おかみブログ

2012年4月11日

春の本棚

えほんブログ更新しました。→「春の本棚」
春の本
読み聞かせは10才頃までしてあげるといいそうです。
でも、10才どころか1年生になったとたんに、してあげられない〜。
毎日の音読の宿題をきいてやって、明日の用意を促すだけで精一杯です・・・。
もう2年生。この悪しき習慣が長続きしませんように。
その分Tazにもしわよせが。
Mooのときはもっと読んであげてたのになぁ。
だからかどうかわかりませんが、3才半になろうというのにTazはちっとも発音がよくなりません。
「サ行」と「ハ行」が言えない。
心配、というほどでもないのですが、ちょっと専門家に相談してみようかなぁ、なんて思っています。
Kuhは上の子たちより、比較的本をめちゃくちゃにするのが少ないので、しかけえほんもどんどん出してます。
けっこう素直に喜ぶ。
日中一緒にいるんだから、もっと読んであげられそうなもんですが・・・。
春の本棚。
これから季節ごとに入れ替えすることにしよう。
そうすればマンネリ化と余裕のなさから脱出できそう。

2012年4月10日

急ブレーキ

3月中旬から我が家ではちょっとした「想定外」のことがありました。
TazとKuhがそろって入院。風邪をこじらせた喘息でした。11日後に退院できたと思った矢先、またKuhがぶりかえして、再入院。
その間、組内でご不幸。ウチは回り番の組長なので、葬儀委員長になり夫婦でお手伝いに出ました。 
葬儀後、私自身が発熱で寝込んでしまい、無理やり市販の薬で抑えました。
子守要員として頼りにしていた石屋の大おかみも体調をくずし1週間以上も寝込みました。
夫は日常的な寝不足と食生活のアンバランスのせいで免疫力が下がり花粉症がピークに、また持病の腰痛が悪化してギックリ腰に。
Tazは退院後、元気にみえていましたが、数日後の夜中にひどい嘔吐をしました。
Mooも一度夜中にちょっと嘔吐し、学校を休みました。
子供はよく嘔吐しますが、やっぱり半分は精神的な不安定からくるのかもしれません。
そんな中昔の友人と会う機会があり、いろいろおしゃべりしました。40過ぎて出てくる話題はやはり「健康」。自分の健康、家族の健康、育児への不安、介護・・・。みんなが健康でいられることを前提に、日々の仕事や家事のやりくりがおこなわれているけど、いったん一人でも病人が出るとすべてが狂う。もろいもんだな、と思いました。
同時に、入院付き添い生活に慣れてくると、仕事や家事の段取りが少々不便なのはともかく、病院って快適だな、と思えるようにもなってきました。腹をくくれれば、普段できないことが病院でゆっくりできる。読み聞かせしてあげたり、考え事したり、本を読んだり。走りすぎてる毎日に急ブレーキかけて、否が応でも休ませちゃう。
 
夫のギックリ腰、とりあえず一日Kuhに付き添って休んでいる間にだいぶ良くなりました。
私も小説一冊と、漢方医の先生の書いた本を読んだりして、少しゆとりの気持ちがもてました。
病院のプレイルームには児童書もたくさん置いてあります。Moo、Taz、Kuh、それぞれによさそうな本を探すのも楽しみの一つになりました。
病院で
退院間近のKuh
退院記念
退院記念。病院前で。
退院記念2

2012年3月14日

第1394回「ホワイトデーのお返ししましたか?」

バレンタインに同級生に手作りの友チョコを配った1年生のMoo。
男の子も数人入っていました。
本命1人、とかじゃないけど、それでも同級生の男子全員に渡すでもなく、
微妙に数人選んだところが、おもしろいです。
学校には持っていっちゃいけないと思ったので、バレンタインの日は二人で配りにいきました。
その前日に家でチョコ作りをしました。
そうやって先月まいた種が今日はいっせいに花開きました。
男の子たちが義理がたくお返しをくれたのです。
もちろんこれも親御さんが車で一緒についてきてくれました。
小さなpp袋やペーパーバッグに入ったかわいいチョコやクッキー、マシュマロ。
中には手作りのものもあったりして、やっぱりその男の子とお母さんが前日作ってくれたそうです。
親が付き添って動くけど、肝心な渡すシーンでは子供同士ががんばります。
「バレンタイン、ありがとう」「(お返し)ありがとう」とまるでセリフを言うような調子で
照れながら受け渡ししていて、
その後ろで親がニヤニヤしながら見てる、という、なんともほほえましい(?)光景でした。
親子のつながりのほうが強いけど、友達や異性との世界もひろがっていく年齢。
まだまだそのあたりは親が介入できて、楽しいです。
我が家は娘2人に息子1人。
1才の息子には今から「たくさんチョコもらってきてねー、お母さんとおねえちゃんがぜーんぶ食べてあげるからねー」とけしかけてますが
そうなるとお返しも大変だな。
ほどほどにモテてくれるとありがたいです。

