お知らせ

2017年9月15日

「無」を自然石に込めて

古い街道沿いにひっそりとたたずむ石仏のような金子家のお墓。
後ろには大きな桜の木、その先には南アルプスの稜線が見えます。
ここは水の里、全国の道百選でも知られる白州町台ケ原、龍福寺というお寺の裏山にある墓地の一画。
本碑も台座も花立もすべて八ヶ岳の地石。
「無」の一文字が自然のすべてを抱きかかえているような、安らぎを与えてくれます。
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金子君子さんの亡き夫紀久雄さんは水墨画の作家でした。
百貨店の美術館担当、広告代理店という職場にいながら自らも作品づくりに魂をそそぎました。
定年後小淵沢に移住。白州町台ヶ原の金精軒ギャラリーで毎夏開催される「街道に集う作家」展に出品し続けました。
富士山や甲斐駒ケ岳の姿をダイナミックに力強く描いたその画風は見る人に躍動感と情熱を与えてくれます。
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畳1~2帖分もの大きな作品が多く、台ケ原の龍福寺はじめ数々の寺に襖絵も寄進しています。
「山を描くことに心血を注いできた人でした。お酒が大好きでね、それで膵臓をやられちゃったんですけど。
いつもお酒片手に人懐こく笑ってました。亡くなったのは急でしたが、本人は幸せだったんじゃないでしょうか。
大好きな絵とお酒に囲まれて」
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 3回忌になる今年、君子さんはご縁のある龍福寺の墓地に自然石のお墓を建てることにしました。
「移住する前に住んでいた横浜にも墓地は用意してあったんですけど、
やっぱり好きで移住したここ(八ヶ岳)で眠らせてあげたいから」。

 
正面に彫った「無」の字は八ヶ岳で交流を深めた書家・塩野谷博山氏に提供してもらいました。
博山さん曰く「無とは何もないことであり、すべてあること。この世にあるものは仮の姿、目に見えないものこそ意味がある」。
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「磨かれたピカピカのお石塔ではなく、素朴な自然石が好き」という君子さん。
「あるがままの姿に全てを備えた「無」の字を彫ることで、いろんなことを自然に受け入れていけそう。
お父さんがいつもここにいてくれるような気がします」
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2017年3月30日

かわいい観音さまがお家を見守ります

代々の古いお石塔をきれいに並べ直すことになったK家。

(ビフォー)
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(アフター)
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このお墓にこれから入る人はもういないかもしれないけど
これまでのご先祖さまをちゃんと祀りたい、見守ってほしい、という願いを込めて
このたび代々墓として観音さまを建てることになりました。
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愛らしい表情の観音さま。
こんなお墓もアリです♡
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2017年2月26日

いつも誰かが訪れる場所へ

富士山のふもとに位置する冨士霊園に、一見ミニチュアの丘のように見える一画があります。自然石で囲まれたスペースの真ん中がこんもりとふくらみ、芝が生えています。後ろは自然石積みの石壁、近くの緑地帯からの木々の枝もさりげなく視界に入ってきます。これが一般社団法人「テラ」の運営するお墓、その名も「清風苑」。まさに自然の風や緑が感じられる一画です。
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「後ろの石積みはこの墓所を買う前からあったものですが、一目で気に入ってこの雰囲気を活かしたお墓にしたいと思いました。人工的な形じゃないほうがいい、むしろ自然石がぽんと一つ座っているような。そんな感覚がわかる石屋さんと一緒に作りたいと思いました」コンセプトのついてそう語るのはテラの代表理事・山下證善さん。浄土真宗慧光寺の住職でもあります。

「老・病・死」の過程の中で必要なコミュニティづくりを事業の柱とする(一社)テラ。地域在宅医療と連携した高齢者のシェアハウス運営や自分らしい葬儀の生前プロデュースなどがその代表的な例です。そしてこのたび宗派問わず縁のあった人がだれでも入れる、会員制の永代供養墓として「清風苑」が誕生しました。
「死は誰にでも訪れるもの。みんながお互いを思いやる気持ちを持ち、関係を深めることで、老・病・死の不安や恐怖が少しでも和らげればいいですよね。お墓にピクニックやお花見に行ったりもしたい。そういえば、この区画と出会ったのも、ピクニックがてら霊園を見学しているときでした(笑)。ここに来ればみんな温かい気持ちになれる、そんな場所にしたいです。そんな願いもあって、お墓にはあえて管理が必要な芝をはりました。『草が伸びてないかな、お花は枯れてないかな』そんな風にいつも誰かが気にかけて、お参りの足が絶えない場所。自分の身内だけじゃなく同じ思いでここに入った仲間の分もお参りしてあげられるような関係性を生きているうちからつくりたい」
 
