お知らせ

2014年8月12日

きれいに囲って、歩きやすく

土の状態だったお墓を、周りを囲ってきれいな墓所にしました。八ヶ岳は10年ほど前までは土葬も多く、それを前提として広い墓所が土の状態であるお墓が多いですが市内に火葬場ができてからは9割以上が火葬になりました。そこで、もう土葬をするスペースが必要なくなり、このような工事を希望される方が増えています。

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改装前

もともとあったお石塔は丁寧に洗浄して、金箔を入れ直します。

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お石塔の基礎はまだしっかりしていたので、今回は動かす必要はありませんでした。最初しっかりしておけば、こういう改修のときも余計なお金がかからずにすみます。後ろのツラは横のお宅に合わせて建っているお石塔ぎりぎりで仕上げました。墓地全体の通りもちゃんと考えます。

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高齢のお施主さんですが、これで草取りの心配が激減しました。

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2014年9月13日

一周忌は新しい外柵で

「かみさんの一周忌に合わせてお墓をきれいにしました。敷地内が土だったので、草の管理や泥はねがたいへんだったけど、これからはもっとお参りしやすくなります。厳しい納期も間に合わせてくれて、ありがとう」

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改装前

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改装後

畑やハウスに囲まれた、田園の中にある共同墓地。八ヶ岳や南アルプスの景色が雄大な里山です。20年ほど前に建てた当店でお墓は、いまでもしっかりくるわずに建っていましたので、一周忌にあたり墓石洗浄と外柵新設の工事を行いました。

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敷地境は長方形ではないので、角度もきれいに合わせます。

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明るくてお参りしやすいお墓になりました。

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2015年3月3日

立派な外柵、土葬部分を砂利に

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改修前

何代もつづき、古くからのお石塔もたくさんあるお宅です。

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もう土葬をすることは今後ないだろうとの判断で、敷地内をすべて砂利敷にして防草対策も兼ねます。まず石で囲う周りの部分に基礎を施します。

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囲われた内部の土を持ち出し、砕石で固めます。凍み上がるのを防ぐ意味もあります。

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外柵の据付。アンカーボルトと金具で留めます。地震にも強い方法です。

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台座の甲ピンが少しくるっていたので、一度取り外してきれいに洗い落とした後、また据付ます。

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防草対策として、厚手長耐久の防草シートを敷き、化粧砂利を敷きます。

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完成

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古いお石塔も簡易研磨のクリーニングを行い、見違えるようにきれいに。文字やお地蔵様の形もくっきり現れました。早世した人の個人のお墓も新設され、先祖を大切に思う気持ちのあふれたお墓となりました。

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2014年10月6日

八ヶ岳を背に、飾らない神道のお墓

地区の住民の半分以上が神道、という下久保集落。八ヶ岳を望む広い墓地に、神道の教義にのっとったお墓ができました。

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神道墓の特徴は、三種の神器のひとつ剣(つるぎ)を模した石塔。いわゆる和型石塔といっても、仏教式の形とはその由来が違います。神道では仏式で用いられがちな須弥壇を模した加工はなく、とてもすっきりしています。

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このお宅も、とにかく余計な飾りのない、とてもシンプルなもの。たくさんの家族が一度にお参りできる、開放的な設計にしました。

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2014年1月10日

すっきりと明るい、白い奧津城

「奧津城」というのは神道式で「墓」という意味です。(奧都城と書く場合もあります) 和型での神道式と仏式のお墓はあまり違いがないように見えますが、よく見ると寸法の比率などが微妙に違ったり、お参りのための付属品が違ったりしています。

これは、仏式のお墓が五輪塔を簡略化したものであるのに対し、神道式は三種の神器の剣を模したものであることから来ています。

小淵沢には神道式のお宅が多く、代々続くこのF家も明治以降は神道でした。伝統的な形のお墓にするなら、きちんと神道式にのっとった形にしましょう、とお話合いし、このようなお墓が完成しました。

高級な白御影を用い、すっきりと明るい奧津城が、青い空と甲斐駒をバックに建っています。

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開放感のある歩きやすい設計、代々の古い石塔も大切に並べなおしました。

