お知らせ

2021年10月16日

お墓参りは天気になぁれ

なんともかわいらしい、てるてる坊主さん。
これがN家の新しいお墓です。

諏訪湖を一望する高台のお寺墓地の一角にあるN家のお墓。
お参りに来る人がみんな立ち止まって思わずにっこりしていきます。
「お参りに来るとき晴れてたほうが気持ちがいいでしょう?それでてるてる坊主はどうかな、と思い立ったんです」。
N家墓所には伝統的な形のお墓がすでにあり、母けいこさん(仮名)の伯父が守っていましたが、
直系の跡継ぎがなく、けいこさんと娘のゆうこさん(仮名)が引き継ぐことに。
せっかくならみんなに愛されるかわいいお墓にしたいと考え、作り直しすることにしました。
また、既存の墓石は亡愛犬の石像にリメイクし、自宅に置きます。

今年9月、てるてる墓が完成。息子のこじろうくん(仮名)とちょうど同じくらいの背丈です。
「息子はこれからどんどん大きくなるだろうけど、
お墓をつくったばかりのときはこれくらいの背丈だったんだよ、って何年たってもお墓で楽しく会話ができます。
ぎゅーってハグしたいすてきなお墓。家族そろって遊びに来れて、幸せな気持ちになれる、特別な場所になりました」。

今、てるてるさんと同じくらいの背丈のこじろうくん。成長が楽しみ。

6体の小てるたちもいろいろな表情でお出迎え。
 

伝統的なお墓はリメイクして愛犬の石像に。
 

2021年5月16日

清らかな気持ちで思いあう

新緑の美しい5月初め、小松家の墓地が生まれ変わりました。
新しく建てた横型の碑石の正面に刻まれたのは「翠親苑」という言葉。
「翠」は透きとおったみどり色を指し、清らかで純粋な輝きをイメージします。
「親」という字には縁あった者と我執を捨て相手に気持ちになって「親しむ」という想いが込められています。
そして「苑」は全ての人が平等な立場で集える庭園のこと。
「翠親苑」は新緑の季節に完成したお墓に、小松睦示さんが特別な想いを込めてつけた言葉なのです。
 
小松家では睦示さんの叔父にあたる故三郎さん夫妻のお墓を、親族七家で当番制で管理してきました。
三郎さん夫妻には直系の子孫がいなかったからです。
しかし代が替わるにつれ三郎さんのことを知らない親族も増え、それぞれの生活や守るべき自家の墓もある中で、三郎家のお墓の維持が難しくなってきました。
墓じまいをするなら埋葬されている遺骨の行き先も決めなければならず、睦示さんは三郎さんの遺骨を合葬や合同永代供養するのは忍びなかったそうです。
何年もかけての親族間での話し合いの末、分家でまだお墓のなかった睦示さんが自分のお墓として承継していくことでまとまりました。
「小松家には教員になった者も多く私もその一人ですが、教養人だった三郎叔父のことは尊敬しています。
その叔父のお墓と志を継ぎ、ここが一族の新しい集いの場になれば嬉しいです」。

美しいみどりの苑が親族みんなの集いの場になるよう願いをこめて。

「小松家之墓」と彫ってあった白い墓石を、三郎さん夫妻専用の供養塔としてリメイク。
  

2020年11月2日

あまねく幸せの場

父・周三さんの逝去をきっかけにお墓づくりを考えるようになった谷井さんご家族。
主として守っていく功さんの居住地小淵沢の地域の共同墓地に墓所を得ることができました。
家族みんなで集うのに十分な広さがある墓地です。

外周にを自然石をまわし、メインとなる碑石も自宅の庭にあった八ヶ岳の地石の中から形の良い一つを選びました。
そして、表には姉・京子さんの提案で、周三さんの一字をとって「周」の一文字を。
 
「とても努力家で、勉強家の人でした。昭和5年生まれ、若いころは戦争で残念な思いもしたと思います。
会社を定年まで勤めあげた後、18もの資格を取って、福祉施設で働いていました」
と周三さんの人柄を振り返る、母・麗子さん。
「周の字は田を囲んで食べ物がみんなの口にいきわたり、あまねく幸せになる、という意味をもつのだそうです。
家族への愛情がここに来ると実感できる気がします」。
家族みんなで周く幸せを分かち合う場ができました。

造り込みすぎない自然石のお墓は八ヶ岳ならでは。
劇的なデザインが神聖な空間をつくりだします。
 
 
「周」を古代文字で表現。田の下の口が笑っているよう。

 
「おじいちゃんにお礼を言ってから、お墓に納めようね」
納骨前の大切な時間です。

2020年9月20日

里山にかむながらの恵み

神道禊教の教えが息づく小淵沢の里山。
正しい神道型のお石塔にN家代々の安寧と繁栄を願います。

 
質の高い国内加工製品。

 
神道では八足台という供物台を使います。
建立年月は干支表記を併用しました。

2020年6月16日

心に優しいコスモスの花を

ご遺族の一人が書いた渾身の書「心」。
亡くなった奥様が好きだったというコスモスの花を咲かせて、
優しい気持ちがよみがえる、ご家族のふれあいの場になりました。
 

 

