おかみブログ

2017年5月13日

京都駅の隠れスポット~石の博物館

用事があって京都に来てます。
 
京都駅のこの未来的な駅ビルができて20周年だとか。
数年前にも実家の家族とここで食事をしたことを思い出しました。
明石、大阪、山梨にそれぞれ住む私たちは京都はアウェイだけどなんとなくやや真ん中くらいの位置感覚。

関西弁、英語、フランス語、中国語、いろんな言葉が飛び交ってます。
 
そんな国際都市を象徴するかのような スポットが、ここ京都駅の一角に。
石の博物館。
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京都駅ビルに使用された73種類を含む、約35カ国288種類の大理石や御影石が24本の柱に埋め込まれています。イタリアやスペインの大理石、アフリカ、ブラジルの御影石などなど。
お墓に使われる、私にとってお馴染みの石もありました。
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左から南アフリカのベルファースト、インパラブラック、イタリアのレッドトラバーチン。
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穴場的な待ち合わせ場所としても。
「じゃあ、イタリアのレッドトラバーチンの前で」なんてちょっとドラマチック。

2015年5月13日

富士見の宝・アララギ派の歌碑にふれる

ある有名な歌人の歌碑の版木を彫る、というお仕事の依頼がありました。
 
世の中には歌碑や仏像の拓本をとる、というたしなみがありますが、
やり方をしらずに石に直接墨を塗りつける輩もいるそうで、
基本、有名な歌碑の拓本は石からとってはいけないことになっています。
その代り、レプリカとして木の彫刻(版木)が存在し、そこから拓本をとり、
例えば床の間に飾ったりするんだそうです。
 
依頼のあった歌碑の版木は、アララギ派の歌人島木赤彦の短歌。
アララギ派は正岡子規の流れをくむ伊藤左千夫が、信州に立ち寄った際出会った島木赤彦と交流を深めて生まれたもの。
富士見町の油屋旅館でしばしば短歌会が催され、そこから富士見の自然や暮らしを表すすぐれた歌が生まれました。
いわば、富士見はアララギ派誕生と発展の地でもあるのです。
 
富士見町図書館のある建物の2階にある「高原のミュージアム」には、アララギ派をはじめ富士見を愛した文豪の足跡が常設されています。


 
また、アララギ派の著名な歌人4人(伊藤左千夫、斉藤茂吉、島木赤彦、森山汀川)の歌碑が、富士見小学校の近くにある富士見公園に建てられています。
この富士見公園は伊藤左千夫の設計で、当時は山々を見渡す絶好のロケーションだったそう。
いまでは住宅が増えたり木が育ったりして葉のあるシーズンに山を望むことは難しいですが、四季折々の木々と歌人たちのどっしりとした石歌碑が立ち並ぶ空間は、訪れる人を穏やかな気持ちにさせてくれる憩いの場になっています。




  
版木の依頼主は、富士見在住の現在のアララギ会の方。
高原のミュージアムの資料室にはそれぞれの歌人の版木がいくつもありますが、赤彦のものが歪みが特にひどく、町からの予算もないことを憂いて、この方が個人として寄付してくださることになりました。
「赤彦先生の歌碑は茂吉先生の書、左千夫先生の歌碑は赤彦先生の書。こんな贅沢な合作は他では見られないんですよ。
富士見はすごい宝があるんだってことを、もっと知ってもらいたい」と熱く語られます。




 
ここも、私の中で新たなパワースポットになりそうです。

2014年11月12日

栗とサビ石の町、恵那part2

恵那探訪PART2。
 
恵那市の名店「恵那川上屋」に行きました。
とことん、<栗>にこだわった和菓子、洋菓子の数々。
 
お菓子のクォリティ、品ぞろえの多さもすばらしいのですが
石屋として注目したいのは、その店舗設計。
恵那錆石をふんだんに使って、高級ながらあたたかみのある店づくりになっています。
 


 
石貼のセンス、いいなぁ。

 
 

 
抽象的なオブジェや石仏も、年月がたちサビがワビになっててすてき。
 
 
 

