おかみブログ

2011年8月30日

これ、キキカンリのうりょく?

防災の日が近づいています。
毎年地域で防災訓練を行ったり、保育園や学校で引渡し訓練をしたりしますが、
今年はよりいっそう身が引き締まる感があります。
そんな中、Mooも学校でいろいろ勉強してきたよう。
「おかあさん、キキカンリのうりょくある?」
なんだかすごい質問で、タジタジです。
「そうだねぇ。たとえば今日雨が降りそうだから早めに洗濯物を取り込むのは、危機管理能力があるってことかな。」
「じゃあ、おかあさんはいい子ってことだね」
「?」
「キキカンリノウリョクっていい子ってことなんだよ。
おかしをごはんのまえにたべないのはいい子でしょう?だからキキカンリノウリョクがあるってことなの。」
うーむ。。ちょっとちがうような。
この時期に子どもが「危機管理能力」という言葉を習ってくるってことは、やっぱり防災から派生したんでしょうが、
危機管理っていろいろありますよね。
企業の危機管理、家庭内での危機管理、交通事故、資産運用・・。
日本語では「危機」っていうと「危険」「あぶない」「こわい」「避けるべきもの」と、とにかく悪の元凶みたいなイメージだけど、英語で言うLisk ManagementのLiskはちょっと違う。
損益の「損」みたいな感じ。
つまり、いい思いをするためには損することも表裏一体で考えとかなきゃいけない、
あるいは1の損をがまんして9の幸せを手に入れる、みたいな、差し引きしたらプラスになるようにもってく、
そんなことをうまくできるのが「危機管理能力がある」というんだと理解してます。
資産運用なんか、Lisk Managementの最たるもので、
この円高を利用して外貨を買って為替差益を狙う一方で、さらに円高になって定着したりして元本割れをするかもしれないリスク=損を享受するわけです。
さっきの例でいうと
雨が降りそうだから早めに洗濯物を取り込むのはいいけど、
その分早く帰宅することになって足さなきゃいけない用事を残す「損」
あるいはイマイチぱりっと洗濯物が乾いてないかもしれない「損」
そういう「損」をてんびんにかけて、いい方を選ぶ。
あと、意見がわかれるかもしれないけど、
最近の放射能汚染について。
放射能がこわいからコメを買いだめしたりする動きがあるとか。
「子どもがいるから。子どもに被ばくさせたくないから。子どもを守るのは親の役目」という、まことに親の鏡のような発言がテレビで紹介されてました。
そういう人は、今までよりよけいなコストがかかるとか、産地の風評被害を拡大させるとか、他の人の食料を横取りするとか、放射能以外の健康被害発生要素(農薬とか)があるとか、気にしすぎてストレスになるとか、ほかにもいろいろ別の損=Liskを天秤にかけて、それでもそういう行動をとるほうが「自分に得」だから選んだんだと思います。
ウチの場合は、そこまで気にしても子どもを放射能から完全に守れるわけではないと思うし、仮に放射能から守れてもがんで早死にさせる確立が下がるかどうかは別問題だし、守るべきものはもっと他にあるし・・・などなどと思うからそこまでしませんが。
こういうの、危機管理能力に欠けてるって言われちゃうかなぁ。

2011年8月5日

読書の夏

えほんブログを更新しました。
課題図書「エディのやさいばたけ」。家庭菜園をするファミリーに1冊、永久保存版として。
そのほかにもMooは学校の図書室からいろんな本を借りてきました。
その中に「赤毛のアン」がありました。
先生に「Mooさんは本が好きだから、これくらいは読めますよ」とおだてられて借りてきたらしいです。
確かに1週間もすると最後まで読んだ、と報告にきました。
もちろん完全翻訳ではなく、低中学年向けの書き起こしなのですが、
それでも厚み2cmはあり、かなり読み応えがあります。
ストーリー全部が理解できなくてもいいとは思ってましたが、
最後アンは看護婦さんになるといったり、ギルバートとは仲良しになったといったり、
当たらずといえども遠からずなのが面白い。
きわめつけは台詞のまね。
「アンはみずうみを『かがやくこすい』ってつけたの。ダイアナはもっとステキに考えればいいのに、ただの『しらかばどおり』ってつけただけなの。あっ、おかあさん、あたししゃべりすぎる?イヤだったらそういって」
・・・十分でしょう。1年生の読書としては。

