おかみブログ

2017年3月3日

命のバトンの勉強会

「看取り士」。
人生のその最後の瞬間まで幸せに生きる、そして命のバトンを大切な人に渡す。
そこに、家族とともに寄り添い、お手伝いする人がいます。
  
先日、看取り士という資格を立ち上げたカリスマ、柴田久美子さんの講演会&「看取り学講座 初級、中級」に2日間かけて参加してきました。
  
看取り士のことは、12月に発行した石屋通信でも紹介しましたが、いろんな終活の勉強をする中で、私が一番腑に落ちた考え方でした。
  
団塊の世代の人たちが一気に75才以上を迎える2025年問題。
それに伴って、病院や施設で死を迎えることができなくなるといいます。
にもかかわらず、自宅で看取ることに躊躇する社会。
昔は当たり前のように自宅で看取っていた日本が、
いつのまにか死を遠ざける傾向になってしまったのはどうしてでしょう。
(医療制度が原因、ともいわれていますが)
 
柴田さんは「人は旅立つ時、25メートルプール529杯分の水を瞬時に沸騰させるくらいのエネルギーを傍らにいる人にわたす」という瀬戸内寂聴さんの表現を例にとり、大切な人を看取ることのすばらしさを自らの活動を通して話してくださいました。
  
「看取り士」は今少しずつ全国で資格を認定される人が増えてきて、看取りの文化復活が動き出しています。
石屋通信で取材させていただいた山梨県甲府市の岡亜佐子さんに続き、この日長野県茅野市の原房子さんともご縁ができました。
  
人を看取る、というのは簡単なことではありません。
ましてや長く介護をしなければいけない状況は、きれいごとでは済まされない大変さがあると思います。
なにが一番その人の尊厳を守れるか、そして家族が幸せになれるか。
それを制度に流されず家族みんなで話し合う必要があることを改めて痛感しました。
 
これはお墓も同じです。
「子どもに迷惑をかけたくないから、お墓はつくらない、片付ける」墓じまいがなんだか流行のようになっている現状に、とても違和感を覚えるのです。
もちろん、石屋だからそういう面に関心が出たのでしょうが、母を亡くしてみてやっぱり、大切な身内のことを考えるのは当然だと思うようになりました。
高度経済成長以降に生まれた、低迷経済を生きる私たち世代(~40代)は、むしろ人とのつながりに飢えていて、伝統や格式を意外とかっこいいと思っていて、魂というスピリチュアルなものを受け入れられる精神性を持っています。
 
臨終や死後のことは残された者に任せる、それは迷惑ではなくて、愛情。
そんな風に感じられる関係が、今の日本人にあるべき姿だと思うのです。
子育て世代の私たちは、なおさら、そんな姿を子供に見せなければなりません。
もしかしたら、看取り文化をとりもどすことが、少子化問題の解決につながるかもしれません。

看取り学講座の後、柴田久美子さん(前列右)、甲府の岡亜佐子さん(後列左)、茅野の原房子さん(後列右)と。
とっても素敵な笑顔に囲まれました。
魔法のことば「だいじょうぶだよ、」を何度も言ってもらいました(;_:)
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2016年12月1日

命を引き継ぐ瞬間に寄り添う

石や・ころころ通信25号に掲載した、「職人気質・の道のプロに聞く 仕事へのこだわりと家族のつながりについて思うこと」より。
今回は「看取り士」の岡亜佐子さんにお話を伺いました。

看取り士とは、一般社団法人「日本看取り士会」が認定する民間資格。
ターミナル(回復の見込みがない段階)の人が最期のときを自分らしく迎えることをサポートする。
医療、介護、葬儀に関わる人が資格をとることが多いが、あくまでも「家族」の立場として終末期の人に寄り添う。

岡亜佐子さんは甲府市在住。
介護職員、終活カウンセラー。
4人の子供を育てながら、冠婚葬祭業をベースに幅広い業種の仕事を経験。
透析で通院入退院を繰り返していた父親を病院で看取ったことをきっかけに、終末期にある本人や家族をとりまく昨今の事情について深く考えるようになった。
看取り士派遣の要請に応じる一方、日本看取り士会主催「看取り学講座」での講演や看取りについて話し合う「カフェ・看取り~と」を開催。