 
天然のサビがこんな風な模様になっているものをうまく使ってます。




 
もちろんお菓子やおこわもゲットしました。かわいくておいしそうで。
 

 
やっぱり国産恵那錆の風合いは違いますね。和栗ももちろんおいしかったですよ。
 
恵那川上屋→http://www.enakawakamiya.com/

2014年11月11日

栗とサビ石の町、恵那part1

岐阜県南東部、木曽川中流にある恵那峡。
恵那市と中津川市の間に位置し、景勝地として有名です。
 
合併して中津川市になった村の一つに蛭川村(ひるかわ)というのがあります。
黄色味を帯びた花崗岩の産地でもあります。
この石は通称「蛭川御影」や「恵那錆石」と呼ばれています。
 
産地ならではのレジャー施設、「博石館」に家族で遊びに行ってきました。
 
恵那錆石をふんだんに使った、建造物の数々。
小さな輝石に触れられる体験コーナー。
石を身近に感じられるアミューズメントパークです。
結婚式にも使われるらしく、ロマンチックな趣も漂います。
 
パーク内の石の建造物はアート感たっぷり。
 



 
ピラミッド迷路に入ります。行き止まりのところにはあやしげな石像が・・・!
 

 

 
砂の中から小さな輝石を探そう!という体験コーナー。鍵が見つかったらパワーストーンセットプレゼント、ということでみんな必死で探しています。
鍵は見つからなかったけど、探すという行為が面白くて、たくさん石を拾いました。
親が一番真剣になってたりして。
砂のプールも恵那錆できれいです。
 

 
パークのあちこちにちょっと憩えるベンチが。
石造りで重厚なんだけど、デザインも素敵で意外と座り心地がいいのです。


 

 
100年前のアンティークピアノが置いてある、石のホール。
円錐形の建物で、壁は石と漆喰をとりまぜ、ヨーロッパのお城のよう。
とてもよく響くホールでした。


 
この乱石積みもすごい。匠の技です。


 
石を楽器としても使います。カキーン、チーンといい音がします。
 



 
お土産コーナー。恵那錆石を麦飯石に。恵那の産直食品なども。パワーストーンのアクセサリーもすてき。
 

 
雨だったのが残念。晴れの日にまた行きたいです。
石たっぷりの広場でピクニックもできる。博石館へはこちら。
ホームページ→http://www.hakusekikan.co.jp/
アクセス→http://www.hakusekikan.co.jp/access

2014年11月10日

石積みの町、坂本

法事で、滋賀県坂本に行きました。
大津市坂本は私の父の実家があったところです。
今はすぐ近くに住む父の弟が管理しています。
 
子どもたちも含めて家族みんなで坂本に行くのは今回が初めて。
ちょうどいい機会なので、念願の日吉大社をお参りしました。

比叡山坂本。
信長に焼き打ちにされた延暦寺はあまりにも有名ですが、
実は「穴太衆(あのうしゅう)」という石工集団の出身地でもあるのです。
古くは古墳時代に発祥したといわれ、寺院の石工事に携わってきた穴太衆。
戦国時代以降は城郭の石積みを請け負うようになります。
延暦寺は焼き打ちしたものの、石工たちの技術を高く買った信長は、その後安土城の築城にも彼らを起用しました。
今でも大津市坂本穴太と地名を残す門前町には当時の石積みが苔むして多く残っています。
また、彼らの技術を模して近代現代につくられた石積みが、町の通りのあちこちにあり、歴史文化あふれる坂本の町づくりに貢献しています。
 
日吉大社は紅葉の始まり。


 
これは古い石積み。当時のものかも・・・!


 
これはけっこう最近模倣して造られた。こういう技術の伝承も大切ですね。


  
他にも石の建造物がたくさん。
石橋の中には国の重要文化財に指定されているものも。
 

 

 
日吉大社は猿を神の使いとして大切に保護していました。
ここにも。
 

 
あっここにも。

あっ、ここにはホンモノが!


 
ホンモノとみわけがつかない…
 

 
紅葉深まりつつある石の町めぐりは、次なるステージへ。
やっぱり花より団子でしょう。
有名な和菓子屋さん「鶴屋益光」。
ここで、「穴太衆積」もなかをゲット。
これはウケる!


