おかみブログ
2011年1月16日

「間」、「無」、「空」

久しぶりにえほんブログにレビューを3つ公開しました。
むうた♪えほんの部屋
Kuhのお宮参りは身曽岐神社へ。
いつもお願いしている祀官さんはとてもいいお話をしてくれます。
「みそぎ(禊)とはけがれをきれいにすることです。
赤ちゃんはまさに穢れのない状態で生まれてきますが、年を重ねるごとに人は穢れを背負っていきます。
さきほどのような深い呼吸をすることで、皆さんの穢れが清められ、新しい人に生まれ変わったと考えられます。」
今回は厄払いの人と一緒のお参りだったので、こんなお話がまず出ました。
そして、Kuhの名前にちなんだ話も。
『空』とは何もない、実体のない、という意味ですが、実体に執着しないことで本質がわかる、ということでもあります。
神事でも太鼓を打ちますが、太鼓のドンと打って完全に音が消えた無音の状態を感じた後また次の音を打ちます。
この、音が何もない状態「間」が実はとても大事です。
日本文化は「間」の文化といえるでしょう。

そういえば以前、作曲家池辺晋一郎さんもトークショーでそんなことを言ってました。
世界各国に弦楽器があって、その発祥は中東と言われます。
インドのシタール、モンゴルの馬頭琴、中国の二胡、西洋ではギター、そして日本に伝わると琵琶。
文化は大河で生まれ、東へ西へと伝わっていく。
伝わった先でその地の文化と交じり合い、独特のものが生まれていく。
でも日本の先は伝えるところがない、その先は海だから。
だから日本人は次に伝えるエネルギーを別の方面に使った。
つまり、深める。
深めれば深めるほど、緻密になっていき、一見何もないと見えるところにも意味を持たせようとする。
余韻を楽しむ、狭い空間を意識する。

中学時代の国語の教科書でもこんな話があったと記憶しています。
ししおどし。
斜めに設置した竹筒に水を溜め、いっぱいになったら傾いて水を流す、その際竹と石がぶつかり合う音が「コーン」と鳴る。
音がない間があることで、音がしたときにその音をより印象的に聞くことができる。
日本人のわびさび。

Kuhの名前は夫がこだわってつけたものですが、私自身はなかなかうまい説明ができませんでした。
お宮参りをきっかけにあらためてその意味を考えることとなったのでした。