お知らせ

2015年2月10日

明るい白で統一、教義に基づいた文字

山本家の亡きご主人次雄さんは管工事会社を営んでいました。「いわゆる職人気質でね。正直で、曲がったことは嫌い、お酒も飲まないし、仕事一本の人でした」と、妻良子さんは語り始めます。次雄さんのお父さんも材木職人で、職人同士当店2代目とウマがあい、兄弟杯を交わした仲だったとも伝えられます。また良子さん自身も当店3代目と同級生で、同じく職人としての仕事ぶりを評価していただいた上での建墓ご依頼でした。

ご主人との別れは急に訪れました。10年前心臓の手術をしましたがその後経過は順調。このまま生涯現役で仕事を続けるのだろうと自他共に確信していたさなか、発覚したのは胃がんでした。「驚きました。胃だけは丈夫な人だと思っていたから」治療方法を検討しているうちに急激に病は進行し、症状が出てから半年もしないうちに帰らぬ人となってしまいました。

photo_yamamoto_1

ご主人が40年も前に区から墓地を買っておいてくれたものの、それまであまり関心がなかったという良子さん。亡くなってからあわただしくいろんな手続きに追われる中、悲しみに浸っている暇もない毎日でしたが、「お墓を建てることに決めてから少しずつお父さん(茂さん)への気持ちの整理がついてきたかね」。

明るい白御影で統一された山本家のお墓。上質の国産白御影(真壁石小目)の本尊石塔は清廉潔白な山本家の家風を象徴しているかのようです。

シンプルな横型、表字を新しく

すっきりとした横型のお石塔の表字は「稲雲(とううん)」。彫刻面に対して主張しすぎない大きさで、上品な行書体で表現されています。入口には植栽スペース、そして奥に佇むのは苔むした八ヶ岳の自然石。しっとりとした緑灰の色合いのお石塔を中心に、全体的に枯山水のような趣をかもし出すのが、小山家のお墓です。

photo_koyama_2

7年前、長坂町小荒間に千葉県から移住してきた小山さんご家族。ご夫婦は定住、次男・兵衛さんは普段は東京でお勤めですがほぼ毎週末をここで過ごしています。400坪を超える敷地は家庭菜園をはじめ様々な種類の山野草や庭木がひとつに解け合いながら、古民家風の住宅を囲んでいます。

今お墓には10代でガンを発病し20歳をすぎてまもなく逝った長男芳房さんが眠っています。一度は千葉県印西市の自宅のそばにお墓を建てましたが、その後自然豊かなところで暮らしたいという夫・克衛さんの強い希望で、八ヶ岳への移住を決意。気軽にお墓参りにも行かれるように、お墓も引越しすることにしました。

Exif_JPEG_PICTURE

「自宅の庭の延長のような場所にしたかった」とお墓づくりへの想いを語る小山さん。 正面の字は「小山家」と彫ってあったものを、ご家族の希望で「稲雲」に彫りなおしました。病気と闘いながら早稲田付属高校に通っていた克房さんの戒名の一部ですが、八ヶ岳の里山にもぴったりの言葉でとても気に入っていると小山さんは言います。お墓にすえた自然石はここ長坂の家の庭から持っていったもの。自宅の庭に生えていた落葉低木サラサウツギもお墓に株分け。植え替え時はちょうど小さなピンクの花をつけ、侘びの情緒にほのかな彩りを添えていました。長坂の家の庭にあったものを分けることで、家族4人いつでも一緒という想いが実ったようです。

2015年2月9日

伝統の形と彫り方に平安を願う

ヒデさんこと平出英夫さんの一日は仏壇に向かっての読経から始まります。菩提寺三光寺(曹洞宗)の教えに従い「般若心経」「修証義」などを、約30分かけて暗唱。持ち前のハリのある声で浪々と唱え上げる姿は、いつもの人懐っこい豪快な笑顔のヒデさんをより魅力的に見せてくれます。そんな姿が評判を呼んで、よそのお宅からもお経を頼まれることがあるとか。

photo_hirade1_3

読経を始めたのは、お母さんが末期の胃がんだと宣告された頃から。医師からは手立てはないと言われましたが、「人事をつくして天命を待つ」がヒデさんのポリシー。できる限りのことはしてやりたいと手術を依頼。一方で自身は読経を行うようになりました。真摯に病気と向き合った甲斐あってか、お母さんは回復し、それから11年存命してくれました。