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遠都祖代々祖等奧津城 とおつみおやよよおやたちのおくつき
と読みます。

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全体を納骨堂で上げ、かがまなくてもお参りしやすい設計です。

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神道の命名(みことな・亡くなったらいただくお名前)は長いので、霊誌(記録版)も縦長にします。

2015年9月22日

山々を一望、遠くの家族もここに集う

小高い丘の上からの山々の眺めが大変すばらしい公園墓地。東京と富士見の2地域での暮らしをされるTさんのご両親が眠るお墓ができました。

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のちのちの管理を考えるとお墓を持つことに消極的だったTさんのきょうだいでしたが、話し合ううち、できる範囲でいいから両親の供養はしようとみんなが考えるようになりました。そして、Tさんが別荘として通っていた富士見に公営墓地を求めたのです。東京から富士見はアクセスがよく、首都圏近郊に住む親族が集まりやすいのが決め手でした。

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山が好きだったという亡お父さん。「マチュピチュのよう」とお施主さんがジョークをいうほどの独特な地形の墓地に、清楚な白いお墓が建ちました。

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今の段階で唯一のお孫さんも、丁寧にお水をかけます。少しずつ無理なくこのお墓に対しての愛着を持っていってもらえるといいですね。

2014年6月14日

神道墓を大改造、夫婦専用の石塔も

先祖代々のお石塔がいくつも乗っている古い台座。お骨を壺のまま仮納めできるスペースはありましたが、このたび土に還れる造りになった新しい大納骨堂へと改修しました。

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改装前

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改装後

古いお石塔は高圧洗浄をかけてきれいにして、彫刻文字を読みやすく。元々先祖代々墓としてお祀りしていたお石塔は表面の文字を切り落として磨き直し、先代ご夫婦専用のお墓へと作り変えました。

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左側が先代ご夫婦専用墓

そして代々墓を新規で作りました。

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2014年11月22日

自然な感じでうちらしい、最高のお墓

八ヶ岳を一望する小高い田園の中にある墓地。その八ヶ岳の一部でもあるかのような、岩をそのまま墓石にしたのが宮沢家のお墓です。3回忌を迎えた文哉さんが眠っています。

「なるべく自然な感じのお墓にしたいんです。亡くなったお父さんも私たちも飾らないのが好きだから。」と妻の恵里子さん。そんな話の中で、文哉さんが生前気に入っていたという庭の石が使えないかという相談になりました。

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北関東のほうで取れた岩であるらしく、墓石で使う石種としては定番ではないものの、形や色に独特の味わいがあり、庭木になじんでいい具合に渋みもついてきていました。何よりどっしりとした雰囲気が文哉さんそのもの。「うれしい、これがお墓になるなんて。でもまさか自分が気に入って買った庭石が自分のお墓になるなんて思ってなかったでしょうね(笑)」

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碑石に埋め込まれた石板の「宮沢家」の書は長男文人さんが、拝石の「ありがとう」は恵里子さんが書きました。「べつに習字とか習ってたワケじゃないんだけど、書きたかったから」とお墓づくりにかかわった想いを文人さんは語ります。さらに長女里穂さんも加わって家族3人で般若心経の写経をお骨と一緒に納骨堂に納めました。

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文人さんはFacebookで開眼式の様子を投稿しています。「うちの家族らしい、本当に最高のお墓。俺とおかんと妹から親父にプレゼント。少しは親孝行できたかな。今日無事に3回忌が終わりました。」そして友人から多数のコメントが。「ステキなお墓!」「お父さん絶対喜んでるよ!」「今度パパさんに会いに行きます。」

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家族大好きな宮沢家のみなさん。お父さんに会いたくなったり、何か聞いてほしいことがあったりしたときに真っ先に訪れるのがお墓でした。これからはその語らいの場にステキなシンボルができ、ますます家族の絆が強まりそうです。

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2015年2月10日

山景色にバイオリンの音色が響く

艶やかな黒御影の石碑に、桜の花びらが吹き流れる様子とバイオリン。今にもその音色が聞こえてきそうな繊細な線画を半立体彫刻した墓石が、田園と山々の眺望が美しい地域共同墓地に立っています。大泉に定住していることがこの墓地の使用権を得られる条件のひとつ。そこにこのたび建墓を果たしたのは、東京から移住した石山さんご夫妻です。

