2006年10月17日
御岳信仰のおもかげ
明野の浅尾新田には古い石仏が数多くあります。
山登りをする人ならご存じでしょうが、金峰山は山岳信仰スポットとして古くからあがめられてきました。
明野町はその麓。
現存する石仏は江戸時代のものらしいですが、山岳信仰自体ははるか平安の昔からあったようで、いい具合に風化した石造物を眺めていると、山伏の登山者が歩いていく情景が目に浮かびます。
お地蔵様や観音様。
道行く人が道中の安全を祈って、あるいは修行の無事の全うを願って、そこにいていただくという思いが伝わってきませんか。
それにしても素朴なギモン。
どうして道端に観音さまやお地蔵さまが多いの?と夫に聞いてみました。
仏はいろいろな格というものがあって、有名どころでは「如来」と「菩薩」。
「如来」さまというのは既に悟りを知り、最高位に達した存在で、とどのつまり「いっちゃってる人」です。
それに対して「菩薩」は今まさに修行段階にある存在で、人間からみれば兄弟子みたいなもんでしょうか。
菩薩さまは日々の生活の中で「一緒にがんばろうね」とか「おー、お宅も大変だろうけど、しっかりやれやい」と励ましてくれる人なのです。(甲州弁ではなんて言うのかな?)
だから農作業や山仕事のときにすぐ会えるように、道端にいてもらう、というわけです。
菩薩さまの代表選手が「観音菩薩」と「地蔵菩薩」。
それに対して如来さまは偉い人ですから、やれ屋根つけてやらなきゃ、台つけてやらなきゃ、蓮もいるなー、ということで大掛かりになるので寺にいていただくようになるわけ、とのこと。
初心者でも比較的楽に登れるという金峰山。
道端の菩薩さまを拝み歩きながら、登りたいなあ、秩父連山方向を見ながら秋空に思いをはせる今日この頃です。