お知らせ

2015年2月10日

車いすの母にもお参りしてもらえた

「母は外出が大変で、今日の開眼式にも出席は難しいかもしれないと思っていましたが、ご親戚のみなさんの支援もいただき、連れてくることができました。
父のお骨との最後のお別れに立ち会ってもらえて、本当によかったです。」

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通路との段差をほとんどつけないバリアフリー設計。菩提寺日蓮宗のお寺の教義に沿って、正面には『南無妙法蓮華経』と彫っています。

広い敷地にシンプルな和型のお石塔。大勢のご親戚がみんな敷地内でゆったりとお経を聞くことができました。

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自分らしさを「無」の字にこめる

「お墓には『無』と彫ることに決めてあるんだ。」お墓づくりの当初からそう話していた青木毅さん。仏教の思想にも通じる「無」。あらゆる煩悩や欲求から解放された静かな心の状態を連想させ、大好きな言葉なのだそうです。書は当店の親戚を通じて、書家・安藤豊頓氏に依頼しました。

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楷書、行書、草書など数種類の「無」の字の中にこの篆書の「無」の字がありました。「いいね。なんか人がふたり万歳してるみたいにも、相合傘してるみたいにも見える。」「あなたらしい、変わった字だわ」ご夫婦でも意見が一致しました。仲が良さそうに見えるほほえましい字です。「別に仲良くもなかったけどな、これからは仲良くするか(照れ笑)。」

 
 このたび建てたお墓は毅さんが初代となる生前墓です。八丈島に島の大きな自然石で作ったお父さんの個人墓もありますが、今後のことも考えて代々墓をここ八ヶ岳に建てることにしました。八ヶ岳には28年前に別荘として通い始めその後定住しました。「好きで移住したところだからね。子供たちも八ヶ岳で育ってそれぞれ独立していったけど、ここが集まりやすい。『無』の字以外家名も何も彫ってないから、姓が変わった娘たちも違和感なく守っていけるだろう」

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石碑は茨城県産白御影の横型。シンプルな一囲いのみのデザインの外柵。でもその明るさと解放感は、「無」の境地を表しているようです。

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昔のご本尊を活かして、台座と周りを新しく

大規模な改修工事例です。地上納骨堂を設置し、既存のご本尊石塔と新規の墓誌を乗せました。

承継した方はふだん遠方にお住まいで、90を過ぎたお母さんと一緒に管理してこられましたが、いよいよ草取りも大変に…。そこで敷地内に張石を施しました。

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改修前の様子

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地上納骨堂

ご本尊はきれいにクリーニングするとまた艶が戻ってきました。
家紋に金箔を入れて、まるで新品!

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夕日を浴びて、ご先祖の霊が田んぼを見守ってくれているようです。

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八代目の大仕事にかけた大改修

箕輪町で鉄工所を営む家のお墓づくりは、家族の歴史を振り返ることから始まりました。

創業大正四年、当代廣治さんの祖父が鉄工所の創業者。9才である鉄工所に修行に出、やがて立派に独り立ちします。父榮治さんがその鉄工所を16才で継ぎ現会社の礎を築きました。広治さんは自らを「建築馬鹿」と称するほどに、鉄骨建築と快適な住まいに大きなこだわりをもって会社を大きく発展させました。ただし家の歴史は広治さんで8代目。元文年間、赤羽大本家から出た分家が初代とされています。代々鋳物などに携わる工業職人の家系でした。その中には石工だった人もいたとのことで、当店の仕事にも大変興味を持ってくれました。

赤羽家のお墓は祖父の代で建てた石塔とそれ以前の古墓石を並べ直しきれいに外柵をまわす大掛かりな改修工事。本尊石塔は蓮華座付で当時の石工の技が光る、今ではかえって貴重なものです。

