おかみブログ

2017年10月25日

剣道家・蓑輪勝先生の名言

ころころ通信27号、発刊しました。
http://itosekizai.co.jp/korokoro/kp_27
 
今回の「職人気質~その道のプロに聞く仕事へのこだわりと、伝統について思うこと」では
剣道家の蓑輪勝先生にお話を伺いました。 

 
蓑輪先生は北杜市白州町に剣道の道場を持ち、日々小さな子から大人、女性まで指導をされています。
講談社野間道場という、剣道界では大変有名な道場出身で、
長く高校で剣道教員をつとめたあと、平成元年に移住して現道場を開かれました。
山田洋次監督の時代劇三部作といわれる「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」などで剣術指南。
あの、田中泯さん、真田広之さん、木村拓哉さんらに指導をしています。
 
私の知り合いで蓑輪先生の道場に通っている人が何人もいたりして親しみがあり、
白州のコーヒー喫茶店「オータム」でも、常連どおしとしてよくお会いする中で
今回の取材をお願いしちゃいました。

 
前置きが長くなりましたが、その取材の中での名言。
「偲ぶ時間がない人は、歴史はつくれないよね」
もうすぐ開催する、当店も参加するグループ展「偲ぶ時間」のDMをご覧になりながらつぶやかれた言葉です。
 
「剣道は、礼に始まり礼に終わる」というけど、「礼」は相手にしているのと同時に自分にしているんだよ。
自分に礼をするってどういうことかわかる?
敬える自分になろう、っていうことだよ。
靴を脱いだらそろえる、腰骨を立てて姿勢を正す。
こういうことはみんな、ふりかえって自分自身を見直すこと。
お墓や仏壇の前で手を合わせることも、それと同じだと思うよ。
そういう場や対象物は必要だよね。
先祖を敬うから手を合わせる。それは同時に自分を見つめなおすことでもあるんだ。
偲ぶ時間がない人は歴史はつくれない。」


 
展示会会期中の講演会で、何を話そうと考えをまとめていた最中だっただけに、
この蓑輪先生の言葉はストレートに落ちました。
やはり求めるときに求める人や言葉と出遭えるご縁ってあるものです。


2017年10月20日

仏壇仏具展示会「偲ぶ時間」、開催

「偲ぶ時間〜向き合うための仏壇仏具展」に参加することになりました。

  
クラフト作家の提案する、新しいスタイルの祈りの道具。
木工家具作家の清水泰さん、陶芸の森下真吾さん、ガラスの広沢葉子さん、斎藤ゆうさんとのグループ展です。

清水さんの家具はとても緻密で、スタイリッシュ、特に抽斗(ひきだし)の製作を得意としています。
これは、正確な組木が必要な仏壇にぴったりのテイスト!と我が家の仏壇をお願いしたことがあります。
その後清水さんの仏壇は人気を博し、数々のオーダー注文を請けていらっしゃいます。
 
発端は、数年前木工家具作家の清水泰さん(家具工房「ZEROSSO」)と雑談していたこと。
「清水さんの仏壇に、クラフト作家さんたちの作る仏飯器とかおりんとかあったらすてきでしょうねー。」
「住宅事情や暮らし方も変わってきてるから、仏壇もその家に合ったデザインや大きさが求められてますよね」
「祈る気持ちがより表れるような仏壇や仏具のグループ展、しましょうよー」
 
最近になってまたそんな話が出て、清水さんがトントントンっと準備を進めてくれました。
今までなかったテーマの展示会。
ただの作品展ではなく、意味を持ったものにしたい。
仏壇ってなんなのか、お墓は何のために建てられてきたのか。
そんなことが伝わり、考えるきっかけになるような展示会にしようということになりました。
我が家も夫婦で上級終活カウンセラーをとり、少し機が熟してきたのかな、と思います。
  

会期は1週間。
場所は「ロッジ詩游館」内のギャラリー「詩游館ギャラリー」。
小さなスペースですが、いろんな人々が交流の場としてなじみのあるところです。
会期中に「石屋の若おかみと一緒に考える講演会~仏壇・お墓はだれのもの?」を開催しました。
 