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お施主さんの思いがこもった桜の花とバイオリンを半立体彫りしました。

お墓は実質ご自身のために建てた寿陵ですが、夫・正雄さんの両親と祖母の遺骨を分骨し、墓誌にも3名の名前を刻むことにしました。

「私たち自身は以前はお墓は要らないと思っていました。骨は山に撒いてくれればと。でも現実的には撒骨は難しい。それにこういうことは本人だけの問題ではないんです。息子にも『やっぱり石山家の墓は必要』といわれたこともあって、お墓の意味を考え直してみました。お墓があることで私は生前あまりできなかった親孝行ができたことが嬉しいし、子どもや孫にも先祖とのつながりを実感してもらうことができる。生きてる者にこそ必要なものなんです。縁あってこの八ヶ岳の麓が新しいふるさとになったのですから、ここにお墓を持てば山に撒くのと同じことですしね(笑)」

お墓のデザインについて、桜は妻・久女さんの好きな花で、花びらが舞うという動きのある様子も久女さんの案でした。バイオリンは正雄さんがバイオリン作りの職人であることにちなんで。山と芸術を愛する二人の人柄が素直に伝わります。「跡継ぎは息子ですが、家族や友人たちも集える場所になればと。だからあえて石碑に家名はいれず、絵にしました」

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墓石全体は横型で、角を大きく丸くしたり、曲線を使っています。デザイン上では「アール」にこだわりました。黒光りするお石塔にまわりの山々が写り込んで、彫刻と一体化してます!

お墓は自宅から車で10分程度のところ。「季節のいいときは散歩がてら歩いてお参りに来るのもいいかもしれない。こんなに近くていいところで先祖に会うことができ、また自分の居場所も確認できる。とても幸せですよ」

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外柵もねじれ感のある曲線を用いました。
全体的に柔らかな印象に仕上がりました。

孫の書いた「ありがとう」

「お墓に彫る文字は『ありがとう』に決めてるの」打ち合わせの初期の段階から内藤光代子さんはそう伝えてくれていていました。

72歳というまだまだこれから元気で過ごしてほしかった夫・勝さんは、5人兄弟の長男。兄弟家族ともとても仲が良く、親戚との宴会もよくありました。その宴会の席で、必ず歌われる歌。「今日もこうして会えるのは園長先生(勝さんの弟、幼稚園経営)のおかげです。…今日もこうして飲めるのは、勝兄貴のおかげです。ありがとうありがとう」そんな歌にも象徴されるとおり、内藤家一族は感謝のこころを持ち続け常に「ありがとう」を口に出すことが家風でした。

「お父さんも自分の病気のことは気づいていました。それでも最後はとても穏やかで、いつものとおり『ありがとう、ありがとう』と言ってたんですよ。」光代子さんも穏やかな表情でそう語ります。

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「ありがとう」は同居していた二人のお孫さんが書いてくれることになりました。お孫さんたちもおじいさん・勝さんが大好き。晩年は二人で勝さんの足を一本ずつもんであげたりするなど、懸命に看病の手伝いをしました。5年生の女の子と3年生の男の子による書がこちら。堂々として、まっすぐで、あたたかい。家族の強いつながりがひしひしと感じられます。
 
「『ありがとう』一つだけのつもりだったけど、二つとも入れられてよかった。」と光代子さん。「上の『ありがとう』はお父さん(勝さん)が私たちにかけてくれる言葉、下の『ありがとう』は私たちからお父さんへ。昔からそうやって声をかけあってきたから。お父さんらしい、内藤家らしいお墓です。」できあがったお墓の前に立つと自然に「ありがとう、ありがとう」と語りかけたくなります。

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開眼法要でお骨を納めるとき、内藤家のみなさんが一緒に写経を奉納しました。3年生5年生のお孫さんたち含めた家族全員がそれぞれ想いをこめて丁寧に書きました。

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式の最後はご親戚のみなさんも一緒に笑顔で記念撮影。お墓参りのたびにこの言葉に会い、その都度いろんな想いがこみ上げてくることでしょう。

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