おかみブログ
2013年8月28日

「散骨は、すべきでない」のポイント

時々おじゃまするカフェ、長坂の「ブルーレイ」に久しぶりに立ち寄りました。
奥さんが、「待ってたわ」とばかりに笑顔で迎えてくれ、奥からなにやら取り出してきました。
それがこの本。
「散骨は、すべきでない -埋葬の歴史から-」
著:長澤宏昌
散骨
著者の長澤宏昌さんが奥さんの弟さんなのだそうです。
長澤宏昌氏…山梨県石和町生まれ。考古学専攻。考古博物館学芸員・埋蔵文化財センター主事などの職を経て実家である日蓮宗遠妙寺を継ぎ僧職に。
この本は石屋業界でも大変な話題になっていて、石材業界誌でも大きく記事として取り上げられていました。
もちろん私も知ってましたが、まだちゃんと読んだことはありませんでした。
奥さんは「あなたにあげようと思って、来るのを待ってたの」と言って、本をプレゼントしてくれました。
タイトルからも容易に想像できるように、これは一部ではやっている「散骨」を完全否定する内容です。
わかりやすすぎて、本当に読んでほしい人は手に取らないんじゃないかと心配されるほどです。
この本が出たとき、週刊誌などからはけっこうたたかれたようで。
どんな論理でたたかれたのかというと、
「また、坊主がお布施ほしさに葬儀や墓の費用をふんだくりたいんだろう」というようなもの。
まったく世も末だ。…とブルーレイのマスターもひとしきり熱論。
今の散骨はただのはやり病。
でもその病がかなり深刻な現代病で、人類の存続の危機にまで発展しかねない、核兵器みたいなもの。
今の、「散骨もまた選択肢のひとつ」でよし、とする風潮は、あまりに危険だ。
たとえば日本人として、箸の持ち方使い方に異論を唱える人はいないでしょう。
「箸渡し」とか「迷い箸」「寄せ箸」そのほかいろいろ・・・をしない。
これらはマナーであり、もっといえば日本人の尊厳だ。
個人の自由とかで片付けられる問題じゃない。
長澤上人は、そんな重篤の患者に対して、考古学の観点からわかりやすく埋葬の歴史を紹介し、
人として決して忘れてはならない尊厳を、僧侶としての愛情をもって説いてくれる。
「散骨」、よさそう、と考える人にこそぜひ読んでほしい。
でも、このタイトル見たら、そういう人は手にしないんじゃないですか?
人は自分の考えを肯定してくれるものに近づきたがるから。
だからあなたに渡したかったのよ。
もっとお墓の大切さを広めて。
いや、ウチにも基本、お墓を石で作りたいっていう人しか来ないですから
だから最近商売キビシクて・・・(笑)
それに石屋が言うと「やっぱり儲けたいから墓石をすすめるんでしょ」って言われるし。

ブルーレイさんとはそんな調子で、熱くグチを言い合いました。
筆者長澤上人の文体もとても熱いものです。
「散骨反対」のものでさえ、しばしばとまどうほどの強い語気も。
でもこれが、現代社会への切実な警鐘とこころえ、もう一度原点に帰らなければ、と思います。
最後に本の中から内容を象徴する言葉を引用します。
・このように、縄文人が家族や仲間の遺体を葬るとき、単に穴を掘って遺体を安置し土を被せるというイメージは払拭され、これまで以上の「人間らしい優しさ」をそこに見ることができる。
・埋葬行為は、これまで地球上に誕生したあらゆる生命体の中で、人間だけが行った行為である。
・家族に迷惑をかけたくないという発想、これはいったい何なのだろう。実はこれこそが、もともと日本の社会を支えていた根本を崩壊させる、最悪の考え方なのである。
・もう都会思考はやめたらどうだろうか。その必要がないことを、田舎で示す時代なのだ。
・私たち人間のDNAには埋葬を主体とする葬送行為はすでに織り込まれているのである。それを捨て去ることは人間であることを捨て去ることに等しいのだ。
・墓は物理的には、確かにモニュメントに過ぎないかもしれないが、(中略)そこに集い、報告し、感謝するというまさに心の思いを表す場所なのである。
なお、「散骨」は骨を撒くの意から「撒骨」と漢字表記するべきとの説も多く、夫はこれを支持していますが、
このブログ記事では本のタイトルを引用して、「散骨」に統一しました。