕事(畳)を見たときですね。作業してる姿は見たことがないんですが、畳を見ると祖父の仕事ぶりや職人としてのクセなんかも見えてきて、感慨深いです。子供に継がせたいか、といえば複雑ですね(笑)。でもこの仕事場に来るのは好きみたいです。掃除をしたらこづかいをやったりして、いい仕事とお金が直接つながる大事なものだということを伝えたいと思います。お墓参りも盆彼岸には必ず行きます。将来どんな職業につこうと、畳屋の子供であることは変わらないですからね。
家族でお墓参りに行くことの楽しさを伝える幼児向け絵本。
お墓参りをこれほど正面から描いた本はなかなかありません。
昔から親しんでいた我が家のような場所。それが、富士見町机集落にあるデイサービス施設「恵福の家」です。地元野菜を使った手作りの食事、ヤギ乳のケーキなどでおもてなし。庭には涼しげなせせらぎ、バラやハーブ、自然農で栽培する自家菜園が広がっていています。
農地付の一般住宅を介護サービス用に改造。車いす対応トイレや介護機能付き浴槽を新設しました。一軒家の小規模体制ならではのきめ細かさが魅力です。
地域のお年寄りが元気に笑える場を作りたいという夢をかなえるためケアマネージャー、介護福祉士の資格をとった小笠原耐子さん(右下)とオーナーの紘二さん(左)、スタッフの橋本さん(右上)。
薪ストーブ専門店を経営。輸入商品を中心に販売し、設置設計と施工を行う。30年前に横浜から移住。薪ストーブは山暮らしのあこがれ的存在としての時代を経て、現在はバイオマス燃料活用の暖房器具として必要とされる時代へ突入した。普及に伴い法的規制も厳しくなり、専門家としての役割がますます重要になっている。
旧大泉村の油川で23年前に始めて、高原道路ができる15年前に今の店を構えました。最近は設置業者も増えましたけど、気をつけてほしいのは安全面。壁からの距離や遮熱素材の使い方は、製品一つ一つで違うんです。緻密な計算と性格な施工が必要。知らないで設置して火災が出た例も多いんですよ。建築基準法でも年々厳しくなっています。やっぱり専門家に頼んでほしいです。
一級建築士。伝統道具や家具の店「もろずみ鉄木堂」を営み、書もたしなむ。富士見の名所を歩いて回る「おらが山里ネットワーク」の運営や、諏訪の新しい名産を販売するイベント「スワいち」富士見エリアの会場設計など、町おこしに貢献。富士見町の建築物や歴史、墨客についての研究もライフワークとして行っている。



ブリオン・ヴェガ。エントランスから見た二つの円の重なりはスカルパ生涯のモチーフ。参考文献:「建築と都市」1985年10月臨時増刊号「カルロ・スカルパ作品集」