 
今回は時間がなくて延暦寺には行けませんでした。
次回に期待します。

2014年2月8日

会津・お墓めぐり

石屋の全国団体「全国優良石材店の会」の総会が、今年は福島県郡山市で行われました。
全国の石屋さんが集まる会議で、毎年全国のいろいろな都市を会場としていますが、
震災以降、復興の一助になればと東北で行われています。
郡山は会津の入り口で、今年はやはり大河ドラマ「八重の桜」で一躍有名になったところ。
せっかくなので、会津若松まで足をのばしてきました。
会津若松。
「八重の桜」以前の歴史的観光資源といえば、白虎隊と新選組と野口英世だったようです。
白虎隊や新選組の悲話は一般的にも人気のあるものですが、
「八重…」を見てるとそれらは戊辰戦争のほんの一部でした。
幕末から明治にかけての大きな歴史の変換の中に、会津はとっても重要なポイントでかかわっていたんですね。
白虎隊記念館の前にあるお土産茶屋のおやじさんが、いろいろ歴史の話をしてくれました。
おやじさんによる「会津歴史クイズ!」
1.八重の兄・山本覚馬が、戊辰戦争中薩摩藩によって投獄されていたとき、獄中で書いた書物とは?
 ・・・『管見(かんけん)』
 この題名が出てこなくて残念だったけど、「あー、あの、明治政府の骨格になった、民主主義とか教育の必要性とか、女性の地位とか書いたやつ・・??」って言ってたら、マルをくれました。
2.徳川家康、秀忠、家光の3代に仕えた、お坊さんの名前は?
 これも全然名前が出てこなくて、残念。名前が出ない、なんて年だなぁ。
 おやじさん、「春の桜のときにまた来てくれたら答え教えてあげる」
 「会津に関係する人なんですか?」
 おやじさん、ニヤリ「さー、どうでしょう」
 
 悔しいので、ネットで調べました。
 小説にもなったり、ドラマになったり。
 心躍るような逸話もあります。
 おもしろそー。小説読んでみようかな。
 
町あるきのキーは、やはりお墓。
お墓や碑石を通して、会津の歴史を知る。
まずは白虎隊の自刃の地とお墓へ。
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坂本龍馬を暗殺したといわれる人物候補の一人、会津藩士・佐々木只三郎の墓。
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新選組・斉藤一の墓。
局長近藤勇を失ってから、会津藩とともに新政府軍と戦った新選組。
斉藤一は新選組きっての剣の達人でしたが、戦いの後半はやっぱり剣で戦うことに無理を感じていたとか。
戊辰戦争が終わってからも会津に残り、会津女性と所帯を持って、大正4年まで生きながらえます。
新選組の中で、私が一番惹かれる人です。
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蒲生氏郷の墓。
時は戦国末期。信長に仕えた氏郷を、秀吉は東国のおさえとして会津藩主に任命。
キリシタン大名、茶人としても名高い氏郷は、会津の文化や産業発展に大いに貢献したとか。
キリシタンだけど、お墓は五輪塔(仏塔)。
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・・・・つづく