10月。すがすがしい秋晴れの中、お墓の開眼式が行われました。集まったのは最初に「清風苑」に入ると決めた人10組。工事の最後の仕上げとして、みんなで順番に芝をはりました。「お墓づくりの一部に参加したという意識がめばえてきました。みんな口をそろえて『これで安心した』と言ってくれます。「いつも誰かが集う場所―清風苑」。四季を楽しむ会員みんなの憩いの場です。
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18年がかりの大事業 西茅野の躍進

JR中央線茅野駅から南へ1.5km、一級河川宮川に隣接する西茅野住宅地。
古くから天然寒天づくりや養蚕、稲作が盛んなこの地域は、一方で地域の中央を流れる麻浸川の氾濫がたびたび起こったり、茅野市街地へのアクセスが不便だったりして、土地整備が求められていました。
 
坂室バイパスの建設、麻浸川の改修、道路整備、公園づくりなどの事業が行われ、平成10年の着手から18年をかけてこのたびようやく完成したのです。
 
市街地へ出やすく、安全な住宅地に、多くの人が行き交い、子供たちの声が飛ぶ・・・。そんな西茅野がさらに躍進発展することを願って、記念碑が建立されました。

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碑石高さ2.3m、幅1.4m、石積みからの高さは3mにもなる立派な記念碑には、事業組合理事長五味政義氏はじめ、事業にかかわった多くの人と住民のみなさん、そして周辺地域の人々すべての想いを集約して、堂々と「躍進」の文字が刻まれています。

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2016年8月1日

戦後七十年平和への想い

平成27年は戦後70年の節目の年でした。
昨年から今年にかけて平和について考えさせられる機会が多いと感じます。
お墓づくりに平和への特別な想いをこめた人をご紹介します。

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14才で満州開拓少年義勇隊員、敗戦後シベリアへ抑留。飢えや病気で仲間を多数失うも、奇跡的にふるさとに帰ることができました。東京でそば屋を営業していた兄を手伝い、その後独立します。これが「10年独立の夢」をかかげて従業員を育てるそば屋チェーン「さか本」の始まりでした。茅野出身のかつ子さんと二人三脚で店と家庭をつくりあげ、まもなく開店結婚65周年を迎えます。

ふるさとを愛する守さんは両親への感謝の気持ちを忘れたことはありません。
今年、両親の眠るふるさと烏帽子のお墓の改修にのりだします。
そして両親への感謝と平和の幸せを想い、記念碑を墓地内に建てました。

改修前
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改修後
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改修前
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改修後
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記念碑には小さい頃から書がうまかった、と恩師が太鼓判をおした直筆の詩を彫り、両親の写真陶板を貼り付けています。
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92才になったさんの変わらない謙虚さとひたむきさは、働くとは何か、先祖を敬うとは何か、そしてそれが平和にどうつながるかを戦争を知らない世代の私たちに伝えてくれます。

末永い「和」の想い

二つの石が重なるようにして立つお墓。正面には大きな「和」の一文字が力強く刻まれています。
そのわきには年代を重ねた自然石供養塔、反対側にはこのお墓の歴史を記した顕彰碑があります。

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施主平田馨さんはテレビ局のプロデューサーとして活躍していましたが、番組制作の仕事で偶然、自らの家系について知ることとなりました。
平田家は桃山時代を起源とする刀剣金具師で、徳川幕府のお抱え工として、また維新後は世界的に評価の高い七宝技術を取り入れた勲章を作るという、格の高い職人家系だったのです。
「西洋好きでハイカラだった英語教師の両親からは先祖の功績について教わることがありませんでしたが、偶然文献で自らのルーツを知り、非常に誇らしく思いました。」