2011年7月9日

なつやすみのめあて

Mooの初めての夏休みももうすぐ。
今週末は夏休みの目標を立てる宿題が出ました。
(目標のことを「めあて」というそうです。うーん、古い人間だからちょっと違和感)
「なつやすみにしてみたいこと」3つ。
今年は私の大学の同窓会があるので実家の明石に子供たちをつれて帰る予定にしています。
上記の項目についてのMooの考えたことは・・・
●あかしにいってあかしことばをならう
●かわにいってむしややごをとったりいしをひろう
●そろばんにちょうせん!
良い良い。特にあかしことば。なかなか他の子にはできない経験です。
「せいかつのめあて」
むいのやくそく
ツッコミどころまんさい。
「トイレの神様」に感化されてごりっぱに「といれそうじ」をめあてに挙げた。
「やくそく」の下に「ぜったい」と入れて四角で囲んだり、「かならず」に下線をつけたりして強調。
「おかあさんにやらせない」という言葉遣いもおもしろい。
よく私が言ってる言い方です。「もー!かたづけ、おかあさんにやらせないでよ〜」
などと、意思のつよそうな宣言をしてるくせに、あとから書き足した部分がやけに弱気。
「ねむいときだけおかあさんおねがいします」
とか「1かいでいい」とか。
さて、どうなりますやら。

2011年6月22日

夏至前夜、もう7時だよ

明日は夏至。
日本ではちょうど梅雨どきにあたるから、もっとも日が長いことの開放感を、イマイチ味わい足りないけど、
今日は久々に雨もあがって、ここちよい夕方になりました。
夜7時の田園。
夏至1
Mooは近所にアポなしで遊べる友達ができました。
これって、大事だと思います。
おーいい、もう7時過ぎてるぞー。
夏至2
「まって〜」
Tazもおんなじようにできると自分では思ってるから、どんどん追いかけてkる夏至3

2011年4月14日

それぞれの新学期

4月も中旬。
世間では震災から1ヶ月、という言葉が聞かれるようになりました。
庭のトサミズキが満開。
桜もつぼみがふくらんできてます。
トサミズキ1 トサミズキ2 トサミズキ
もくれん 満開の白木蓮と甲斐駒。
梅 梅も満開。
小1のMooは毎日テンションが高いです。
苦手な早起きもがんばってます。
いつまでもつことやら。そして私も。
「どうしてもやりたい」と何度も言うので、それならとはじめた某大手の通信教育。
4月号は入学前にやってしまったので、少々もてあまし気味。
入学したてはそういう子が多いんでしょうね。
WEB版にはさらに勉強したい子のためのドリルやクイズ問題もびっしり。
いずれ飽きるだろうけど、いまのうちに利用できるものは利用しましょ。
登校
Tazは進級早々水疱瘡に。
小さい頃にかかると軽くてすむという水疱瘡。
園では登園禁止になるけど、熱が出たときにはもう感染力を発揮しているらしいから、保育園で熱が出てあわてて帰されても、その時点でもう他の子にうつっているとみていい。
それでも感染を免れた場合は、逆に「ちょうだい!」と移されたがってる親も多いのです。
Tazはかかるタイミングが微妙でちょうど進級とほぼ同時にかかってしまったのがちょっとやっかいでした。
新しい先生やお友達になれる前だったので、復帰して登園し始めた昨日今日は保育園につくとないてしまう始末。
めずらしい。いつも親なんかほったらかしでさっさと遊びはじめちゃう性格なのに。
そしてKuhは初めて立て抱きスリングだっこでお散歩に行きました。
お天気ニュースでは5月の日和とのこと。
北野天 犬の日にお参りした近くの北野天神社。
誕生のお祝いに町から紙おむつをもらえるので、取りに行くのです。
震災があってから、おむつはなるべく被災地にまわしたいと心がけて、買い足さず布おむつでがんばっていました。
そうするうち、震災前に買い置きしてあった新生児用おむつが少し小さくなってしまったよう。
そこで次の段階のSサイズをもらうことにしました。
誕生から6ヶ月が配布期限です。
保健センターにはおむつの在庫が全種類ありました。
こういう事態のときに、いつとりにくるかもわからないおむつを在庫させておくのは、大変気が引けました。
夫と私は相変わらず。
春だからそれぞれなにか新しいことを始めなきゃとお互い鼓舞しています。
とりあえず、私はそろそろ太鼓の練習を再開させたいと思ってますがね。