 
展示会のことはTVメディアでも取り上げられたり、
北杜市の姉妹提携市である米ケンタッキー州マディソン郡の使節団も立ち寄る、という注目を浴びました。

 

 
今回の展示会はさぐりながら行って、課題もとても多いですが
求められるテーマだということが実感できました。
次回の開催につなげたいと思います。


2017年5月24日

お墓じまい

お墓じまいのご依頼で、墓石撤去作業中です。
お寺の裏山の急斜面に建つお墓で、作業も難航しました。
 
1.道路使用許可申請
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2.カートクレーンの設置
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3.墓石解体
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4.基礎破砕、コンクリガラ回収
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5.さらに掘削
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6.お骨発見、けっこうしっかり形が残ってるものを、壊さないよう一つ一つ拾い上げる。
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7.新しい土を埋め戻し
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石工じゃなくてもできる作業かもしれない。
でも、お墓に対する依頼主さまの思いを受け止めて、お骨に触れることも含める実作業に当たれる訓練をしているのは、
もしかしたら石屋だけかもしれない。

作業じゃなく、仕事として、行います。
寂しいけどね。


2017年5月13日

京都駅の隠れスポット~石の博物館

用事があって京都に来てます。
 
京都駅のこの未来的な駅ビルができて20周年だとか。
数年前にも実家の家族とここで食事をしたことを思い出しました。
明石、大阪、山梨にそれぞれ住む私たちは京都はアウェイだけどなんとなくやや真ん中くらいの位置感覚。

関西弁、英語、フランス語、中国語、いろんな言葉が飛び交ってます。
 
そんな国際都市を象徴するかのような スポットが、ここ京都駅の一角に。
石の博物館。
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京都駅ビルに使用された73種類を含む、約35カ国288種類の大理石や御影石が24本の柱に埋め込まれています。イタリアやスペインの大理石、アフリカ、ブラジルの御影石などなど。
お墓に使われる、私にとってお馴染みの石もありました。
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左から南アフリカのベルファースト、インパラブラック、イタリアのレッドトラバーチン。
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穴場的な待ち合わせ場所としても。
「じゃあ、イタリアのレッドトラバーチンの前で」なんてちょっとドラマチック。


2017年4月10日

我が家のお墓、ついに完成

いとう石材、長年の悲願。
先代を祀るお墓を建てる。
 
石屋の先代が52才の若さでこの世を去って、昨年で23回忌。
「いしやの不養生」でずーっとお墓を建ててあげられていませんでしたが、
このたびとうとうお墓が完成しました。
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先代の息子にして、石屋の4代目である現若だんなのアタマの中はいったいどうなっているのやら。
お客様に提案するものではないとはいえ、正式な図面もなく、
職人や協力石材加工工場専務と、あーだこーだやりとりし、
ウチにある原石をこれでもか、というくらいデカイまま使用した外柵。
その原石は今では幻ともいえる、ブランドの甲州御影石「塩山石」。
枯渇に近くなり、同時に丁場の職人も廃業が相次ぎ、今ではほとんど(というか全く?)採石されていません。
20年以上前に先代が買い占めておいた原石やスラブ材ですが、
皮肉なことに、中国に材料も加工も丸投げしたほうが安い今の時代となっては
無用の長物化していたのです。
それが、息子の手によってやっと日の目を見た!
涙、涙、の物語のはずですが、いや。。。しかし・・さすがにこの巨石文明もどきの大胆すぎる使い方はいかがなものかと・・・

・・・という工場での仮組み段階での心配は、
いざ現場で本組みしてみたら、以外にもすっと八ヶ岳山麓の墓地に適合したのでした。
 
でもやっぱり大きいけどね(^^;)
 
メインの碑石は、これまた幻の甲州安山岩「本山崎石」。
中国で似たような目の細かい安山岩も「中国山崎」とか「河北山崎」とかいう銘柄で安価に手に入れられる時代。
先代が直接目利きして加工を指示した本山崎の五輪塔は、やはり値打ち物なのでした。
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石屋だけに、石のブランドに一言も二言もうんちくしたくはなりますが、
やはりお墓はこころが大事。
 
