石の旅 広島編
全優石の総会、今年は広島で行われました。
夫の会議出席にくっついて、家族で行ってきました。
いつも明石の実家に帰る鉄道ルートにて。
小淵沢→(中央線)塩尻 →(中央西線特急しなの)名古屋 →(新幹線のぞみ)広島
小淵沢から朝7時半に出発して、1時半には広島についてしまうのですから、
世の中便利になったものです。
大学時代の後輩が住んでいるので平和記念公園を案内してもらいました。
彼のお父さんはじめ、お身内で被爆された方もいて、彼はその思いを受け止め、案内の声にも静かな祈りの気持ちが込められているように感じました。
記録や思いを後世に残すにはやはり石が使われます。
平和記念公園にはたくさんの石記念碑がありました。
原爆ドームは、投下直後の姿を残すため何度も保存工事が行われていますが、今また耐震工事が行われています。足場の組まれてあるドームの姿を見るのも今だからこそ。
投下後もかろうじて全壊しなかった元安橋。でも御影石の含有物のところどころがマグマのように溶けた状態になったということです。
原爆の子記念碑。折り鶴を折り続けた被爆者貞子さんの話は長女にもよく伝わったようです。
原爆死没者慰霊碑。ここからちょうど献花台の向こうに原爆ドームが見えるのです。平和祈念式典のときに映し出されるので有名なアングル。
投下の瞬間を指した時計を模した記念碑。周りには当時の瓦や石の瓦礫が集められています。
それから、広島は川の多い町で、古くから護岸整備が行われています。
川の石積みは江戸時代に完成したもので、見ごたえのある景観を築いています。
潮の満ち引きが大きく、もっとも大きい差が4mだとか。
…と説明してくれたのは、リバークルーズの運転手のおねえさん。
この回は私たち親子の貸切状態で、ほとんどマンツーマンでガイドしていただきました。
長女は小学4年生。
資料館で展示されているものから訴えられる痛みを直接感じてしまう年でもあります。
こわい思いをしたので、最期は鶴を折って、平和を願いながら公園を後にしました。
世界も、家庭も、平和でありますように。
平和の発信地としての役割を担う、広島。
石がそのシンボルとして、永遠に人のこころに届きますように。
それから、広島は川の多い町で、古くから護岸整備が行われています。
川の石積みは江戸時代に完成したもので、見ごたえのある景観を築いています。
潮の満ち引きが大きく、もっとも大きい差が4mだとか。…と説明してくれたのは、リバークルーズの運転手のおねえさん。この回は私たち親子の貸切状態で、ほとんどマンツーマンでガイドしていただきました。
広島観光の時間が短すぎて、宮島にも行けなかったし、グルメも堪能できなかったし、またいつかぜったい行かなきゃ!