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このご本尊をさらに活かすよう台座にもなる地上納骨堂を設置し、石の色合いを合わせた安山岩を使用した香炉などの付属品にもこだわりました。据付工事には広治さん自ら立会い、時には作業も当店のスタッフと一緒に行いました。職人家系ならではのお墓への姿勢は当店の職人にとってもとてもありがたく勉強になるものでした。

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もともとあったすじの蓮華座付の本尊を一式再研磨、上台には「赤羽家」と家名を彫り込み、花立と香炉を新調。

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すっかりきれいに。まったくの新品を建てたようになりました。

このたび新しくつくった墓誌には、5代目からの先祖の戒名が刻まれています。そしてそれ以前の先祖を刻んだステンレス戒名版も2枚製作。1枚は納骨堂へ納め、もう1枚は仏壇に納めることにしました。

8代にわたる長い家系。その重みを受け止める心はそのまま先祖への感謝の念となり、家族中で作り上げる過程を大事にした、赤羽家のお墓。明るい真夏の日差しの中、威風堂々と建っています。

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国産白御影で小ぶりでも価値あるものを

穏やかな人、と近所でも評判だった小澤邦昭さんの1周忌がさわやかな五月晴れの中無事行われた。1周忌に間に合うように建てた小澤家の墓は、美しい白御影の石塔に、入口のアールのかかった柱石が特徴的な段差の少ない外柵。開放的で誰もが明るい気持ちでお参りできる雰囲気に仕上がりました。

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「僕が3才の頃から父は医者通いを始めました」とは、葬儀の際に語った長男隆弘さんの言葉。自宅や勤務先でも行える腹膜透析は、日常生活が比較的送りやすいとされているが、それでも長期にわたる病状管理は本人はじめ家族も負担は少なくなかったでしょう。だがそんな様子を全く見せずに、妻利恵さんは仕事や家事、趣味のバレー、孫の世話と活動的に毎日を送りました。対照的にインドア派の邦昭さんのこだわりの趣味はオーディオ。クラッシックレコードを聴くのが楽しみで、機材には本人いわく「土地が買えるほど」投じたそうです。

「私たちにはわからない世界だからね、今じゃ荷物の台になってるよ」と利恵さんは笑いますが、夫の良いものへのこだわりをお墓づくりにも活かそうという想いがあったのでしょう。菩提寺の助言を参考に、「白い石塔」と「段差を少なく」の2点にはこだわって決められました。白というのは菩提寺の助言を参考にしたのだが、同じ白でも氾濫する外国産ではなく、日本の銘石の中でも吸水性が低く固くて目が美しいと定評のある福島県産「紀山石」に。「雨が何日も続いた後は他の家の白い石塔はしばらく水を含んだようなグレー色が抜けないけど、うちのは乾くのが早い」とその良さを実感しています。

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アールのかかった柱石では孫の綾乃ちゃんが滑り台のようにして遊んだりしたという。これからも明るい小澤家の憩いの場であり続けることでしょう。

血縁集いの場の耐震改修

小淵沢町・高見澤與重さんこのたび人生2度目のお墓工事にのりだしました。

7年前に亡くなった双子の妹の一人阿部和子さんの入る阿部家のお墓を高見澤家と同じ墓所に建てることにしたもの。高見澤家5人きょうだいの長男である與重さんですが、直系の跡継ぎはいません。そこで、甥にあたる和子さんの長男で南箕輪村に住む阿部大輔さんと共同で先祖のお墓を守ることになりました。
 
 24年前に他店で建てた高見澤家のお墓は、寒冷地小淵沢の気候に耐えきれず外柵の接合部分に隙間があいて大きくくるった状態になっていました。既存基礎を調査した上で必要な補修を行い、外柵石材はいったんすべてはずします。石材の汚れを落とし、アンカーボルト設置など耐震施工の加工をして、据えなおしました。與重さんは毎日現場作業を確認。凍結によるくるいの心配もこれで解消されました。