2020年9月16日

夫の遺したステンドグラスをあしらって

Mさんのご主人はステンドグラスの作家でした。
数多く遺った作品の中で、一番気に入っている椿のデザインのステンドグラスを
石碑の丸い窓部分にはめ込みました。
透き通った光が差し込む、明るい上品なお墓になりました。

2020年5月17日

これがお墓?!大絶賛のハートの形

小淵沢で30年来ペンションを経営する久保田さん夫妻。
その底抜けの明るさで、高原に癒しを求めて訪れる数々のお客様をもてなしてきました。
子育ても一段落、娘さんたちはそれぞれ所帯を持ち、これからますます二人で過ごす時間が大切になってくると感じるようになりました。

 元気なうちに自分たちの次の棲み処を作っておこうと浮かんだのがハート型のお墓です。
大胆にそのままの形を碑石に。
「この形を前にしたら悲しいこともふっとじゃいますね」と満面の笑み。
「娘たちに見せたら大絶賛。特に三女の夫がアメリカ人で『私たちも入りたい!!』ですって。
あの世くらい夫婦水入らずで、と思ってたのに(笑)」

夫婦のお墓は嬉しい誤算で家族みんなの集いの場になりそうです。

2019年9月16日

地域発展に力を尽くした父

信濃境駅前の小さな店から始まって、諏訪~北巨摩エリアに多い時は数店舗も経営する商売人だった故平出郁夫さん。
時流にのって思い切りよく業態を変えながら事業を発展させました。
そして、その柔軟さと気概で地域の発展のために尽した人でした。
また、資金を出すだけではなく、自ら構想を練り、企画することにも積極的な人で、
富士見町井戸尻遺跡そばの「井戸尻こども村」、小淵沢「矢の堂奉賛会」の三十三番観音事業の一貫で小淵沢IC前に建立した大観音像などはその代表的なものです。



  
「自分のことよりまず地域のことを考える人でした」と妻香代子さんは回想します。
お墓に対する考え方もしかりでした。
昭和35年に先祖のお墓を葛窪から信濃境に改葬しましたが、自らが入るための整備は生前には行いませんでした。

その代わり、父が昭和15年に建てた墓石を大切にし、それに見合うよう自分の死後に自然石で墓誌を建てて先祖を供養するよう伝え残していたのです。
息子さんたちはその遺志をしっかりと受け継ぎ、このたび郁夫さんの納骨にあたり父念願の墓誌建立と外柵改修にのりだしたのでした。

 
「お墓は先祖のために子が建てるもの。生きているうちのエネルギーは人のためにつかうもの。」
家族の信頼関係をも築き上げた郁夫さんの声が聞こえてくるようです。

2019年5月16日

お地蔵様に受け継がれた想い

甲斐駒ケ岳、八ヶ岳を一望する小高い共同墓地の南端区画にある小池家のお墓。
歴代の供養塔群の真ん中に、お地蔵様とみられる石仏が鎮座します。
「このお地蔵様がご本尊だと祖父から言われてきました。」と、一茂さん。
長い年月をかけた石独特の風合いと表情が、なんとも味わい深いです。

 
小池家は家系図によると治承年間(1177年頃)から34代続く家。
このたび母の13回忌に合わせ、父の50回忌が近いこともあり、お墓の改修を決めました。
「父が亡くなったのは私が高校生のとき。
祖父からは父の代わりとしていろいろなことを教えてもらいました。お墓のことも。
一番古い石塔はさざれ石という固くて風化しにくい石で、
小さなお地蔵がいくつもあるが、これは六地蔵のなごり…など。
そういうことを教わる中で、自然に自分がゆくゆく守っていくべきお墓なんだという意識がそだっていきました」。


 
祖父母と両親を送り、それぞれの先祖の立ち日には家族でお墓参りに行くのが小池家の習慣となりました。
「父と祖父の命日がある11月のお参りは景色もきれいで、楽しみです」と、妻の澄子さんも語ります。
取材の日は長男正通さんも休日。
ご家族でのお墓参りに同行させていただくことができました。
「お墓がきれいになってお参りしやすくなったから、このあとは楽ですね」と正通さん。

  
親子でお墓守りの了解がとれているご様子がとても自然でした。

2018年12月3日

名馬たちのやすらぎの場

養老馬、休養馬のための預託牧場が清里高原にあります。
富士山から南アルプスを大パノラマで眺める広々とした牧場です。

 
八ヶ岳の冷涼な気候が馬の暮らしにも合う、とオーナーの大橋さん。

 
厩舎の中は馬の足にやさしいクッション性の高いゴムシートを敷き詰め、あたたかいかんなくずのお布団も。窓は首からすっぽり顔を出せるよう馬の顔型の首だし窓を設けています。

その牧場の看板兼慰霊の石碑が建てられました。ちょうど蹄の形にも見える、ユニークなデザイン。
くっきりとした黒御影が青空の下の厩舎に映えています。