―「看取り」とは岡さんにとって何ですか?
言葉として言えば、死ぬ瞬間を看ることですが、そこにはその人の魂を受け継ぐ、という大切な意味があるのです。
人は、出産と同じく、死ぬ瞬間にもものすごいエネルギーを発すると考えられています。
そんな大切なエネルギーならできれば家族に受け継がれてほしい。
「息子」という字は「最後の息を引き受ける子」なんですよ。
最後の瞬間、確実に誰かに命をバトンタッチすること、それが看取りです。
私も今までいろんな人に迷惑をかけて生きてきましたので、看取りの場には「いさせていただく」という気持ちで臨んでいます。
お世話になった社会への恩返し、ならぬ「恩送り」でしょうか。
 
―今、どうして看取り士が必要なのですか?
60年前の日本では、ほとんどの人が亡くなる場所は自宅でした。
それが高齢者の医療費無料の政策が打ち出された1970年代から医療機関で亡くなる人が在宅の人を上回りました。
医療機関に最期をまかせるのが当たり前になり、死と身近に触れる機会が激減してしまったんです。
一方、2025年には団塊の世代が一気に75才以上の後期高齢者になります。
病院や施設での受け入れができず、介護難民は10人に3人、という試算も。
身寄りのない高齢者の孤独死も増えるのでは、と危惧されています。
だからこそ家族の立場で寄り添い、望ましい形での「命のバトンタッチ」ができる人が必要なんです。
また、家族が死を遠ざけたりせずきちんと向き合えるようにサポートするのも看取り士の大切な役割です。
日本人がもともと持っている看取りの文化を呼び起こしたいです。
 
―死を考えるにあたって、何が大切ですか?
核家族化が進んで、高齢者が子どもや孫と一緒に暮らしてないケースが増えていますが、だからこそ「受援力」つまり援助を受ける勇気が大切だと思うんです。
東日本大震災以降「絆」という言葉がよくつかわれますが、これはもともと馬や牛のたずなのこと。転じて「しがらみ」「束縛」という意味もあります。
でもそれを排除してただ好き勝手にすることが本当の自由や幸せかどうか。
介護は親が命がけでする最後の子育て、とも言います。
「子どもに面倒をかけたくない」という遠慮で、子や孫が大切なものを受け継ぐチャンスを断ち切ってしまわないでほしい。
本人の決意と家族の覚悟をしっかり共有することが大切だと思います。
看取りは良いことを積み重ねてきたエネルギーを渡す場面。
死は命日でもあり、再誕生でもあるのです。
 
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2015年6月26日

北野天神社 菅公一千百年

小淵沢にある北野天神社が今年「菅公一千百年」にあたるとされ、記念碑を建てました。
竣工を記念し、昨日は盛大な神事が執り行われました。


 

 
小淵沢北野天神社(旧郷社壱之宮)設立一千百年とは。
西暦915年(延喜十五年)、字天神森に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀り「郷社壱之宮」が設立されたことに、由来しているようです。
それ以前より、菅原道真没後世の中が荒れたことで日本各地で道真公を祀る天神社ができてきており、
郷社壱之宮もその流れで天神社としてあったものとされます。
その後西暦987年(永延元年)、京都北野天満宮から正式に菅原道真の神霊を勧請し、「北野天神社」ができました。
 
北野天神社のある小淵沢久保地区には古いお神楽が伝承されていて、
毎年10月第一日曜日の「秋祭」で舞われています。
 
今回の記念事業を機に、学問の神様として入園入学入試などの折に、いっそう町民のみなさんに参拝してほしいものです。
 
小淵沢久保区の区民は基本、全戸氏子となり、今回の碑石建立は氏子のみなさんの寄付によって建てさせていただきました。
氏子衆と関係者には、区より記念品として日章旗が配られました。
久保集落ではこれから祝日に各家で日の丸が掲げられた様子が見られるかもしれません。
日の丸を掲げる家が少なくなってきた現代、町の風物詩となりそうです。


 
山梨日日新聞さんと八ヶ岳ジャーナルさんが取材に来てくれました。


 
トチノキは町指定重要文化財。
とても樹形がよいです。
「モチモチの木」のようですね。

2015年6月24日

小淵沢小学校町たんけん

今年も来てくれました。
小淵沢小学校2年生、町たんけん。


 
今年は男子ばかり5人、ですがとてもまじめで人の話をよく聞く、いい子たちでした。


 
「石はたいせつなことばやおもいを、伝えたりのこしたりするのにぴったりなんですよ」とおはなしし、「大切なじぶんの名前」を彫る体験をしてもらいました。


 
彫る、と言っても実際にサンドブラストで彫るのは職人のおにいさんなのですが、その手前の、石にマスクゴムを貼るまでの作業を。こういう工程で彫る、というのを知ってもらえれば十分です。
石材切断用の大きな機械も見てもらいました。


