おかみブログ

2007年5月31日

石垣いちご?!

ウチの、約20坪の庭のゆくえについて、昨年いろいろ考えました。
芝を植えてもらったのが、すっかり根つき、新緑の季節も過ぎようとしている最近では2年目の芝が今まさに青々とのびようとしています。
昨年は鎌をシャクシャクと動かしながら手で刈っていたのですが、さすがに大変なので、安い芝刈り機を買いました。
今年は美しい芝の上にちょっと石ベンチなども置いてみたいところです。
その一方で、多少なりとも収穫のできるものを植えたい希望もありました。
そんな話を友人にしていたら、彼女は自分ちに生えていたイチゴの株を惜しげもなく分けてくれました。
「野生みたいなもんよ、強くて、どんどん株が増えていくの。マジでおいしいよ。収穫する喜びがあるよ」
ウチの庭は駐車場とのレベル差が約1mあり、四角い余り石で土留めをしてあります。その石にちょうど垂れ下がるような形でいただいた株を昨年植えておきました。いちご2

今年、待望の実がなりました。でもまだ一粒です。
灰色のゴツゴツ石にかわいらしいイチゴの葉が垂れ下がって、一つだけ実をつけていて、アンバランスですが、なんともいい感じです。
友人の庭に生えていたイチゴ株は、陶芸家の彼女が製作したオブジェが点在している間に生えていて、この光景がうらやましかったのです。
いちご1

かわいいなー、と悦にいりながら、出かける準備をして、ふともう一度目をやると、たった一つの実がありません。
あああっ!私のイチゴはどこへ!!
犯人は、すばやい動きで迷わずもぎとった、2才の娘でした。
いちご3 
↑まぼろしの一粒

2007年5月30日

自然素材の洋服屋さん

ゴールデンウィーク前のことになりますが、八ヶ岳にステキなブティックがオープンしました。
KAYA白井沢2
オーガニックコットン地の服や服飾小物を販売するお店です。
ネパールからの上質な生糸を日本で紡ぎ仕立てたものだとのこと。
色はきなりと黒のモノトーンがほとんどで、形もざっくりとしたフリーサイズ。
肌触りがよくて締めつけない、八ヶ岳のさわやかな風に吹かれながらゆったりとした休日を過ごすのにぴったり、そんな風合いの商品群です。
KAYA白井沢
このお店のオーナーとの出会いがまた面白いものでした。
「どこか店舗スペース貸してくれるところ知りませんか?」
そんな電話をたまたま受けて、いつもなら「さあ・・・」で終わってしまうところなのですが、なんだか電話の声がとても懐かしい感じがしたのです。
初対面(初対聞)の人なのに、声の感じが耳にここちよく、このまま電話を切ってしまうのはもったいないような不思議な感覚でした。
電話でやや詳しく聞いているうちに、ふとレインボーライン沿いの喫茶店のお隣で貸しギャラリーを建て、借主を探しているのを思い出したのです。
ずいぶん前に言われていた話でしたが、その人とお話しているとなぜかピンッと思い出しました。
会話の中でぽろっと出たことがこんな風に実現するなんて、ちょっと感動です。
それもこれも、最初に感じた人と人のコミュニケーション、インスピレーションかなぁ。
「KAYA」
レインボーライン沿い、喫茶ペルルのお隣です。
KAYA4
かっちゃった♪

