おかみブログ

2007年1月29日

ふわふわのマシュマロ

「赤ちゃんってふわふわでマシュマロみたいにかわいーねー」
最近待望の第1子を出産した友人のメールです。
ちょっと前のヤマザキパンの小林聡美のCM、赤ちゃんの手足のくびれやおしりを映して「ここもスキ」というセリフ。
小さい子どもって、抱いててもやわらかくて気持ちいいし、おしりやほっぺなんてかぶりつきたくなるくらいプリプリしてかわいいし、お風呂の後なんかいっちょまえにせっけんのにおいがしたり、ワキガはないわ口臭はないわ。
とにかく小さくてやわらかくていいにおい。
これって、思いっきりべたべた触って、抱いて、眺めて楽しまなきゃ損だ!!と思うわけです。
先日保育園の参観日に講演してくれた講師の先生の話によると、3才までにちゃんとスキンシップができている家庭は、思春期や成人期で悩んでも大きくはずれることはない、ということでした。
3才までは思い切り甘えさせてベタベタ体にくっつけとけばいいそうです。
そっか!どんどん触って抱いていいんだ。
親がそういうことを気持ちよくできるように、子どもってぷにぷになんでしょうね、きっと。
余談ですが、清里ロックで食事をすると、マシュマロの串さしをサービスしてくれます。バーベキューでも定番メニュー。
薪ストーブの火であぶるとトロトロにとけて全く違った食感が楽しめるのです。
ロックマシュマロ

2007年1月28日

あれもこれも欲張る年

今年は年明けのおみくじで「大吉」がでました。
深大寺のおみくじはまんべんなく凶や大凶が出ることでも有名で、昨年は大凶。そういえば1カ月おきに風邪をひいたり、仕事がマンネリ化してたり、夫婦喧嘩が絶えなかったりしてたなぁ。
今年は大吉の中でも特によい、何をやっても「いづべし」とか「よし」とかいいことばかり書いてあるものでした。
だから、新しい話には極力断らず、乗るようにしています。
きっと発展の年になると信じて。
昨年末から2つ、大きな話(私にとっては)が来ています。
FM八ヶ岳おらんうーたん
FM八ヶ岳は昨年10月に開局したコミュニティFMで、市民ボランティアの手で作られています。
これから質のよい自主制作番組を増やし、出資を集め、地域情報発信源としての存在を強めていきたいところ。
おらんうーたんは八ヶ岳のクラフト作家のネットワーク。工房やアトリエを記した、観光にも使えるクラフトマップは第2弾まで発行され、作家同士のコラボやオープンアトリエなどのイベントもめじろおし。北杜市長が北杜市の観光資源のひとつとしてその地図を持って旅行代理店に営業に行ってるということで、この地域の一大産業と言っても過言ではない地位を築きつつあります。
私の関わることはまだ詳しいことが決まってないのでちゃんと書けませんが、ともかくこの北杜市二大事業に微力ながら関われることになったというわけです。
お呼びがかかって、断わる道理がありません。
当然今までより断然忙しくなるし、ブログを書いてる場合じゃなくなるかもしれません。(マメな人はそれでも書けるのでしょうが)
結婚と同時に石屋に嫁に入ったとき姑に言われた言葉、「十年お礼奉公」。
初めの10年はよくわからないことも多いがとにかくがまんして仕える、次の10年で勝手がわかって、その次の10年はお礼のつもりで頑張る。
嫁ぎ先の家での暮らし方の指南のつもりだったのでしょう。
「ふるー」と内心反発していた時期を少し過ぎ、仕えるのを嫁ぎ先から地域とか人脈に置き換えて、自分なりにアレンジしてみることで比較的すんなり受け入れられるようになった私は今年で9年目。
まだ第二段階の「勝手がわかる」の手前までしか行ってないことになりますが、とにかく今はなんでもやってみるときかな、と。
ちょっとどきどき。でもわくわくの睦月でした。

2007年1月23日

福島・ひなた山より

福島旅行で出会ったお墓のある風景です。
この霊園は小高い丘の上にあり、公園に併設されています。
丘から遠くに山々が見えます。あれが磐梯山あたりかな。
各家の墓所内にベンチが多いのは、この眺めをご先祖と一緒に見るためでしょうか。うらやましいですね。
福島8