   
それから大切なお墓のはなし。
思いをこめたい、伝えたいからお墓には石が使われるということ。
お墓はおじいちゃんおばあちゃんに会えるところであると同時に、自分のいまのきもちや将来のことを考えたりできる場所、というおはなしをしました。
  
5年目になる、小学生社会科見学受け入れ。
ほぼ同じようなことをやっていますが、毎年少しずつ反応が違ってとても面白いです。

2014年2月2日

ビジネス甲州弁講座  「いいようにやっとくれ」

ビジネス甲州弁講座 今日のフレーズは
「いいようにやっとくれ」
お客様へ見積を持って行って、だいたい内容が決まる頃よく聞くことば。
1「あんたを信じてるからしっかりした工事をやってちょうだい」
2「細かいことはよくわからないから、専門家が見て最適と思う方法を採用して」
というニュアンスのほかに
3「金額以上の工事をしてほしい」「ちょっと勉強して」
という意味も含まれます。
類義文として
1は「へぇ、おたくを信用してるで。」
2は「こまけえことはわからんだ」
3は「ちったあ負かるら」
…?どうでしょう、地元の方々。
私にはそういう風にとれるのですが。
こわいなー、甲州商人気質。

2013年12月11日

山を登る人

ころころ通信16号の編集を始めました。
今年の夏はとても忙しく、おまけに新しいライターの仕事も始めてしまって、
秋に出そうと思っていた通信が1回飛んでしまいました。
待っててくれている人がどのくらいいるかわかりませんが
石やお墓の情報を伝えていくためには、やっぱり通信は欠かせません。
いいかんじでネタも集まってきたので、いよいよ来年早々には発刊の予定です。
さて、今回の目玉記事のひとつ、「その道のプロにきく仕事へのこだわりとご先祖祀りについて思うこと」。
今回の人は、山岳ガイドの竹内敬一さんです。
八ヶ岳連峰のひとつ網笠山の頂上近くにある山小屋「青年小屋」を経営するかたわら、
山梨県警の山岳救助隊長として数々の危険かつ難しい遭難救助を克服。
日本山岳ガイド協会理事で、八ヶ岳山岳ガイド協会の会長でもあると同時に
登山家としてエベレストなど世界の名峰の登頂経験も豊富な、プロ中のプロ。
そんな人が小淵沢町内のすぐご近所に住んでいらっしゃって、
今年はお住まいの地区の共同墓地の管理役員さんも持ち回りで引き受けていらっしゃいます。
今年はウチもたまたまその地区の仕事が多く、役員さんとしての竹内さんにとてもお世話になりました。
そんなご縁もあって、取材を申し込んだところ快く引き受けてくださいました。
山に登り、人の命も預かる竹内さんが考える「お墓観」とは?
今まとめている最中で、竹内さんにもまだチェックしてもらっていませんが、
限りある字数の中では入りきらなさそうな話で、とても印象に残っていることをここに記しておきます。
伐採に使われてきた日本の伝統的な斧の刃には、片方の面に3本もう片方の面に4本の筋(切れ込み)が入っています。
これは機能に関係することではなく、信仰から来ているとのこと。
4本の筋は「地水火風」、3本の筋は「塩、水、米」を意味する。
つまり大地や自然へのお供えを表す。
伐採にあたり、木の1本1本におきよめをし、祈りをささげることの象徴なんだとか。
ネットで調べてみると若干違う語呂合わせも出てきていますが、
とにかくこれから切る木に対して深い畏敬の気持ちを道具に込めたことが窺えます。
山岳信仰にも象徴されるように、日本人は昔から山に畏敬の念を持っているのです。
ここは、「山は征服するべきもの」と考えて人間の欲するままに自然の形を変えてきた西洋人とは
正反対の理念なのだそうです。
竹内さんの登山には、そんな想いが原点にありました。
通信では、その真摯な姿を紹介できればと思います。