2013年11月4日

またきたよ、いばらき笠間。石と陶芸の町。

茨城県笠間に行ってきました。
ここは真壁や稲田といった、御影石の産地が近いところ。良質の白御影が採れ、石製品の加工場や職人も集まっています。
その他、陶芸の笠間焼も有名。
毎年11月初めの連休には石と陶芸の工芸まつりが開かれます。
今年は「いばらきストーンフェスティバル2013」、「茨城を食べよう。収穫祭」、「笠間焼フェアー陶と暮らしー」が同時開催。それぞれにライブイベントがあって、もりだくさんの会場でした。
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石会場「ストーンフェスティバル」では、茨城の石材業者の展示があります。
心なしか、3年前に来たときより規模が小さくなっているかんじ・・・。
茨城の御影石を使った墓石や庭製品が展示されていたり、来場者の子供むきの遊具(もちろん茨城産御影)があったり。
栗をモチーフにしたキャラクターの大きな石像を、参加者に砥石で磨かせてつるつるにしていく、という体験コーナーにMooとTazがはまっていました。
職人さんの引き臼の目立て作業の見学も勉強になります。
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実は石会場のまえにふら〜っと誘われてしまったのが食べ物コーナー。
やっぱり屋台はいいなぁ。茨城のおいしいものがもりだくさん。
常陸牛、ローズポーク、栗、ごはん、そして地ビール(^O^)
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イベント会場ではプロレスがありました。
ちびっこプロレス教室に参加するTaz。こういうとこ、真っ先に行くのはTazです。
かたや、降り遅れて階段に立ちすくんでいたKuh。レスラーの人に抱きかかえられてリングにあげられてしまいましたー。ラッキー!
「きみたちにはこの人を守りたい!という存在がいますか?」来場者の子供たちへの質問に「おかあさん」「おとうさん」「おばあちゃん」と口々に答え、会場を号泣させるシーンも。
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陶芸コーナー。
本格的な常設展会場のほかに、屋外でテントを並べ、90人もの作家が思い思いの作品を販売していました。
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アート彫刻のコーナー。
石のかけらをこすり合わせると、カエルの鳴き声のような不思議な音が。
もしかしてただのきれっぱしに見えるけど、計算されつくしたかけらなのか?!
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オブジェの前でポーズをとってみせます。
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笠間工芸の丘から市街を見下ろすところに、男女を表した彫刻が。
景観をも取り入れたアートなのです。
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みどころ満載、あそぶところ満載の笠間でした。

2013年4月5日

一茶歌碑を訪ねて

小林一茶の句碑が全国にあることがわかりました。
それなら八ヶ岳の近くにもあるかもしれない。
インターネットで調べたところ、「茅野市玉川菊沢・稲荷神社入口」とあります。
茅野市なら往復2〜3時間かな。
ということで、今日の午後思い立って茅野市玉川までとんできました。
菊沢の稲荷神社はすぐ見つかりました。
小さな無人の神社とはいえ、拝殿はきれいに板がしかれ、舞もできそうな感じです。
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日帰り温泉「望岳の湯」の隣、同じところに公園もあります。
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でも、肝心の句碑が見当たらない・・・。
向い側の共同墓地のほうに行ったり、ウロウロ小半時も探しました。
ここまで来て・・・!
意を決して茅野市役所に電話で問い合わせました。
生涯学習課というところにまわしてもらい、事情を知る人が応対してくれました。
「確かに、稲荷神社の近くにあることになってますね。(資料を見ながら)でも境内の中ではないですね、どう説明したらいいのかな、どこか個人のお宅の近く、と表示されてます」
「その資料をメールかFAXで送っていただくことはできませんでしょうか」
「紙ですので、メールではちょっと・・・。FAXでも見づらいと思われます。来ていただければコピーを差し上げられるのですが」
・・・そうか、やっぱり市役所まで下りなきゃだめか。
正直、午後も小さな予定や仕事が残っていたりしたので、玉川の現地から茅野中心部まで下る(標高が下がるから下る、という言い方になるのです)のは時間的に厳しいものがありました。
でも、せっかくだから今日片付けていきたい。
何を「片付ける」のか、わかりませんが、ここまで来たら意地みたいなもんです。
「わかりました。そちらに伺います」
そう返事して、神社を後にしましたが、なんとなく鼻が利く方向へ行ってみました。
担当者の人の言っていた「個人のお宅の近く」という言葉から、田園の中ではなく、民家が集まる集落内に足を向けました。
公民館があったので、ここで車を停めます。
子供たちが公民館で遊んでいます。
不審者と思われたらどうしよう。
そんな卑屈な思いを抱えながら、代々続いてそうな家に聞いてみようかと、めぼしい家を探し始めたとき。
路地の角に古い石碑や石仏が建っているのが見えました。
これはこれで、ネタになりそうだから撮っておこう、と近づいたところ、
一番端の石碑になにやら文章のようなものが彫ってあるように見えます。
とにかく昔の石に手で彫ってあるので、彫りが浅く、かなりボロボロで文字の判別もしづらいし、ましてや簡易拓本がとれるような状況ではありません。
(お石塔に戒名を追加彫りするとき、前の彫刻文字に合わせるために拓本をとりますが、
簡易拓本と私が言ってるのは、障子紙を石塔にあてて、濃いえんぴつでなぞりとるやり方。
本当の拓本は墨とタンポで丁寧にとっていくのですが、石屋はとりあえず前の人の文字配置がわかればいいので、こういう簡易的な拓本をとっているのです。)
話をもどすと、その文章みたいに見えるものは、よく見るとドンピシャ!一茶の俳句でした。
「我と来て遊べや親のない雀」。
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で、なんで稲荷神社入り口、と情報があるのに、この場所?
それは、この路地から田んぼをつっきってまっすぐ行ったところが神社だからでしょう。
つまり、神社への参道、というわけです。
その距離約300m。
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なあるほど!
すっきり目的物を見つけて得意になった私はさっそく茅野市役所の担当者の人に電話をかけ、「見つかりました!」と報告しました。
あー、すっきりした。