念願のお墓にお父さんのお骨を入れ、お寺さんに魂を入れてもらうと
なんだかとても落ち着きます。
子供も友人も静かに手を合わせた後は、よじ登ったり腰かけたり、ひとしきり楽しんでいってくれます。
 
そして気付いた。
私もここに入るんだなぁ。(感涙)
 
お父さん、これからも私たちを見守ってください。
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(工事中の様子)
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2017年3月3日

命のバトンの勉強会

「看取り士」。
人生のその最後の瞬間まで幸せに生きる、そして命のバトンを大切な人に渡す。
そこに、家族とともに寄り添い、お手伝いする人がいます。
  
先日、看取り士という資格を立ち上げたカリスマ、柴田久美子さんの講演会&「看取り学講座 初級、中級」に2日間かけて参加してきました。
  
看取り士のことは、12月に発行した石屋通信でも紹介しましたが、いろんな終活の勉強をする中で、私が一番腑に落ちた考え方でした。
  
団塊の世代の人たちが一気に75才以上を迎える2025年問題。
それに伴って、病院や施設で死を迎えることができなくなるといいます。
にもかかわらず、自宅で看取ることに躊躇する社会。
昔は当たり前のように自宅で看取っていた日本が、
いつのまにか死を遠ざける傾向になってしまったのはどうしてでしょう。
(医療制度が原因、ともいわれていますが)
 
柴田さんは「人は旅立つ時、25メートルプール529杯分の水を瞬時に沸騰させるくらいのエネルギーを傍らにいる人にわたす」という瀬戸内寂聴さんの表現を例にとり、大切な人を看取ることのすばらしさを自らの活動を通して話してくださいました。
  
「看取り士」は今少しずつ全国で資格を認定される人が増えてきて、看取りの文化復活が動き出しています。
石屋通信で取材させていただいた山梨県甲府市の岡亜佐子さんに続き、この日長野県茅野市の原房子さんともご縁ができました。
  
人を看取る、というのは簡単なことではありません。
ましてや長く介護をしなければいけない状況は、きれいごとでは済まされない大変さがあると思います。
なにが一番その人の尊厳を守れるか、そして家族が幸せになれるか。
それを制度に流されず家族みんなで話し合う必要があることを改めて痛感しました。
 
これはお墓も同じです。
「子どもに迷惑をかけたくないから、お墓はつくらない、片付ける」墓じまいがなんだか流行のようになっている現状に、とても違和感を覚えるのです。
もちろん、石屋だからそういう面に関心が出たのでしょうが、母を亡くしてみてやっぱり、大切な身内のことを考えるのは当然だと思うようになりました。
高度経済成長以降に生まれた、低迷経済を生きる私たち世代(~40代)は、むしろ人とのつながりに飢えていて、伝統や格式を意外とかっこいいと思っていて、魂というスピリチュアルなものを受け入れられる精神性を持っています。
 
臨終や死後のことは残された者に任せる、それは迷惑ではなくて、愛情。
そんな風に感じられる関係が、今の日本人にあるべき姿だと思うのです。
子育て世代の私たちは、なおさら、そんな姿を子供に見せなければなりません。
もしかしたら、看取り文化をとりもどすことが、少子化問題の解決につながるかもしれません。

看取り学講座の後、柴田久美子さん(前列右)、甲府の岡亜佐子さん(後列左)、茅野の原房子さん(後列右)と。
とっても素敵な笑顔に囲まれました。
魔法のことば「だいじょうぶだよ、」を何度も言ってもらいました(;_:)
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2016年12月1日

命を引き継ぐ瞬間に寄り添う

石や・ころころ通信25号に掲載した、「職人気質・の道のプロに聞く 仕事へのこだわりと家族のつながりについて思うこと」より。
今回は「看取り士」の岡亜佐子さんにお話を伺いました。

看取り士とは、一般社団法人「日本看取り士会」が認定する民間資格。
ターミナル(回復の見込みがない段階)の人が最期のときを自分らしく迎えることをサポートする。
医療、介護、葬儀に関わる人が資格をとることが多いが、あくまでも「家族」の立場として終末期の人に寄り添う。