2013年10月4日

ビジネス甲州弁会話 vol.1 「承知だけしといて」

ビジネス甲州弁会話 vol.1
山梨で仕事中によく使う会話を学びましょう。
これであなたも甲州商人。
今日のトピックスは
「承知だけしといて」
こちらが進めている作業で、相手にも関係するけど、特に何かをしてもらうほどでもない時、
「こういうことやってるけど、一応知っといてね、勝手にやるわけにもいかないから」というニュアンスを伝えたいときに使う。…
例えば、お隣の家のお墓工事をするときに、ちょっと横通らせてもらったり道具置いたりするとき。
特に迷惑をかけるようなことはないし、後ちゃんともとどおりにしておくけど、「承知だけしといて」
…というように使う。
標準語では「ご承知おきください」になるんだろうけど、
それではカタイ。
丁寧すぎるとすぐ「あんたどっからお嫁にきたでぇ」と言われてしまう。
でなくても相手に要らぬ気構えをさせてしまう。
かといって「覚えといて」だと軽すぎるし、逆にキツい感じに聞こえる場合もある。
「承知だけしといてください」が最も相手の気持ちにたった柔らかい声かけの言葉なのです。
ではリピートアフターミー。

2013年9月17日

世界遺産、富士山の実力

世界遺産になった富士山。
その経済効果は富士山麓以外にはあまりない、というボヤキの声もあるとか。
いやいや、ちょっと待ってください。
平山郁夫氏が甲斐小泉に美術館を建てた理由を知ってますか。
(・・・って私も最近ある雑誌の編集長に教えてもらったばかりですけど)
シルクロードで幾多の山を見て、その雄姿をえがいてきた氏が、
ここが一番富士山がきれいに見える場所だから、と選んだそうです。
富士山は登るためだけのものではないですよね。
日本中、最もたくさんの場所からその姿を望める山。
関西や東北の一部からも見えるというじゃないですか。
八ヶ岳に住む人間から自慢すると、標高の高い位置からみるために裾野までしっかり見通せること。
しかも田園の向こうに。
見えない地域の人からも、一目でそれが富士山だとわかるフォルム。
絵や写真、映像で見て知っているから。
日本人として知らない者はないほど、有名な山。
先日滋賀のいとこが遊びに来たとき言ってました。
「富士山、見たことないんです」あこがれの口調でした。
それほど、富士山って山は特別なんです。
日本中で愛でられる「日本の象徴」。
誰しも、思わず合掌。
富士山

2013年8月28日

「散骨は、すべきでない」のポイント

時々おじゃまするカフェ、長坂の「ブルーレイ」に久しぶりに立ち寄りました。
奥さんが、「待ってたわ」とばかりに笑顔で迎えてくれ、奥からなにやら取り出してきました。
それがこの本。
「散骨は、すべきでない -埋葬の歴史から-」
著:長澤宏昌
散骨
著者の長澤宏昌さんが奥さんの弟さんなのだそうです。
長澤宏昌氏…山梨県石和町生まれ。考古学専攻。考古博物館学芸員・埋蔵文化財センター主事などの職を経て実家である日蓮宗遠妙寺を継ぎ僧職に。
この本は石屋業界でも大変な話題になっていて、石材業界誌でも大きく記事として取り上げられていました。
もちろん私も知ってましたが、まだちゃんと読んだことはありませんでした。
奥さんは「あなたにあげようと思って、来るのを待ってたの」と言って、本をプレゼントしてくれました。
タイトルからも容易に想像できるように、これは一部ではやっている「散骨」を完全否定する内容です。
わかりやすすぎて、本当に読んでほしい人は手に取らないんじゃないかと心配されるほどです。
この本が出たとき、週刊誌などからはけっこうたたかれたようで。
どんな論理でたたかれたのかというと、
「また、坊主がお布施ほしさに葬儀や墓の費用をふんだくりたいんだろう」というようなもの。
まったく世も末だ。…とブルーレイのマスターもひとしきり熱論。
今の散骨はただのはやり病。
でもその病がかなり深刻な現代病で、人類の存続の危機にまで発展しかねない、核兵器みたいなもの。
今の、「散骨もまた選択肢のひとつ」でよし、とする風潮は、あまりに危険だ。
たとえば日本人として、箸の持ち方使い方に異論を唱える人はいないでしょう。
「箸渡し」とか「迷い箸」「寄せ箸」そのほかいろいろ・・・をしない。
これらはマナーであり、もっといえば日本人の尊厳だ。
個人の自由とかで片付けられる問題じゃない。
長澤上人は、そんな重篤の患者に対して、考古学の観点からわかりやすく埋葬の歴史を紹介し、
人として決して忘れてはならない尊厳を、僧侶としての愛情をもって説いてくれる。
「散骨」、よさそう、と考える人にこそぜひ読んでほしい。
でも、このタイトル見たら、そういう人は手にしないんじゃないですか?
人は自分の考えを肯定してくれるものに近づきたがるから。
だからあなたに渡したかったのよ。
もっとお墓の大切さを広めて。
いや、ウチにも基本、お墓を石で作りたいっていう人しか来ないですから
だから最近商売キビシクて・・・(笑)
それに石屋が言うと「やっぱり儲けたいから墓石をすすめるんでしょ」って言われるし。