2007年5月24日

だから石屋はやめられない〜文字彫刻の極意の巻〜

手作りと工業製品のハザマで右往左往しながら生き残りを模索する石屋業界。
データ管理できそうでできない、その最たる作業が文字彫刻だ。
ロゼッタストーンにも代表されるように、石に文字を刻むことは紙とはまた別の重い意味を持たせることができる。
エターナルな内容で、屋外で使用、多くの人の目にふれさせる、という意図のものは石を使うのが伝統的だ。
石工の重要な作業のひとつに文字彫刻がある。
昔はチョンチョンとノミで彫っていったものだが、現代では「サンドブラスト」という方法を用いる。
彫刻面にマスキングシートを貼り、炭化珪素という細かい砂をすごい圧力で噴射して、文字部分だけ削り取っていく。
マスキングシートはパソコンの専用ソフトと専用機械で、今や比較的簡単に作れる。
画面上でフォントを呼び出し、配置、カッティングの指令を出すと、出力側のプロッター(カッター刃がついたマスク用ゴムを切る機械)でギリギリギッチョンと自動的に切ってくれるのだ。
文字彫刻1 ←マスキングシート製作用プロッター
マスキングシートがここまで進化しているのに、肝心の石のほうがかのおおざっぱぶりだということは前述のとおりだ。
たとえば墓誌。亡くなった人を代ごとに順番に記録していく石板のことだが、その石材に「墓誌」と題字をいれ、「戒名・没年月日・俗名・行年」を入れる場合、余白や将来にわたって全体で何人入れるかを考えた上で、今回彫る人の配置を決める。
文字彫刻2 ←石板にゴムを貼り、ブラストし終わった状態
23×21寸で発注して、平均的な誤差は3分、つまり10mm弱。
石屋によってはほとんど気にしないで毎回同じ寸法で彫るところもある。結果、その石板がすべて文字でうまった時には変に余白があったりつまっていたりするかもしれない。でもそんなのは何代もあとのことだし、自分が仕事をするかどうかなどわからない。しかも、その家が代々続いて石板がすべてうまるという保証もない。そんなことまで気にしてもしょうがない、という判断だ。
ウチはそれがイヤなので、将来(おそらく百年後とか)同じ間隔で彫っていってくれればきれいに全体が配置されるであろう寸法を初回の段階で考える。
そこにはだかるのが誤差の壁。
A4とかB5とかきっちり決まったサイズなら毎回同じでラクなのに、同じサイズのはずでも毎回違う誤差が出るから毎回現物を測ることになる。
仕入れた製品の荷をほどき、作業場に置き、寸法を測り、配置を考え、ブラスト用ゴムマスクを準備する。
同じ寸法で注文しても、毎回この作業が発生する。
自然素材相手のオーダーメイドだから当たり前といえば当たり前だ。
なんとかラクにならないのかなぁ。
と嘆きつつも、代々伝えるべき墓石を扱う人間として、はしょることのできない作業なのである。
規格無2

2007年5月23日

だから石屋はやめられない〜規格無の不思議の巻〜

八ヶ岳のお店ガイドブックを作っていて、「印刷費も安くなったなぁ」と思った。
手写しの長い歴史を経て、ルネサンスの三大文明である活版印刷、日本の浮世絵普及に寄与した版画技術、現代に入り写植、そしてDTP・・・。(印刷屋じゃないのでこの程度の知識しかないが)
同じ情報を大量に配布する必要性と人間の好奇心が革命を起こし技術を進化させ、それに伴い費用が下がる。媒体である「紙」の形も規格化。A4、B5、24p中綴じ、文庫版、新書版・・・エトセトラ。しかも受発注双方が一言も話をすることなく、ネット上でデータの交換を行い郵便受けにブツが届けられ、カード決済で支払いも済ませられるようになった。先日も娘の大量のブロマイド製作をネット上のデジカメプリントサイトに発注したら百数十枚も頼んでたったの1000円だ。早い・安い・楽。
規格化し数を集め労力を減らし価格を下げる。
そんな超当たり前のことがどの業界でもなされているのに、石材業界はかなり事情が違う。
まず、いわゆる「規格品」というヤツが、あるようでない。
たとえば、よくある3段型の墓石。
規格無1

大雑把な比率はあるものの地域によってかなりの差があって、関東の場合は竿石の縦横比率は横1:縦2.5が標準だけど、同地域でも店によって微妙にサイズは違う。台石の大きさもぜんぜん違う。どれが正しい、というものはなく、製作者のセンスの問題だったりする。
個々の石屋の意匠、といえば聞こえはいいが、そのサイズの違いにどれほどの意味があるのか、一般人には理解できない。第一見比べたってわからない。
石屋本人だってよくわかってない。ただ、自分はこのサイズ、比率がいいと思っているだけだ。
そうはいってももちろんある程度は大手問屋ベースで既製品となっている。
墓石も今は原石から個人の石工がこつこつ彫刻していくようなことはまずなく、加工業者から製品を仕入れるのが常識。中国などの安い人件費で上がった輸入品も多い。
でも結局大量生産はできない。
同じ部品を作って組み立てるタイプの商品ではなく、あくまで「石」という自然素材をひとつひとつ加工する、という特性をもった商品なのだ。
どんな大手だって基本的には在庫を売るという発想ではなく、見本を並べて受注した段階で新たに作ることが原則となる。
どうせ規格品を作ったって結局ニーズに合わせて一からつくるのだから、既製品が流通しにくい。
さらに、たとえ設計上のサイズを統一したとしても、自然素材相手の個別対応加工品である以上、必ず誤差がでる。
外柵用の石材はある程度寸法どおりで、目地で調整できる範囲のものだが、墓石や墓誌に使う石材はかなりアバウトだ。磨きの精度を追求する分、寸法まで気にしていられないのが実情かもしれない。
手作りのものというのはそういうものだ、と思う人も多いかもしれない。
特に八ヶ岳にはクラフト作家が多く、手作りのもの、職人のものが比較的身近にある。
だが意外と墓石は手作りとはみなされない。作家というより土建屋に近い業種だと思われているフシもある。
確かに今は分業制だから、最初から最後まで全部自分で作っているわけではないのだけど。
最近よく異業種が参入して折込チラシで「墓石一式据付工事込み○○万円」などという広告が入っているせいもあるだろう。
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きわめてドロくさい、アナログな世界の中で、面倒を感じる世界。
でもだからこそ、自分の好きなようにデザインできる自由さがせめてもの救いかもしれない。
お墓づくりは、注文の木造住宅を作るのに似ている。
そう、ご先祖の魂が住むところだから、まさに「家」だ。

