おかみブログ

2015年5月13日

富士見の宝・アララギ派の歌碑にふれる

ある有名な歌人の歌碑の版木を彫る、というお仕事の依頼がありました。
 
世の中には歌碑や仏像の拓本をとる、というたしなみがありますが、
やり方をしらずに石に直接墨を塗りつける輩もいるそうで、
基本、有名な歌碑の拓本は石からとってはいけないことになっています。
その代り、レプリカとして木の彫刻(版木)が存在し、そこから拓本をとり、
例えば床の間に飾ったりするんだそうです。
 
依頼のあった歌碑の版木は、アララギ派の歌人島木赤彦の短歌。
アララギ派は正岡子規の流れをくむ伊藤左千夫が、信州に立ち寄った際出会った島木赤彦と交流を深めて生まれたもの。
富士見町の油屋旅館でしばしば短歌会が催され、そこから富士見の自然や暮らしを表すすぐれた歌が生まれました。
いわば、富士見はアララギ派誕生と発展の地でもあるのです。
 
富士見町図書館のある建物の2階にある「高原のミュージアム」には、アララギ派をはじめ富士見を愛した文豪の足跡が常設されています。


 
また、アララギ派の著名な歌人4人(伊藤左千夫、斉藤茂吉、島木赤彦、森山汀川)の歌碑が、富士見小学校の近くにある富士見公園に建てられています。
この富士見公園は伊藤左千夫の設計で、当時は山々を見渡す絶好のロケーションだったそう。
いまでは住宅が増えたり木が育ったりして葉のあるシーズンに山を望むことは難しいですが、四季折々の木々と歌人たちのどっしりとした石歌碑が立ち並ぶ空間は、訪れる人を穏やかな気持ちにさせてくれる憩いの場になっています。




  
版木の依頼主は、富士見在住の現在のアララギ会の方。
高原のミュージアムの資料室にはそれぞれの歌人の版木がいくつもありますが、赤彦のものが歪みが特にひどく、町からの予算もないことを憂いて、この方が個人として寄付してくださることになりました。
「赤彦先生の歌碑は茂吉先生の書、左千夫先生の歌碑は赤彦先生の書。こんな贅沢な合作は他では見られないんですよ。
富士見はすごい宝があるんだってことを、もっと知ってもらいたい」と熱く語られます。




 
ここも、私の中で新たなパワースポットになりそうです。

2015年5月6日

焼山峠の子授け地蔵尊

かねてより一度は訪れたいと思っていた子授け地蔵の場所へ、
子どもの日の今日、行くことにしました。
 
子どものない夫婦に子を授けるという言い伝えのあるお地蔵さまは各地にありますが、
うちの店によくお問い合わせのあるのは「焼山峠の子授け地蔵尊」。
焼山峠というのは、山梨県牧丘町(現・山梨市牧丘町)の林道を登ったところにあります。
今ではきれいに舗装されていて、森の中、快適なドライブをすることができます。

子授け地蔵尊のあるのは、県道206号と県道219号(クリスタルライン)の分岐点。
小楢山登山口、乙女高原入口でもあります。
広い駐車場があって、トイレも整備されています。

 
駐車場からすぐ近く、明るい木漏れ日のそそぐところに、たくさんのお地蔵様がお祀りしてあります。 
こちらが伝説の解説。牧丘町と牧丘町観光協会の協力で由緒碑が建てられています。

 
全国にこの種の言い伝えは多いですが、ここ牧丘のお地蔵様は特にご利益があるらしく、
年々増えているというのですから、驚きです。
 
このお地蔵様のことを教えてくれて、ウチの店にそのお礼のお地蔵様を買いに来てくれたのが、塩山に住むOさん。
初めは初孫・娘さんの長男くん誕生のお礼のために。
その後そのお礼で納めたお地蔵様を息子さん夫婦が持って帰り、拝んでいたところ、こちらもめでたく女の子を授かったとのこと。このご夫婦は結婚して十数年もお子さんがなかったのに、お地蔵様を連れてきてわずか数か月でご利益があったということなのです!
それもウチから連れて行ってくれたお地蔵様で。
ありがたい、うれしい限りですね。
 
我が家はもう子どもが3人いて十分幸せをいただいていますので(笑)
お地蔵様を持ち帰ることはせず、感謝の気持ちだけ伝えて手を合わせてきました。

 
乙女高原展望台。

  
琴川ダム。

 
クリスタルライン沿いの「栃地蔵」。大きなうろのある巨木の脇にお地蔵様と湧水。