ブルーレイさんとはそんな調子で、熱くグチを言い合いました。
筆者長澤上人の文体もとても熱いものです。
「散骨反対」のものでさえ、しばしばとまどうほどの強い語気も。
でもこれが、現代社会への切実な警鐘とこころえ、もう一度原点に帰らなければ、と思います。
最後に本の中から内容を象徴する言葉を引用します。
・このように、縄文人が家族や仲間の遺体を葬るとき、単に穴を掘って遺体を安置し土を被せるというイメージは払拭され、これまで以上の「人間らしい優しさ」をそこに見ることができる。
・埋葬行為は、これまで地球上に誕生したあらゆる生命体の中で、人間だけが行った行為である。
・家族に迷惑をかけたくないという発想、これはいったい何なのだろう。実はこれこそが、もともと日本の社会を支えていた根本を崩壊させる、最悪の考え方なのである。
・もう都会思考はやめたらどうだろうか。その必要がないことを、田舎で示す時代なのだ。
・私たち人間のDNAには埋葬を主体とする葬送行為はすでに織り込まれているのである。それを捨て去ることは人間であることを捨て去ることに等しいのだ。
・墓は物理的には、確かにモニュメントに過ぎないかもしれないが、(中略)そこに集い、報告し、感謝するというまさに心の思いを表す場所なのである。
なお、「散骨」は骨を撒くの意から「撒骨」と漢字表記するべきとの説も多く、夫はこれを支持していますが、
このブログ記事では本のタイトルを引用して、「散骨」に統一しました。

2013年7月24日

桃と歴史と教育の里、穴山を歩く

新府・穴山付近は今、桃の収穫の最盛期。
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かつて武田勝頼時代に築城された新府城は、断崖絶壁の七里岩とそれをはさむように眼下に流れるふたつの川・釜無川と塩川のおかげで、天然の要塞として優れていたといいます。
一般的には武田24将の1人、穴山新君の進言を受けて作ったとされていますが、こののち新君は徳川方に寝返ってしまいます。
名城と信じて建てたのに、当の進言者が内通して落城してしまう、なんて悲しい歴史。
別の解釈として、井上靖の小説『風林火山』では、信玄の側室・由布姫(諏訪氏の姫)の子供を我が子のようにかわいがっていた信玄の軍師・山本勘助が進言したことになっています。
勘助は七里岩が舟のようにみえ、背後に南アルプスと八ヶ岳を望む平地に立ち、幼い勝頼にこの地が天然要塞としてふさわしいことを解いていました。
こっちのほうが救いがありますね。
私は信長好きなので、山梨に住むまで武田氏、とりわけ勝頼なんかはどうでもよかったんですが、(あっこんなこと言うとご近所から火矢が飛んできそう・・・)
ご縁あって武田氏のテリトリーに来たので、悲劇の跡取りぼっちゃんのこともシンパシーを感じるようになりました。
勘助が進言したその場所は、たぶん今のラザウォーク双葉付近だったんじゃないかな、と今日仕事で近くに行ったとき眺めていました。
七里岩と南アルプスと八ヶ岳がちょうどそんな風に見えるのです。
で、仕事の後ちょっとだけ新府・穴山周辺を散策。
実は先日ウチで彫刻した記念碑が穴山の伊藤窪集落に建っているのです。
戦国から時代は変わって、明治〜昭和初期の近代。
文部省唱歌「たなばたさま」の作詞者・権藤はなよが、ここ伊藤窪の出身でした。
先日7月7日の七夕の日に合わせて、権藤はなよ記念碑が建てられました。
「たなばたさま」の歌詞とはなよの経歴を彫ったメイン記念碑が穴山駅前公園に、
そのほかはなよの作詞した童謡6作がそれぞれひとつずつ歌碑として、穴山町周辺の各公民館に。
施工した元請業者は韮崎地元の石屋さんですが、すべての歌碑の彫刻をウチで行いました。
(彫刻専用の機械がそろってるので。)
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あの『たなばたさま』の作詞者が山梨の人だったのねぇ。
いい仕事に関わらせていただきました!
最後はやっぱり桃で締め、でしょう。
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