岡亜佐子さんは甲府市在住。
介護職員、終活カウンセラー。
4人の子供を育てながら、冠婚葬祭業をベースに幅広い業種の仕事を経験。
透析で通院入退院を繰り返していた父親を病院で看取ったことをきっかけに、終末期にある本人や家族をとりまく昨今の事情について深く考えるようになった。
看取り士派遣の要請に応じる一方、日本看取り士会主催「看取り学講座」での講演や看取りについて話し合う「カフェ・看取り~と」を開催。

―「看取り」とは岡さんにとって何ですか?
言葉として言えば、死ぬ瞬間を看ることですが、そこにはその人の魂を受け継ぐ、という大切な意味があるのです。
人は、出産と同じく、死ぬ瞬間にもものすごいエネルギーを発すると考えられています。
そんな大切なエネルギーならできれば家族に受け継がれてほしい。
「息子」という字は「最後の息を引き受ける子」なんですよ。
最後の瞬間、確実に誰かに命をバトンタッチすること、それが看取りです。
私も今までいろんな人に迷惑をかけて生きてきましたので、看取りの場には「いさせていただく」という気持ちで臨んでいます。
お世話になった社会への恩返し、ならぬ「恩送り」でしょうか。
 
―今、どうして看取り士が必要なのですか?
60年前の日本では、ほとんどの人が亡くなる場所は自宅でした。
それが高齢者の医療費無料の政策が打ち出された1970年代から医療機関で亡くなる人が在宅の人を上回りました。
医療機関に最期をまかせるのが当たり前になり、死と身近に触れる機会が激減してしまったんです。
一方、2025年には団塊の世代が一気に75才以上の後期高齢者になります。
病院や施設での受け入れができず、介護難民は10人に3人、という試算も。
身寄りのない高齢者の孤独死も増えるのでは、と危惧されています。
だからこそ家族の立場で寄り添い、望ましい形での「命のバトンタッチ」ができる人が必要なんです。
また、家族が死を遠ざけたりせずきちんと向き合えるようにサポートするのも看取り士の大切な役割です。
日本人がもともと持っている看取りの文化を呼び起こしたいです。
 
―死を考えるにあたって、何が大切ですか?
核家族化が進んで、高齢者が子どもや孫と一緒に暮らしてないケースが増えていますが、だからこそ「受援力」つまり援助を受ける勇気が大切だと思うんです。
東日本大震災以降「絆」という言葉がよくつかわれますが、これはもともと馬や牛のたずなのこと。転じて「しがらみ」「束縛」という意味もあります。
でもそれを排除してただ好き勝手にすることが本当の自由や幸せかどうか。
介護は親が命がけでする最後の子育て、とも言います。
「子どもに面倒をかけたくない」という遠慮で、子や孫が大切なものを受け継ぐチャンスを断ち切ってしまわないでほしい。
本人の決意と家族の覚悟をしっかり共有することが大切だと思います。
看取りは良いことを積み重ねてきたエネルギーを渡す場面。
死は命日でもあり、再誕生でもあるのです。
 
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2015年6月26日

北野天神社 菅公一千百年

小淵沢にある北野天神社が今年「菅公一千百年」にあたるとされ、記念碑を建てました。
竣工を記念し、昨日は盛大な神事が執り行われました。


 

 
小淵沢北野天神社(旧郷社壱之宮)設立一千百年とは。
西暦915年(延喜十五年)、字天神森に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀り「郷社壱之宮」が設立されたことに、由来しているようです。
それ以前より、菅原道真没後世の中が荒れたことで日本各地で道真公を祀る天神社ができてきており、
郷社壱之宮もその流れで天神社としてあったものとされます。
その後西暦987年(永延元年)、京都北野天満宮から正式に菅原道真の神霊を勧請し、「北野天神社」ができました。
 