戦争で病気になり復員後すぐに亡くなったお父さんと、女手ひとつで育ててくれたお母さんをねぎらうためにも、建墓は悲願でした。石塔には艶もちのよい良質の黒御影を用い、須弥壇と水切りの加工を施し彫刻面にも額を入れたことで、全体的に華美ではない高級感を感じさせる仕上がりとなりました。ひときわ想いがこもった箇所は正面の彫刻文字です。曹洞宗の仏を表す○(円相)を戴いた「平出家先祖代々」と彫りました。「この○マルが気に入ってなぁ。いろいろ説明してもらったけど、おれには『人類みな兄弟』『世界はひとつ』って意味にとれたんだ。あの世へ行ってもみんな仲良く、ってな」

photo_hirade1_2

日常的に仏様と対話しているヒデさん。お経をあげていると自然に気が休まるといいます。「やらねぇとおちつかねぇわ」といいながらお墓にも週に1度は出向きます。平成9年建之。頻繁に手入れされていることもあり、お石塔は変わらず黒々と光っています。「こんないい墓じゃ早く入りてぇわ」と、またガハハと豪快に笑うヒデさんでした。

きちんと宗派の教えに則して建てていただいたお墓は、石屋としてもうれしいものです。

photo_hirade1_1

優しいカーブをもたせた美しい横型

神のもとで共に眠る。八ヶ岳キリスト教会の皆さんが建てられたのは、そんな思いを形にした共同墓です。一番初めに納骨された中山牧師のお父様は、白州の農家でした。敬虔なクリスチャンである一方、新しいことや珍しいことが好きというお茶目さも持っていたと、中山牧師は振り返ります。「とにかく新し物好きでね、一番に(お墓に)入ったことをとても喜んでいると思いますよ」

教会の共同の墓を造ることは、中山牧師はじめ、教会の皆さんの悲願でした。墓を造る場所を求めて市内から甲府まで探しましたが、最終的に小淵沢のお寺墓地の一角を使用させてもらえることになりました。念願のお墓が八ヶ岳を一望する明るい霊園に、建てられています。

石碑は明るくてきめの細かいグレーの安山岩を使い、十字架と聖書の言葉を正面に彫りました。「神は愛なり」というその言葉は誰が言い出すともなく、自然に意見が一致したものだということです。すっきりとシンプルな形で、広く親しまれる普遍的なデザインにしあがりました。

建立にあたって、打ち合わせや連絡などを担当された伊東さんは、打ち合わせ記録や工事記録を細かくファイリングしています。基礎工事、据付工事の写真も段階ごとに撮り、アルバムにしました。お施主様側がこのように熱心に建立作業に関わってくださることは、当店にとってもうれしい限りですし、建立当初の教会の皆さんの思いがのちのちまで伝わることでしょう。

愛らしい楕円型に山の稜線を描く

ぽってりとした愛らしいだえん型で、正面は山の稜線を描いただけのシンプルなデザインのお石碑。東京から16年前に八ヶ岳に移住してきた小澤信行さん、恵子さんご夫妻の建てたお墓です。八ヶ岳でも一緒に暮らしたお父様が眠っています。当初から、シンプルでありきたりでない形を望んでいたご家族。固い感じがしないように、丸く安定感のある形もイメージしていました。また、彫刻面に家を意識させないようなものをと、文字ではなく思い入れのある八ヶ岳の山の形を彫刻することにしました。

「できあがってみると、希望どおり小ぶりなことも気に入りました。彫刻してある山の絵が、ちょうど墓地から見る八ヶ岳そのまま。お墓らしくないので、楽しくお参りできそうです。」

長男純一さん、長女歩さんが巣立ち、来年度から次男学さんも大学へ入学。離れて暮らすようになっても、帰郷の際はご家族全員の思いがつまったお墓の前で一家団欒となりそうです。