2007年1月22日

伊達冠と出会う

石屋のおかみをしていると、普通は行かないようなマイナーな場所に旅行できるのが醍醐味のひとつです。
夫の石材製品買い付けに私もついていきました。
昨年9月の岡崎に続き、今回の旅行は福島。
福島と聞いて一般的に一番イメージしやすいのは会津の磐梯高原・猪苗代だと思いますが、私たちが行ったのは福島の北東・伊達市霊山町(りょうぜんまち)です。
阿武隈川と独特にそそりたつ崖のような霊山という、雄雄しい自然に恵まれたところで、紅葉のシーズンがひときわ美しいそうです。
福島は県内のあちこちで良質の白御影がとれ、近県・宮城の黒御影や栃木の凝灰岩の産地にも近いことから、石材業者が多いのです。
今回行った霊山町の石材問屋もそのひとつ。
やはり墓石の展示が主。東北の墓石は八ヶ岳と似て黒が多いです。
今回の最初の収穫は蔵王石。
黒っぽい安山岩で、八ヶ岳の好みにも合いそうです。
安山岩はごろごろとした岩で採れるので、その自然な形を活かして表面の広いところだけ本磨きにして、側面や背面は岩肌を残すような加工をするのが合います。
今回仕入れたのは墓石ですが、田園の中に建てる記念碑などにも向いています。
福島3 今回仕入れたもの。
もうひとつ、私が気に入った石があります。
伊達冠石(だてかんむりいし)。
これも安山岩のひとつ。
岩肌はまっ黄色ですが中は濃い灰色、磨いたばかりの面はほとんど黒に近い濃い色です。
これが数年経つと赤茶色に変色するそう。
そんな短期間のうちに変化するという特性をわかってくれる施主がどれだけいるか、という点で、夫は今まで敬遠してたとのこと。
でも、岩肌の黄色と磨き面の黒のコントラストはほんとに美しいものでした。
加えて、やはりこれもゴロ岩で採石されるので、自然な形を活かした、アーティスティックな加工が魅力的です。
福島4 伊達冠石の小さめの墓石セット。
展示会場を見終わった後は郡山市内の霊園を見学に行きました。
伊達冠石の墓石を見つけました。
自然な風合いで、とてもステキです。同じ石でベンチも作ってありました。
福島5 福島6 ちょっとお邪魔させていただきました。
伊達冠石で全面本磨き加工にするとこんな感じです。
これが数年経ったもの。
福島7

確かに赤茶けていますが、上品な色合いだと思いました。
こういう風に変わるということをちゃんと説明した上で、真っ黒ではないものを好むお施主さんにはこれを勧めてみれば、と言ったら、夫も納得したよう。おかみの意見、聞いてもらえました。

2007年1月19日

萌木の村の思い出

清里のレストランROCKの割引券を夫が購入していたので、久々に家族で萌木の村にお出かけしました。
ここにはちょっとした思い出があります。
といってもロマンチックなものじゃあありませんのであしからず。
大学3年のときだったと思います。だから1990年くらい。
高校時代の友人グループ5人で萌木の村に遊びにきました。
友人の一人が以前に清里の某ペンションで夏季住み込みバイトをしたことが発端。
当時の私は清里どころか山梨すらよくわからない。
その彼女主導で計画が練られ、関西から行ったと思うのだけど、なぜか新宿から特急に乗り、どっかの駅で単線に乗り換えて数駅目が清里でした。
くだんのペンションに泊まり、徒歩でオルゴール館や清泉寮に行き(今考えるとよく歩いたもんだ)、山田邦子のサラダ館を横目で見ながら駅前のお土産屋さんを物色したような記憶があります。
萌木の村で若々しい名取裕子が何かの撮影をやっていました。
「ホールオブホールズ」ではスタッフのおねえさんがかわいい演出まじりでオルゴールの説明をしてくれ、芝居好きの私はいたく感動して、一瞬萌木の村で働きたいという希望が頭をよぎりました。
でも、当時の私の世界観からはあまりにも非現実的な話。
バブル景気まっただなか、売り手市場で就職活動を控えた花(?)の女子大生にとって、大手企業に就職することが第一の検討課題だったのです。
すぐに「萌木の村のおねえさんになりたい」夢は忘れてしまいました。
それから17年。
気がついたら仕事を通して萌木の村スタッフの人と打ち合わせをするような立場になっているではありませんか。
例のペンションは既になく、そのすぐ近くの中古物件の売却に関わった際耳にしたのはそのペンションのオーナーはご病気でなくなったとの噂。
駅名も覚えてなかった乗換え地点の小淵沢は、自宅の最寄り駅であるばかりでなく、地域活動や仕事の待ち合わせの拠点、つまり「庭」です。
食べ物屋さんはロックしか知らなかったのが信じられないくらい、自慢じゃないけど八ヶ岳のお店情報ならまかせて。
何がどう、転んだんだっけ。
これって、勝ち組?負け組?
ジンセイ、どうなるかわからないなぁ。と、山小屋パブだった様相とはうって変わってファミレス化した現ロックで、昔とこれだけはかわらないビーフカレーを食べながら感慨にふけりました。
ロック1 
ロック2