2011年4月12日

入学、そして政府からのおてがみ

長女Mooが小学校入学式を迎えました。
本当に、家族そろってこの日を迎えられることに、感謝の気持ちでいっぱいです。
入学式は春らしい、とてもよい日より。
私は石屋の大おかみから譲り受けたピンクの色無地を着ました。
夫のときも大おかみはこれを着て行ったそうです。
今年は特に赤ちゃんもいるし、朝は忙しいから着付けに行ってる暇はないだろうと、自分でがんばって着たので、
ちょっと(かなり)着崩れてますが、まあ半分自己満足の世界だから、今回はいいや。
・・・でもお太鼓が落ちてダラリになっていたのを先生に直していただいたのは、さすがに恥ずかしかったな。
しっかりしてるんだけど、私と同じであちこちに気が散るMoo。
先生のお話中、さっそく防犯ブザーを鳴らしてしまって、教室中にすごい音。
まったくマンガみたいな展開です。
そんなこんなで1年生が始まりました。
はじめの一週間は怒涛のようにプリントが渡されます。
行事のお知らせや宿題プリント、登下校の諸注意・・・。
そんな中に混じっていた文部科学省からの手紙。
政府が一斉にこの文書を学校に流すこと自体が異例で、びっくりしました。
大臣の音読よりプリントのほうが心に響きましたが。
(官僚のシゴトがよかったってことか?!)
しかし、とにかくこの異例の時勢に小学校にあがり、ピカピカの学用品の中、そわそわワクワクしながらテンション高く1年生がはじめられたことは、本当に幸せです。

2011年3月27日

早春の山

ここ2、3日くもりがちな日が続いていましたが、今日はくっきり晴れ。
山がはっきり見える様子は冬のようですが、
春は着実に来ています。
今日は近所に配りものに出かけました。
来年度から隣組(いわゆる町内会の各班)の組長の回り番です。
ウチを除いて11軒。
たいした距離ではないのですが、
都会と違って太い道沿いのすぐ道路ぎわにポストがあるわけではないのが、
慣れないと面倒。
なかには家の中の玄関や縁側に置いてきたほうがいいお宅もあったりして。
田舎のわりには密集している地区ですが、それでも隣の家に行くのに森の中や畑の間を通ったりします。
いい散歩道です。
早春の山2 ←八ヶ岳
早春の山1 ←南アルプス

2011年3月25日

被災地にいるおともだちへ

被災地に本を送ろうという活動に参加しようと思い、
Mooと絵本を選ぶことにしました。
義援金ではなく、現物の本を送るときに一番大切なのは、
「読んでもらいたい」という気持ちだと思います。
廃品回収ではないのだから、ぼろぼろだったり、おもしろくない本だったりするものはかえって迷惑です。
もちろん、Aさんにとっておもしろくない本でもBさんにとってはおもしろいかもしれない。
そのあたりはせめぎあいです。
我が家で要らない本といえば、毎月配本されてきた「●●何月号」というようなムック的なものです。
これは自分の思いいれが低い。
内容もたいして濃いものもない。
こういうものは毎月自分あてに来るから楽しみなのであって、じっぱひとからげ的に送られても、どうかな、と首を傾げてしまいます。
第一いかにも廃品回収的で心がこもってない。
もしかしたらそれなりに喜んでくれるかもしれないけど、一応こういうものははずしました。
こういうものは、版元や販売店の役目で、それこそ企業ボランティアの一環としてどさっと新品を送ってあげればいい。
Mooがもう読まなくなった本でも、TazやKuhに読んであげたい本も多いのですが、
そこはすっぱり自分も身を切る思いで、エイヤっと手放してしまおう。
「あなたがおもしろいと思ったもので、もうあげてもいい、と思うものを選ぼうか」
Mooが選んできたのは
「すてきなあまやどり」でした。

「どうしてこれを送ってあげようと思ったの?」
「だっておもしろいじゃん。」
「どこがおもしろかった?」
「ぶたちゃん、ちゃんとあまやどりできたのに、びしょぬれなの」
「おもしろいけど、あげちゃっていいの?」
「うん、もういっぱいよんだから」
マザーグースのかぞえうたのようなナンセンスなおもしろさの裏に、
ブタとヤギの友情、生活感が感じられる、
ちょっとファンタジックな数の本。
パステル調の絵もあたたかみがあります。