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「と同時に、その末裔として先祖の墓の管理をきちんとしておかなくては、という想いがつよくなっていきました。
妻に先立たれた私でしたが、縁あって山梨・小淵沢で再婚。暖かい家族に迎えられ、第二の人生をスタートすることができました。
他人なのに本当に心のやさしい人たちばかり・・・。
私の心は決まりました。
墓を八ヶ岳、南アルプスが望める風光明美な小淵沢へ移そうと。
再婚した妻もご主人に先立たれた人でした。
せっかくのご縁を大切に、このお墓を2つの家系が一緒になる場所の象徴として建てようと思ったのです。
新しい息子夫婦や孫たちも、みんなが賛成してくれました。」
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正面の『和』の字はその息子さんが書いたものです。
このたび亡くなったお父さんと早世した男の子のお骨も、このお墓に移すことになりました。
「娘たちにとっても、手を合わせる気持ちを表す場所ができて、ありがたく思っています」と息子さん。
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家族みんなが心安らかになれる場所。
二つの石の重なりは、二つの家系の融合のしるしでもあり、過去と未来のつながりの象徴でもあります。
「和」の心をもって強い絆がこれからも末永く続いていくことを願った両家のお墓です。
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2015年12月17日

自然石のもと大地へ還す

松林の間から富士山と南アルプスを拝む墓地に、どっしりとした自然石のお墓ができました。
「岩そのままの形で、できれば八ヶ岳の石がいい」強い思いを持ってお墓づくりにあたったKさん夫妻。
「本籍も富士見に移しました。自宅の近くにお墓を持て、本当の意味で終の棲家ができたと思います。」

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Kさん夫妻には若くしてこの世を去った息子さんがいました。
お墓を建てるにあたって、実家のお墓であずかってもらっていた息子さんの遺骨を自分たちのお墓へきちんと納めたいという思いもありました。

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「この地に住んでいて思うことがあります。それは、人が地域の一部となって暮らしているということ。この部落には神明社という神社がありますが、住民は自動的にそこの氏子なんです。個人の宗旨宗派とは関係なく、地域の慣習としてその神社にお参りする。山や川、森のすべてに神様がいる、と考える日本人の民族的なものが色濃く残っているんですね。私は今ストレスなく田畑をたがやして暮らしている。お墓もすぐ近くに持てた。今でこそ居住地の近くにお墓があるというのは全国的に少数派になりつつありますが、昔は当たり前のことでした。この地に根をおろして、何か大きなものに抱かれて守られている感じがします。」

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2014年8月12日

きれいに囲って、歩きやすく

土の状態だったお墓を、周りを囲ってきれいな墓所にしました。八ヶ岳は10年ほど前までは土葬も多く、それを前提として広い墓所が土の状態であるお墓が多いですが市内に火葬場ができてからは9割以上が火葬になりました。そこで、もう土葬をするスペースが必要なくなり、このような工事を希望される方が増えています。

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改装前

もともとあったお石塔は丁寧に洗浄して、金箔を入れ直します。

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お石塔の基礎はまだしっかりしていたので、今回は動かす必要はありませんでした。最初しっかりしておけば、こういう改修のときも余計なお金がかからずにすみます。後ろのツラは横のお宅に合わせて建っているお石塔ぎりぎりで仕上げました。墓地全体の通りもちゃんと考えます。

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高齢のお施主さんですが、これで草取りの心配が激減しました。

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2014年9月13日

一周忌は新しい外柵で

「かみさんの一周忌に合わせてお墓をきれいにしました。敷地内が土だったので、草の管理や泥はねがたいへんだったけど、これからはもっとお参りしやすくなります。厳しい納期も間に合わせてくれて、ありがとう」

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改装前

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改装後

畑やハウスに囲まれた、田園の中にある共同墓地。八ヶ岳や南アルプスの景色が雄大な里山です。20年ほど前に建てた当店でお墓は、いまでもしっかりくるわずに建っていましたので、一周忌にあたり墓石洗浄と外柵新設の工事を行いました。

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敷地境は長方形ではないので、角度もきれいに合わせます。

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明るくてお参りしやすいお墓になりました。

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2015年3月3日

立派な外柵、土葬部分を砂利に

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改修前

何代もつづき、古くからのお石塔もたくさんあるお宅です。

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もう土葬をすることは今後ないだろうとの判断で、敷地内をすべて砂利敷にして防草対策も兼ねます。まず石で囲う周りの部分に基礎を施します。

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囲われた内部の土を持ち出し、砕石で固めます。凍み上がるのを防ぐ意味もあります。

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外柵の据付。アンカーボルトと金具で留めます。地震にも強い方法です。

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台座の甲ピンが少しくるっていたので、一度取り外してきれいに洗い落とした後、また据付ます。

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防草対策として、厚手長耐久の防草シートを敷き、化粧砂利を敷きます。

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完成

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古いお石塔も簡易研磨のクリーニングを行い、見違えるようにきれいに。文字やお地蔵様の形もくっきり現れました。早世した人の個人のお墓も新設され、先祖を大切に思う気持ちのあふれたお墓となりました。

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