2013年3月31日

石の似合う、栗の町 小布施

黒姫高原のログペンションであたたかい夜を過ごしたあくる日は、またまた肌寒い曇りの日。
でもなんとか雨は持ちそうなので、帰りがけに小布施町に行くことにしました。
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2013年3月30日

ナウマンゾウと小林一茶のふるさと

恐竜大好きなMooのために、古生物つながりで、日本に生息していた古生物を見せてあげようと思ったのが、春休みの家族旅行のきっかけでした。
比較的近場で、でもちょっと八ヶ岳とは違うところ。
ナウマンゾウ博物館のある信濃町野尻湖畔です。
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まだまだ寒々しい湖の様子。
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ここで発掘が行われます。 なんか、背中で語ってるぞ。
ナウマンゾウは日本のあちこちで化石が発掘されていますが、
市民の手で長く発掘作業が行われている野尻湖が有名。
原始の時代の人間にとっては大切な食料であると同時に衣服や道具をつくる材料でもありました。
ナウマンゾウの名は日本でゾウの研究に従事していたドイツ人の「ナウマン」氏に由来して。
そうかー、日本らしい名前じゃなくてちょっと残念な気も。
野尻湖周辺もまだ雪が残っていました。
雪かきをして積み上げられたところがアスレチックみたいでおもしろいらしく、子供たちは泥だらけの雪山によじのぼります。
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ゾウと人間をモチーフにした鉄アートがなかなかおしゃれ。
黒姫山を背景に、写真を撮ってみました。
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湖を一周ドライブし、黒姫山を望むベストスポットで記念撮影。
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さて、ナウマンゾウ博物館が思いのほか早く見終わってしまったので、
宿に行く前にもうひとつ見学を、と
小林一茶記念館に行きました。
一茶についての知識は、数編の俳句以外ほとんどなく、とても勉強になりました。
信濃町は小林一茶の生まれ育ったふるさとです。
今年は一茶生誕250年、誕生日は5月5日。
いつも以上に様々なイベントが、記念館では予定されています。
全国に一茶の句碑があることもわかりました。
ウチの近くにもあるかも。
また調べて、訪れてみたいです。
記念館の裏には集落共同墓地があり、そこに一茶の個人墓と小林家の代々墓もあります。
一茶のお墓棹石がとても長いもの。そのまま俳句を一行で彫れそうな感じでした。
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一茶さん、ありがとう。
信濃町の春はまだ先。
黒姫高原はスキーシーズンの最終段階です。
お泊りはその高原エリアのログハウスペンションを取りました。
八ヶ岳にいるとログハウスをよく目にするのですが、自分が寝泊りすることはほとんどありません。
たまに行くと木の重厚感がめずらしく、山小屋のあたたかみが感じられて、すてきです。
今回は黒姫でその感覚を味わうことにしました。
ログペンション「セシルクラブ」。
しっかり、丸太ログ。
私たちが泊まった一番大きな部屋はロフトがあり、上の子2人はそこが大のお気に入り。
そして、何より嬉しかったのは、お食事のおいしさ。
家庭的ですが、とても上品でいいお味のフレンチでした。
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雪に囲まれた黒姫高原の夜は更けてゆく・・・。