2007年5月9日

森のようちえん

北杜市に「森のようちえん」が立ち上がったとの情報を入手し、取材も兼ねて娘と参加してきました。
「森のようちえん」とは自然環境に触れながらの幼児教育。
一日のほとんどを屋外ですごし、特定の遊具やおもちゃではなく、自然の中から子供自ら遊びを見つけていきます。
大人が与えるのは「遊び方のヒント」。
でもある意味子ども達のほうが遊び上手かも。
北杜市の森のようちえん・ピッコロは、移住組のお母さんや保育士の先生によって立ち上げられました。
自然の多い八ヶ岳といえども意外と自然と触れ合う機会は少ないもの。
地元の親ですら、今の親は遊び方を知らないと批判を受ける時代ですが、こういうことに興味を持つのはやはり移住組です。
週3日、日替わりで3箇所の協力施設に集合、その近辺の森や田園を散策します。
火・・・オオムラサキセンター(長坂)
水・・・自然舎(須玉)
木・・・蔵屋グリーンズ(小淵沢)
今日は自然舎さんの日でした。
10時集合、簡単な自己紹介の後さっそく探検が始まります。
ピッコロ2 ピッコロ1

ガールスカウトのリーダーもつとめるボランティアさんが教えてくれる「遊び方のヒント」にしばし夢中。
ピッコロ5 ←たんぽぽの茎をちぎって吹いて音を鳴らす
ピッコロ6 ←たんぽぽおひなさま
ピッコロ3 ←沢で自生クレソンを見つけ生でかじる  
ピッコロ4 ←「苦い・・・」微妙な顔。
森林整備ボランティアの人たちが残したほったて小屋を発見!
ピッコロ7 ←ヒミツ基地だ。
縄を結んで電車ごっこ。ふかふかの枯れ草の山道をトコトコと走る。
ピッコロ8

とっておきの観察道具・多角むしめがね。
ピッコロ9 ←カエルを入れてのぞいてみる。
娘は独り占めしたくて「MOOちゃんがみる!」と大騒ぎ。
かなりヒンシュクだった。「順番」ってそのうちわかってくれるかなあ。
「森のかみさま」に感謝のいのりをささげ、お弁当タイム。
ピッコロ10 ←「あーっ!ありんこがのぼってきたよう!」
丸太に一列に並んで座って先生にご本を読んでもらいます。
ピッコロ11

初めての参加なので、親子ともちょっと緊張。
娘は終始私にべったりとくっついていました。
カッパツなくせに意外とインドア派の娘にとっては、杉の木の皮をむしったり、本を読んでもらっている時間が一番集中していたようです。
そういう一面ものぞけて、それはそれで発見。
強い日差しで疲れたので、遠回りして甲斐大泉駅の「パノラマの湯」につかって帰ってきました。

2007年5月3日

尾白川渓谷の岩と砂

大型連休中日。
今日はお天気が悪いという予想に反して、午後から薄日がさすハイキング日和。
そこで近いのになかなか行けなかった尾白川渓谷へ。
娘は、急な岩場や山道をスタスタと登っていきます。
2才ではやはり危ないという感覚がなく、こっちがハラハラして気疲れするので、渓谷道を30分ほど進んで引き返してきました。
尾白川1

尾白川渓谷の河川近くは花崗岩の岩場になっています。
白のベースにまだらの黒・灰色の斑。
墓石の外柵などに広く使われる白御影と同じ種類です。
もっとも墓石の外柵はもっと巨大な岩場から採石するもので、今ではほぼ指定寸法どおりに完成形になった製品を中国から輸入するのが主流ですが。
この花崗岩が風化してできた砂も粒がそろってきれいです。
新緑美しい渓谷に荒々しい流れを作る白御影の岩場と白い砂場は神聖そのものでした。
この天然砂場でのお山づくりが、娘は一番楽しかったよう。
尾白川2

適度な運動とマイナスイオンたっぷりの森林浴で、身も心もリフレッシュ。
昨年できたばかりの「尾白の湯」へ。
地球規模の地質的溝・フォッサマグナが生んだ、塩沢温泉に続く名湯。
一番のお勧めは源泉の露天風呂。
茶褐色で塩分濃度の非常に高い湯質。西の大関・有馬温泉と似ています。
ハイキング途中で知らないうちに細かいキズが足や首についていたのを気づかされるほど、ぴりぴりと痛い。
長くは入っていられません。
出費。温泉代のみ。
大人も子供も楽しめたハイキングでした。