ロックのパスカードは訪問販売で売りに来ます。パス価格5000円。
ロックで3000円以上注文→1000円引き(5回利用可)
7000円以上注文→3000円引き(5回利用可)
10000円以上注文→5000円引き(1回利用可)
今のロックはファミレス。子ども連れや自分たちだけで食事をしたいときにはビジネスライクで気軽。
店の人とどっぷりお話したい、かつてのロックを求めるなら、スモーキーカフェ(甲斐大泉駅上)か
ランプスロッジ(小淵沢馬術競技場近く)がそんな役割を担っています。

2007年1月17日

ペコちゃんに罪はないのに

娘に予防接種を受けさせるためにホームドクターのところに行きました。
注射されても娘は泣かずにけろりとしていました。(鈍感??)
ごほうびに先生がペコちゃんのペロペロキャンディーをくれました。
ここ連日騒がれている不二家の不祥事。
これはもう、残念で仕方がありません。
「食の安全」うんぬんより、ペコちゃんに汚名を着せられたようで、かわいそうです。
店頭からペコちゃん商品が撤去され、人形も奥にしまわれてしまいました。
正直、以前から我が家では不二家製品を敢えて子供に買い与えるようなことはしていません。
お菓子は甘いし、賞味期限切れ以前にいろんな添加物が入っているので。
でも娘はペコちゃん大好きです。
ペコちゃんはこどもたちのアイドルであり、幸せの象徴なのです。
企業のブランド。本体はたいしたことなくても、このブランドがあるから人は満足度があがり、企業は唯一無二の地位を手に入れる。
本体以上の価値観を与え、ともすれば文化や歴史さえも築き上げる。
現横浜市長の中田宏さんが、米産牛肉解禁で吉野家牛丼が復活したときに、「僕は吉野家を毎日食べてた国会議員でしたからね」と嬉しそうに話していました。
これだって、単に中田さんが牛丼が好きというだけの意味では当然ないですよね。
吉野家=庶民の好物という一種のブランドを利用して、海運が主産業の横浜市民に、自分が庶民に近い存在だということをアピールしたかったんでしょう。
子供に夢を与えるキャラクターの存在の大きさを、その企業の人たちはどこまで理解できてるでしょう。
社長から工場の一作業員まで、自社キャラクターは自分の子供だという意識があるでしょうか。
今回、不二家はマスコミの前で謝る前に、まずキャラクターたちに謝ってほしかったです。
と、思わず熱くなってしまうのも、私たち夫婦が新卒入社で某キャラクター会社にいたからかもしれません。
くだんのペロペロキャンディーは飴だと教えず娘に与えました。
娘はPPに印刷されたペコちゃんに話しかけながら、飴は食べずに喜んで遊んでいます。
富士見のAコープや、国道141号沿い韮崎の不二家ショップはどうなっているのかなあ。
ペコちゃんだけでもいてくれるといいなあ。

2007年1月13日

おっばけやしきー!