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阿部家に新しく建てた墓石は「小さくても品質のいい石を」という與重さんのアドバイスで、良質黒御影の精度のよい国内加工品が選ばれました。既存の高見澤家の墓石に並んで、阿部家の墓石。黒さの引き立つ美しい墓石を前にして、「墓石に負けないような生きかたをしろよ」。與重さん流に大輔さんを激励します。

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「みんな仲がいい」と自慢のきょうだい。特急停車駅である小淵沢駅から徒歩数分のご自宅は、きょうだいの集いの場所でもあります。お墓はそこから徒歩数分のところ。「こんないいお墓は他にない。同じ親のもとみんなでここに入りたいくらいだ」それぞれの夫も交えそんな話もでるほど。大輔さんの父であり和子さんの夫でもある入院中の政夫さんにも與重さんのはからいで完成写真が渡されました。建墓を通じて継承者という縦のつながりに加え、きょうだいという横のつながりの強さも確認できた、高見澤・阿部両家のお墓です。

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自然石の風合いを活かした記念碑

富士見町立落合小学校が140年の歴史に幕を閉じ平成23年度末をもって閉校することになりました。その閉校の記念として校庭の一角に記念碑が建てられました。八ヶ岳の地石の台座に木曽黒光真石の碑石。そこに彫刻されたのは「落合にわれら学ぶなり」の言葉でした。

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この碑文にこめられた想いを閉校記念式典実行委員会・記念碑建立委員長の五味紘一さんは「落合の校風、伝統、地域環境が凝縮されたもの」と語ります。碑文の言葉には当初様々な案がありました。初代校長岩本節次先生の教育方針「慎其獨」(独りでいるときも道にそむかぬよう)とする案、地域で慣れ親しんだ落合の町の歌の一節を入れる案などが最終的に残っていましたが、校歌の一節であるこの言葉が一番子どもたちになじみがあり、他の案の想いもこめられたものとして、決まりました。「落合には豊かな自然や、数々の文芸人を輩出した文化芸術性の高さがあります。今の在校生も『落合らしさ』という意味では昔の子どもとあまり変わっていない。家庭環境のよさ、地域社会のあたたかさ、いい先生たちに恵まれて、きちんと反応がかえってくる素直で誠実な子どもたちです。そんな社会と校風が、この言葉に表れていると思います」

落合小学校の最後の児童数は全校で31人。「少人数だからこそ一人一人の責任感が鍛えられている」と教頭矢澤善夫先生は話します。「閉校式典での発表についても、これだけの表現ができる子たちはなかなかいない、と評判でした。新しい学校へ行っても萎縮しないで、新しい友達と刺激し合いつつ、自分を磨いてもらいたい」

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学校はなくなっても、子どもたちがこの落合で学んだ、育ったということは変わりません。記念碑はそれを思い出せる場でもあり、今も学んでいることの証であり続けることでしょう。

やさしい桜色、丸いフォルム

やさしい桜色の御影石、丸みのあるフォルムの横型石塔が完成しました。

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家名のところを深く彫り込み、上下余白に桜の花を彫刻しました。

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カエデ、そらを舞う

自らの終の棲家を演出した、こだわりの寿陵(生前墓)です。

球体を斜めに切った形状。お墓としては斬新に思えるけれど、不思議に普遍的な形です。彫刻面はお施主様の最初のインスピレーション。海とも山ともとれる波打つラインに、ご主人の好きなカエデの木と奥様の好きな桜を象徴的に表現。絵画の一枚を見ているようです。
 
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注目したいのは床の部分。放射状に張られた石が、まさに八方に広がる浄土の宇宙を感じさせます。

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ここから、南アルプスと森を望みます。

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これからの人生に「望」を

ご主人が亡くなって新盆を迎えるにあたり、完成したお墓です。大胆に動きのある書体で「望」の字を彫ったお墓。ご主人への強い思いと希望の心が表現されています。

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これからの人生に望みを。ひと文字、「望」。

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