おかみブログ
2008年7月28日

田舎の葬儀

石屋の大じいさまが亡くなり、今日は葬儀の日でした。
夫の祖父にあたる方で、行年95歳。
亡くなること自体は寂しいですが、最後まで石屋を見守り続けてくれた、一族の長としての立派なご最期でした。
昨日は通夜、おじいさんの暮らしていた一族本宅で。
ご近所の方や「おじいさんに世話になった」と言ってくれるいろんな方々、孫ひ孫の代まで、
入れ替わり立ち替わり訪れて拝んでくれた後は、とりよせたお料理とお酒で歓談。
今日は親族は朝から火葬場〜葬祭会館、移動と待機の長丁場。
その都度出された軽食をとります。
式は地元富士見の葬祭会館で、菩提寺のお坊様6人もお呼びしての大葬儀でした。
式の後の精進落としでは豪華なごちそうがたっぷり出され、飲めや食えやの大賑わい。
生前、おじいさんが「おれの葬式はにぎやかにやってくれ」と遺言を残したそうで、
大往生のおじいさんをむしろ晴れやかに送る、宴会騒ぎとなりました。
葬祭ホール主導の葬儀も今では普通なのですが、
私はやはり十数年前のお義父さんのお葬式と比べてしまいます。
結婚の話も当人同士でほとんどなかった頃、訃報を聞きました。
初めて小淵沢に降り立って、組の人たちの持つ提灯を頼りに公民館にたどり着き、
あふれる人にまぎれて参列しました。
義父には一度も会うことなく、葬儀で初めて遺影で顔をみました。
まだ若くて働き盛りだったこともあり、小さくて古い公民館に延べ1200人の人が訪れたということです。
精進落としのお料理は組の奥さんたちの手料理で、
白和えや煮物、天ぷら、すまし汁をどんどん勧められます。
菊の花を持って、野辺の送りにも参加しました。
町ぐるみでお葬式を運営して、みんなで故人を送り出している感じが伝わってきて
とても新鮮でした。
その頃、白和えってどう作るのかしらなくて、後でお料理本を見ると野菜やこんにゃくを煮て下味を付けたり、豆腐を湯通ししてふきんでしぼったり、結構手間がかかっていることを知って、よけいに感動したものでした。
(もしかしたらあのときのはもっと簡単につくっていたかもしれないけど)
どうやら私のそんな驚きが顔に出ていたのか、地元の人の振る舞いやいでたちとは所詮違和感があったのか、独りで来ていたことが珍しかったのか、片隅にいたつもりだったにも関わらず親戚中で「あのムスメは誰だ」とかなりのウワサになっていたことを、後で知りました。
耳の遠いおばあさん(このたび亡くなったおじいさんの奥さん)に「これからもウチの孫を頼むな」と言われて、社交辞令かと思って、場の流れ上泣きながら「はい」と言ったのも誤解される原因となりました。
いやあ、今思えば笑い話です。
今日みたいに葬祭ホールが全部仕切ってくれることが最近は多くなりました。
同じ組のお葬式も、今は公民館で炊き出しからやるなんてこともありません。
親族も組内衆も一般参列者もみんな上げ膳据え膳。
田舎の冠婚葬祭のおつきあいはどんどん希薄になります。
自分が中に入ってみると実際は楽でいいのですが、
その反面、義父の葬儀の感動をいまだに忘れることができません。