我が家には名前がついています。
「サツキとメイの家」をもじって私と娘の名前をつけたもの。
音的に似てるので、自画自賛して喜んでます。
最近実は中身もにているのでは、ということを発見しました。
なんと、「おっばけやしきー!」なのです。
赤目小僧
娘が天井を指差して「あっかんべー」と言うので何かと思ったら
おばけやしき1

実は木の節です。杉板を使っていて、大きいのも小さいのも無数に節の模様があります。
壁から手が
お風呂の壁に手が・・・!
おばけやしき2

十和田石を貼った壁に手を押し付けて「かーか(お母さん)ぱー」「MOOちゃんぱー」「おとうさんぱー」
と喜んでいます。

ナゾのラップ音
「ぴしっ、ぱちっ」冬になると奇怪な音が前触れなく家を襲います。
「なんのおとー?おとーしゃん、ぷーしたでしょ」
部屋が乾燥して無垢の木の梁などが割れる音です。

2007年1月7日

我が家も安心、火の用心

3連休中日。今日は北杜市で一斉に2つのビッグイベントが行われました。
成人式と消防出初式。
昨日からの吹雪がまだ続き、荒れ荒れのお天気の中、それぞれに晴れ着を着た青年たちが雪道を闊歩することとなりました。
消防団は体を張って地域の安全を守ってくれる、ありがたい存在。
町のボランティアの青年たちが火消しにあたります。
正月あけの出初式は一番の晴れ舞台です。
出初式の後は新築の家などを回って放水儀式をし、その家の火災からの安全を祈願してくれます。
我が家も今年は家を建てて初めてのお正月。
組の消防団長から電話があったのは暮れのことです。
「あのー、お宅新築なさいましたよね。ホースイにあがりましょうか。」
なんか遠慮がち。
でもこちらは「来た♪」という感じです。
わくわくして「ぜひお願いします」と即答しました。
そうすると相手は申し訳なさそうに、
「えっと、お礼として五千円いただくんですけど・・・」
最近は田舎暮らしを始めた都会人たちが、五千円払う意味がわからなくて(「どうせ、飲み代に使うんでしょ」という意識。)「ウチは結構です」なんてムゲに断るらしい。
なんで嫌がるんでしょうねぇ。正月の縁起物、わくわくするじゃあありませんか。
年末から早々と新札の五千円を熨斗袋に入れ、金粉入りのお酒3本セットまで準備して待ち構えました。(ごめんなさい、こちらはいただきものですが)
そして当日。
朝はちょっと晴れてたのに、昼前からびゅうびゅう吹雪。
この冬初めての本格的な積雪となった今日の一番すごい天気の時間に彼らは颯爽と来てくれました。
出初式 
↑「放水始め!」勢いよく屋根の上に放水します。
これで我が家の厄除け完了。パンパン。
消防団の皆さん、寒い中本当にご苦労さまでした。

2007年1月6日

江戸しぐさ継承考

正月明けは勤務先の社員が集まり、調布の深大寺にお参りにいくのが、仕事始めとなっています。
今年も行ってきました。
おみくじを引くと「大吉」!
さいさきがよいです。
いい気分で護摩焚き会場である元三大師堂へ。
護摩焚きの後のお坊様のお話が感動的でした。
江戸時代、民衆は相手を思いやる気持ちを尊重し、「粋に(生き生きと)」生活するための細かいルールを設けていました。
有名なのが
肩引き・・・狭い路地ですれ違うとき、お互いに肩を引いて道を譲り合うこと。
傘かしげ・・・同じように、お互いの傘を傾けて濡らさないように気を配ること。
うかつあやまり・・・混雑の中足を踏まれたときなど、踏まれたほうが先に謝ること。「こんなところに足をだしていてごめんなさい」
逆にタブーとして
刺し言葉・・・相手が一番触れて欲しくない痛い部分を突いて心にダメージを与えること。「(亭主に)ロクな稼ぎもないくせに」
江戸っ子は3代続いて初めて江戸っ子だそうです。
こういうルールを親から子、孫へ伝えることで本当に粋な江戸っ子になれるのだとか。
「継承」をとかく重荷に感じがちな現代日本人。
「子どもにお墓の心配までさせたくない」などのセリフがよく聞かれるようになりました。
でも、基本はこういうちょっとしたことだと思うのですけどね。
受け止めたあとで、自分が正しいと思うほうに微調整すれば、いいんじゃないかな。
・・・と感動と共に反省をしながら、深大寺温泉『ゆかり』で、黒いお湯につかってきました。
石浴室
『ゆかり』は床はウチと同じ十和田石、腰掛は黒御影を床に据え付けてありました。
↑注)これはウチの風呂です

