命のバトンの勉強会
「看取り士」。
人生のその最後の瞬間まで幸せに生きる、そして命のバトンを大切な人に渡す。
そこに、家族とともに寄り添い、お手伝いする人がいます。
先日、看取り士という資格を立ち上げたカリスマ、柴田久美子さんの講演会&「看取り学講座 初級、中級」に2日間かけて参加してきました。
看取り士のことは、12月に発行した石屋通信でも紹介しましたが、いろんな終活の勉強をする中で、私が一番腑に落ちた考え方でした。
団塊の世代の人たちが一気に75才以上を迎える2025年問題。
それに伴って、病院や施設で死を迎えることができなくなるといいます。
にもかかわらず、自宅で看取ることに躊躇する社会。
昔は当たり前のように自宅で看取っていた日本が、
いつのまにか死を遠ざける傾向になってしまったのはどうしてでしょう。
(医療制度が原因、ともいわれていますが)
柴田さんは「人は旅立つ時、25メートルプール529杯分の水を瞬時に沸騰させるくらいのエネルギーを傍らにいる人にわたす」という瀬戸内寂聴さんの表現を例にとり、大切な人を看取ることのすばらしさを自らの活動を通して話してくださいました。
「看取り士」は今少しずつ全国で資格を認定される人が増えてきて、看取りの文化復活が動き出しています。
石屋通信で取材させていただいた山梨県甲府市の岡亜佐子さんに続き、この日長野県茅野市の原房子さんともご縁ができました。
人を看取る、というのは簡単なことではありません。
ましてや長く介護をしなければいけない状況は、きれいごとでは済まされない大変さがあると思います。
なにが一番その人の尊厳を守れるか、そして家族が幸せになれるか。
それを制度に流されず家族みんなで話し合う必要があることを改めて痛感しました。
これはお墓も同じです。
「子どもに迷惑をかけたくないから、お墓はつくらない、片付ける」墓じまいがなんだか流行のようになっている現状に、とても違和感を覚えるのです。
もちろん、石屋だからそういう面に関心が出たのでしょうが、母を亡くしてみてやっぱり、大切な身内のことを考えるのは当然だと思うようになりました。
高度経済成長以降に生まれた、低迷経済を生きる私たち世代(~40代)は、むしろ人とのつながりに飢えていて、伝統や格式を意外とかっこいいと思っていて、魂というスピリチュアルなものを受け入れられる精神性を持っています。
臨終や死後のことは残された者に任せる、それは迷惑ではなくて、愛情。
そんな風に感じられる関係が、今の日本人にあるべき姿だと思うのです。
子育て世代の私たちは、なおさら、そんな姿を子供に見せなければなりません。
もしかしたら、看取り文化をとりもどすことが、少子化問題の解決につながるかもしれません。
看取り学講座の後、柴田久美子さん(前列右)、甲府の岡亜佐子さん(後列左)、茅野の原房子さん(後列右)と。
とっても素敵な笑顔に囲まれました。
魔法のことば「だいじょうぶだよ、」を何度も言ってもらいました(;_:)