2011年3月24日

被災地に絵本を送ろう

小淵沢在住の絵本作家・杉山亮さんが被災地に絵本を送る活動を始めています。
詳しくは杉山さんのHPで。
3/18、19の記事で詳しく書いていらっしゃいます。
送り先は杉山さんのご自宅(ここではあえて住所は出しません。杉山さんのHPをみてください)
または私(私を知ってる人なら受け付けられます)
または小淵沢図書館(杉山さんと連絡をとってくれると思います)
3/19の記載のところで
人は役に立つものだけでは
長続きしません。
本来、花を飾ったり、絵を描いたり
歌を歌ったりする変な動物です。
でも、そういう変だけど好きなことをする中で
自分の尊厳を保っていくわけで
それができないととてもつらいです。

というところで、泣きそうになりました。
ヒトは変な動物。
杉山さんらしいジョークまじりの、でも切実な思いでした。
杉山さんのHPを見る前にママ友からこの活動を聞いて、
すぐに賛同し、即効、森のようちえんピッコロのママたちに声をかけました。
「廃品回収ではないから、「これはぜひ被災地のこどもたちに読んでもらいたい」と思う本を、1家庭1冊でいいですから持ってきてください。できる方だけでもいいです。」
私自身よくわかってなかった活動の呼びかけに、ピッコロママたちは無条件で応えてくれました。
意識の高い人たちです。
呼びかけの次の日がピッコロの卒園式だったのですが、
そこですでに20冊以上の本が集まりました。
再生復興に必要なのは人間の尊厳だと思います。
尊厳があるから文化的な生活がしたくなる、文化的な生活のために水や食料、燃料が必要、
そして希望のある心です。
今回原発事故の恐ろしさを見て、「やっぱり原発はダメだ」「ほら、みたことか」という人も多いです。
でもより文化的な生活を望み続けた人間集合体の飽くなき欲求が
危険と隣り合わせの装置を生み出したことは、
受け入れなくてはいけない事実だと思います。
どこで欲求と折り合いをつけるのか。
ここまででいいや、と成長(=破壊?)をストップさせる勇気と判断力は、私にはありません。
なにをすればいいのかわからないけど、
絵本を読む行為は少なくとも知的欲求部分の満足度はあがるはずです。

2011年3月7日

新雪かきごおり

朝から雪になりました。
春彼岸前後にはいつもドカっと重い雪がふります。
あたたかくてべちゃべちゃしているのですぐとけてしまいます。
雪の中を飛ぶシジュウカラ。
つかむとすぐかたまってとけてしまう春の雪。
手がすぐにぬれてつめたくなって、真っ赤になる。
大人は想像するだけでやめとくけど、こどもは考える前に五感で確かめます。
食べ物がこんなにあふれて、濃い味のお菓子やジュースにも目がないのに、
それでも雪を見ると口にいれたくなるのがこどもの性分のようで。
Mooはなるべく新しい雪を探して畑や山に入っていったりするのですが、
Tazはやたらとそのへんの雪をさわっては口にいれます。
「たべちゃだめー」大人は雪がきたないと思う。雪かき大変だなーとため息をつく。
こどもは雪をみると純粋にきれいだと思う。
きれいだから触ってみたい、手型足型をつけてみたい、口にいれてみたい。
今は車で移動して、家の中はストーブつけっぱなしであったかくって、食べるものも親に与えられて。
そんな中では少々おなかをこわそうが手がしもやけになろうが、雪に触れる感覚ってとても貴重かもしれません。
新雪がふわふわで冷たい、なんていう感覚が将来仕事に役立つかどうかはわからないけど、
五感を使わなさすぎの私には考えられないほど、こどもの脳の中ではいろんなところが刺激されているにちがいないと思います。
「雪って冷たいけど、おなかに入れるとなんかおなかがあったかくなる」Moo談。
森のようちえんピッコロでは、きれいな新雪にりんごジュースをかけたかき氷を食べます。
強い菌で重い病気にかかるのは防ぎたいけど、少々のことではおなかをこわさない体に育ってほしいものです。