2012年2月23日

それぞれの本との出会い

えほんブログ、更新しました。
こちらは石屋のおかみブログにわをかけてのんびり更新してます。
Mooは小学校にはいって毎日2冊以上(強制的に)図書室から借りてきて、ほぼ毎日読破してるし、
Tazは言葉の発達がここ半年で急激に進歩して、物語をかいつまんで説明することまでできるようになり
Kuhは絵本のなかに日常と非日常の両方のおもしろさを見出せるようになりました。
これも、本をたくさん面出しできる絵本ラックのおかげかも。
えほんラック
大泉のTane Mahuta(タネマフタ)寺西さん製。
すぐ目に付いて手に取れるところにあるというのはありがたいことです。
Moo編→http://blog.livedoor.jp/mootaehon/archives/53695168.html
Taz編→http://blog.livedoor.jp/mootaehon/archives/53695286.html

2011年12月27日

「まちんと」再び

いまさらながら、夏休みに出したMooの読書感想文「まちんと」を読み返してみました。
http://blog.livedoor.jp/mootaehon/
まあ、1年生の夏にしてはよく書けているほうかな。
このときの段階では、絵日記程度、3行かければ合格、だそうですから。
とりあえず、なんでもいいからいっぱい書いて、と下書きさせ、
そこから文章の順番を一緒に考えて、並べ替えながら清書させました。
だから、この文章はとりあえず全部Mooの言葉です。
戦争、原爆=こわい というステレオタイプな図式が最初に刷り込まれてしまったのは、親の指導の反省でした。
この本を読んで、戦争とか原爆が何かを知る前に、まず何かを感じたはずで、そこをきちんと書かせればよかったのです。
感想文の冒頭にもあるように、なんだかわからないけど、悲しい話だ、もうよみたくない、という印象が残った。
それが何かを自分で考えるようにすれば、もっと説得力のある感想文になったかもしれません。
この本を、今Tazが気に入って(?)、寝る前の読み聞かせによく選んできます。
もうすぐ3才になる少女が出てくる話。そこに共感したのか、
言葉が少ないから、そのひとつひとつが印象的なのか。
「くろいあめはそのうえにふりそそぎ、ふりそそぎ」とか
「まっててねぇ、トマトをさがしてくるからねぇ」などを よく暗唱しています。
2〜3才児って、自分の希望がかなえられるまで、いつまででも同じ言葉でねだります。
「もっとパン、もっとパン、もっとパン、もっとパン!」
足をふみならしたり、手でテーブルをたたいたり。
ウチの子の場合はまったくイメージどおりでないとダメで、
たとえばパンのおかわりがほしいときでも、食パンの厚さひとつ、マーガリンとはちみつのかけかたひとつとっても希望に添わないと受け取りません。
1枚全部ほしいときは、ちぎったものをあわせて1枚分、とかでもダメです。
そんなウチのわがまま娘と、えほんの少女が一緒とはいわないけど、
「まちんと、まちんと(もうちょっと)」といい続けて死んでいった3才前の子どもの描写は、とてもリアリティがあると思いました。
それから、
この本の最後、池袋サンシャインの最上階から見た東京の町並みの絵のクールな感じと
Mooの感想文の最後「きょうこぶちさわはきれいなあめがふりました。うちのはたけのトマトもよろこんでます。あしたははれるといいな」
この余韻は、けっこう好きです。

2011年12月21日

少人数教育

落合小最後の児童は全校で31人。
全国の文部科学省の基準では2学年1クラスになるところですが、
長野県は独自の基準を設けていて、1学年5〜6人以下でも1学年ごとに1クラスになっています。
学習は学年ごと、給食はホールで全学年と先生たちがみんな一緒に食べる、という方針で、
上下の関係もとてもいいとか。
運動会は大変。
ふつうの規模の学校なら自分が出ていない種目もあって、観覧している時間がけっこう多いものですが、
落合小の場合はほとんど出ずっぱり。
運動会の花形種目の組体操は1年生から6年生まで全員で行い、これがまた見ごたえたっぷりだそうなのです。
子どもが少ない分地域社会との交流も盛んで、農村での課外授業や絵画授業がたくさん行われています。
落合小学校の教頭先生の話。
「少人数教育って、一般には大勢の前での自己表現力が課題になるんですが、
ここの児童はむしろ一般の子どもたちより表現力がありますよ。
人数が多いと自分ひとりくらい黙っていても目立たないけど、
少ないと知らず知らずのうちに責任感や発言力がついて、
全員に伝えるように話すのが当然、という感じになってきます。」
実際、閉校記念式典で子どもたちが発表したシーンを見た他校区の人は
「これだけの発表ができる子どもたちはなかなかいない」と感心していたそうです。
建学の精神「慎其獨」(独りでいるときも身をつつしむ)をもじって「輝其獨」という言葉が今の落合小の教育目的ですが、落合小の子どもたちはみごとに、独りでも輝いた人間性に成長しているとのことでした。
学力の競争力をつけるための併合を選んだのは主に保護者たちだと聞いています。
財政面のこともあったのかもしれません。
でもこの学校で、小さな人間社会の中で得たものは、きっとこれからの子どもたちの糧になるんじゃないかな、と
少しうらやましい気持ちにもなりました。