2007年1月2日

おかみブログダイジェスト

あけましておめでとうございます。
と、ほんとは昨日書かなくてはいけない話題ですが、昨日は地域活動のため多忙につき、本日付のブログ更新をご理解ください。
今日、家事と育児の合間にゆっくり年賀状を拝見している次第です。
今年の年賀状にはさりげなく(?)このブログのことを宣伝してみました。
なので、もしかしたら昔の友人が検索して、たどりついてくれないかなー、とかすかな期待をよせつつ(あえてURLは書かなかった)、お義理でも訪ね当ててくれた殊勝な知り合いのためにも、このブログの振り返りと今後の抱負を書いてみたいと思います。
新春らしいでしょ。
まず自分で自分のブログのベスト10をやってみました。
お義理できてくれた初めての人は全部読んでられないと思うので、せめてこの10話だけ見てください。
言いたいことはなんとなくわかるハズ。(それでも多いか・・・)
「癒しの空間・石の浴室」
「木を育てる文化」
「包丁余話」
「お田植え」
「おかえりなさい」
「重ね煮にハマる」
「作家モノがほしい」
「お墓が倒れてる」
「パン天国」
「木琴縁側完成!」
スタートしたのは昨年3月です。
ちょうど年女としての誕生日あたりです。
夫と一緒に立ち上げた石工房「石あるく」の広報的な役割を担わせようと始めました。
・・・が、回を重ねるごとに、ほとんど私個人のハナシをつづるものとなり、工房の宣伝にはあまり貢献しなくなってしまいました。
でもそのあたりからアクセスが増えてきたんですけどね、皮肉なことに。
それでもあまり個人的なことを書くのもなんとなく気はずかしいので、一応テーマを決めています。
「石」石の魅力、お墓や葬祭、石をとりいれた生活などについて
「山」八ヶ岳の魅力、おすすめのお店など
「子」初めての育児奮闘記、日本の子育て環境について
「家」自然素材と伝統工法で建てた家づくりについて
「食」ちょっとかじったマクロビオティックや栄養学、健康について
社会人になり、結婚し、仕事と家庭中心の生活が長く続くと、どうしても昔の知り合いとはお互い疎遠になってきます。
特に私なんぞ、小中高期間中転校・エリア外入学、大学、上京しての新卒入社、転職、結婚、田舎への移住、再就職、再転職・・・などなど、数年おきに主たる環境が大きく変わってきているので、会わなくなった知り合いもやむをえず増えてきてしまいました。
でも「年賀状だけのつきあい」って、そう否定的なモノでもないと思います。
お互い環境が変わって、家も離れ、そうそう会えないのはむしろ、当然。だけど年賀状だけでもやりとりしていることで、関係性がちゃんと持続するんですから。
そんな気持ちもあって、ここ数年開き直って「年賀状だけの付き合い」を楽しむことにしています。
いつか必ずあるはずの、再会の時を信じて。
今年の抱負。
今や定年後の選択肢の第一位(?)ともいわれる、人もうらやむ(?)田舎暮らしを実践しているにもかかわらず、畑もしてない、自家製料理も少ない、トレッキングも工芸もゆっくり読書もできない。晴耕雨読には程遠い消費生活の毎日ですが、これはこれで今の私にはやむをえないし、それでも楽しく暮らしています。
楽しい理由は私の周りで、いろんな価値観を持った人がそれぞれいろんな楽しみ方をしているのを間近で見られるから。
それから四季折々美しい山や田園の景色。
私の役割はたぶんそういうことを記して、言葉や写真で再現して、口コミで他の人(とりわけ子どもや家族に)伝えることなんでしょう。
「ご趣味は?」「ブログです」といえば一見暗いけど、その真意はこういうことです。
私がブログを始めようと思ったきっかけになった人の、とても内容の濃い田舎暮らしブログはさすがにすごいアクセス数ですが、私はとてもとてもそこまで及びません。
宣伝も下手なのでしょうし。
ただ、ブログってのは便利なもので、知り合いへの近況報告にもなるんですよね。
年賀ハガキ1枚では書ききれない今の暮らしぶりを、「これ見てね!」で済んじゃう。
親が一番喜んでくれているようです。
今年はもう少しだけ広めていければいいな。
そのためにネタ集めと文章力アップに努めます。
以上、抱負でした。