北野天神社のある小淵沢久保地区には古いお神楽が伝承されていて、
毎年10月第一日曜日の「秋祭」で舞われています。
 
今回の記念事業を機に、学問の神様として入園入学入試などの折に、いっそう町民のみなさんに参拝してほしいものです。
 
小淵沢久保区の区民は基本、全戸氏子となり、今回の碑石建立は氏子のみなさんの寄付によって建てさせていただきました。
氏子衆と関係者には、区より記念品として日章旗が配られました。
久保集落ではこれから祝日に各家で日の丸が掲げられた様子が見られるかもしれません。
日の丸を掲げる家が少なくなってきた現代、町の風物詩となりそうです。


 
山梨日日新聞さんと八ヶ岳ジャーナルさんが取材に来てくれました。


 
トチノキは町指定重要文化財。
とても樹形がよいです。
「モチモチの木」のようですね。


2015年6月24日

小淵沢小学校町たんけん

今年も来てくれました。
小淵沢小学校2年生、町たんけん。


 
今年は男子ばかり5人、ですがとてもまじめで人の話をよく聞く、いい子たちでした。


 
「石はたいせつなことばやおもいを、伝えたりのこしたりするのにぴったりなんですよ」とおはなしし、「大切なじぶんの名前」を彫る体験をしてもらいました。


 
彫る、と言っても実際にサンドブラストで彫るのは職人のおにいさんなのですが、その手前の、石にマスクゴムを貼るまでの作業を。こういう工程で彫る、というのを知ってもらえれば十分です。
石材切断用の大きな機械も見てもらいました。


   
それから大切なお墓のはなし。
思いをこめたい、伝えたいからお墓には石が使われるということ。
お墓はおじいちゃんおばあちゃんに会えるところであると同時に、自分のいまのきもちや将来のことを考えたりできる場所、というおはなしをしました。
  
5年目になる、小学生社会科見学受け入れ。
ほぼ同じようなことをやっていますが、毎年少しずつ反応が違ってとても面白いです。


2015年5月13日

富士見の宝・アララギ派の歌碑にふれる

ある有名な歌人の歌碑の版木を彫る、というお仕事の依頼がありました。
 
世の中には歌碑や仏像の拓本をとる、というたしなみがありますが、
やり方をしらずに石に直接墨を塗りつける輩もいるそうで、
基本、有名な歌碑の拓本は石からとってはいけないことになっています。
その代り、レプリカとして木の彫刻(版木)が存在し、そこから拓本をとり、
例えば床の間に飾ったりするんだそうです。
 
依頼のあった歌碑の版木は、アララギ派の歌人島木赤彦の短歌。
アララギ派は正岡子規の流れをくむ伊藤左千夫が、信州に立ち寄った際出会った島木赤彦と交流を深めて生まれたもの。
富士見町の油屋旅館でしばしば短歌会が催され、そこから富士見の自然や暮らしを表すすぐれた歌が生まれました。
いわば、富士見はアララギ派誕生と発展の地でもあるのです。
 
富士見町図書館のある建物の2階にある「高原のミュージアム」には、アララギ派をはじめ富士見を愛した文豪の足跡が常設されています。


 
また、アララギ派の著名な歌人4人(伊藤左千夫、斉藤茂吉、島木赤彦、森山汀川)の歌碑が、富士見小学校の近くにある富士見公園に建てられています。
この富士見公園は伊藤左千夫の設計で、当時は山々を見渡す絶好のロケーションだったそう。
いまでは住宅が増えたり木が育ったりして葉のあるシーズンに山を望むことは難しいですが、四季折々の木々と歌人たちのどっしりとした石歌碑が立ち並ぶ空間は、訪れる人を穏やかな気持ちにさせてくれる憩いの場になっています。




  
版木の依頼主は、富士見在住の現在のアララギ会の方。
高原のミュージアムの資料室にはそれぞれの歌人の版木がいくつもありますが、赤彦のものが歪みが特にひどく、町からの予算もないことを憂いて、この方が個人として寄付してくださることになりました。
「赤彦先生の歌碑は茂吉先生の書、左千夫先生の歌碑は赤彦先生の書。こんな贅沢な合作は他では見られないんですよ。
富士見はすごい宝があるんだってことを、もっと知ってもらいたい」と熱く語られます。




 
ここも、私の中で新たなパワースポットになりそうです。