俳句会に入門
知り合いに俳句会に誘っていただきました。
俳句…ガラにもないな、と尻込みしていましたが、改めて大家の句を読んでみると五七五の限られた言葉の中にものすごく広い世界が広がっています。(もちろんそうでない作もあるんでしょうが)
短いからこそ、読み手の想像力を働かせ、余韻が残る。
もともと言葉遊びから始まったものだそうですが、それほど身近だったということでしょう。
日本人の言葉に対する頭のよさと芸術性の高さが象徴される、実にウィットに富んだ文化だ!と今さらながら大感動。
私も言葉って好きですが、訓練してないとだらだら書きたい放題書いてしまう。
よし、せっかくのご縁だから訓練させてもらおう!
と言っても、今回は太鼓の練習と重なり、しょっぱなから欠席。
でも「投句だけして」といわれ、頭をひねってみました。
今やインターネット俳句会なんてのもたくさんあるように、文字データさえあれば成り立つ世界。
美しい書で花なんかに結べば雰囲気もでるのでしょうが(あ、それは平安時代の和歌かな)、良い句は体裁を選ばず。
活字でもネットでも伝えることができる、いわば互換性万能。
私も今回はメールで投句しました。
毎回、2つの季語のお題が出されます。
今回のお題は「幟(のぼり)」と「植田(うえた)」
5月頃の季語だそうです。
ウチの前には田んぼがあってもう苗も植わっていて、通りを挟んだ民家には先月まで大きな鯉のぼりが上がっていました。
家の前の景色をみながらしばしボーっと考えてみました。
こういうゆとりを持つことも俳句づくりがなければ普段はあまりないことです。
「幟」についてはその鯉のぼりではなく、通勤途中に毎日見かけるいちごの直売所のものを詠みました。いつもその前を通ると娘がいちごをすごい勢いでほおばっているのを思い浮かべます。
「植田」については、まだ水面が見える田んぼに苗がそよそよと揺れているのがきれいで、先日の快晴の日は富士山まで映っていてダイナミックでしたが、その横を散歩していたときに、娘がうれしがって靴を飛ばしてしまい、結局どこかへいってみつからなかったことがありました。
そういう思い出を五七五にまとめてみました。
はずかしいからここでは公表しません。
この句会ではまず名前を伏せて、出席者がめいめいどの句がいいと思ったかを選びます。
一番いい順に「天」「地」「人」などの評価をつけます。
他の人がどんな句を詠んだのかも知りたかったのですが、私は今回欠席だったのでまだ詳細は聞いていません。
私の「幟」の句も選んでくれた人が何人かいたようです。
でも「幟」と「いちご」は季重なりだったのではないかと心配。
「季重なり」というのは一つの句に季語が複数入っているもので、一般的にはタブーとされています。
しかも幟といちごは微妙に季節がずれている…。
季語って「夏」とか「冬」みたいに漠然と長い期間をあらわすものもあれば、数日間だけのごく短いものもあります。
この言葉がどのあたりの季節をあらわしているのかを知ることも、季節感のない現代では必要な知識かもしれません。
それはそれで、自分でも季語を作っていいんですってね。
例えば「ユーミン」が冬で、「チュ-ブ」が夏、とか。(某サイトのぱくりですが)
いいご趣味、になるといいなぁ。