2011年12月11日

空をみる

12月10日。歴史的な皆既月食。
この日はKuhの誕生日でした。
1才です。
冬はよく空を見上げたものでした。
星座が大好きで、冬は特によく見えるからです。
学生時代は学校の帰り道によくオリオン座を見上げながら歩いていました。
冬至の近いこの時期は6時というともう真っ暗。
大学のキャンパスから駅まで、ちょうど東に向かって山を降りるのですが、森や住宅に囲まれたところなのに、ちょうど道の上にオリオン座が来る部分が多いのです。
月といえば、Tazが生まれる直前もきれいな月でした。(満月だったと思う)
Tazは11月生まれなので、八ヶ岳の空が一番きれいに見える時期に入った頃です。
陣痛が始まって、夜中に病院に向かうとき、家から外へ出るとそれはそれは明るい月の光が山々の稜線や田んぼを照らしていました。
名前はまだ決めてなかったので、「月」に関係する名前をいっぱい考えました。
「美月(みづき)」・・・「美しい」という漢字を使うのがウチの子らしくないので却下
「冴(さえ)又は冴月(さづき)」・・・響きが好きだったけど、右のつくり「牙(きば)」が印象よくないので却下
「満月(みづき)」・・・このあと欠けていく運命にあるからと却下(関学の校章は新月ですが、「これから進歩していく」の意)
「みづき(ひらがな)」・・・母親(私)のなまえもひらがななので、実家の妹はこれを推したが、なんかちがう、と却下
「優月(ゆづき)」・・・やっぱりなんかちがう、と却下
「香月(かづき)」・・・同上
「紫月(しづき)」・・・このへんになるとすでに出しすぎてわけわからなくなってきてる
結局、直接「月」を入れるのではなく、月が演出する情景を表した言葉を名前にしよう、と
当時凝っていた俳句にちなんで、季語辞典を調べていたところ「田鶴」が見つかりました。
そういえば、学生時代に作ったラジオドラマのひとつも「田鶴」というヒロインが出てきてたのを思い出しました。
土だけの初冬の田んぼに舞い降りた鶴。
それを月の光が照らしている、というおとぎばなしのようなシチュエーションに思わず身ぶるいがしたものです。
老子の言葉からとったMooの名前は夫が前もって決めていたのに対して、
Tazの名前は完全に私が考えました。
そのTazも先月で1才。
そしてこんどはKuhの誕生日です。
空。
そういえば最近空を見上げてないなぁ。
ドアツードアで車で行き来して、荷物の積み下ろしと子どもの積み下ろし(?)でアップアップ。
でも子どもの成長は月食みたいにゆっくりなようで気がつくと過ぎていってしまう。
「みあげてごらん、夜の星を」・・・か。

2011年12月6日

毎日がお祭り

我が家はTazを筆頭に、11月から3月まで毎月お誕生日が続きます。
冬に集中してる家族です。
その分夏はイベントがなくて、子どもの日とかお墓参りとか、一般的な行事ばかり。
おまけに夏はなんだかワサワサと忙しくて、特に今年は初めての3人子育てに文字通り奮闘してました。
そんな中で迎えた先月のTazの誕生日。
ワサワサ感がまだ続いて、準備も整わず、あまり盛大に祝ってあげることができませんでした。
そのせいか、3才になってあからさまに「赤ちゃんがえり」が始まりました。
「大きいKuhくん(自分のこと)、ミルクのむ」
と、哺乳瓶のミルクを要求します。
愛用している某ミルクメーカーのフォローアップミルクの対象年齢は「9ヶ月から3才まで」とあります。
そうはいってもTaz〜、3才未満、ってことだと思うんだけど?
ほんとに飲むの? こんな、カロリー高そうな、甘ったるいミルク・・・。
Kuhにミルクをやるときみたいに、ひざのなかにねっころがって、飲み始めたTaz。
だけど、同じ吸い口なのに、飲む速さはKuhより全然遅いのです。
やっぱり飲みにくいんだ。
結局160ccを飲むのに20分もかかりました。
それでも赤ちゃんごっこは続きます。
Kuhは比較的手がかからず、いつもニコニコして、昼寝もよくするのですが、
たまに夜中にウジャーっと泣くときがあります。
そんなときはだっこしたりすると反り返って、かえって手がつけられないのですが、
ふしぎなことにあぐらをかいた中にいれて、まるく抱えてるとおとなしく寝るのです。
ふとんにおろすと泣き出すので、ずっとあぐらの中にいれていなければなりません。
これ、けっこう両手があいて、パソコン仕事やら読書やらができるので助かります。
そういえばMooもこの月齢のこの季節、ひざの中にもぐりこんできてたなぁ。
Mooそっくりな顔のKuhはそんなところまで似てるので、おかしくって。
Kuhねる
そういうMooも最近はすっかりおねえさん。
小学校1年生は親の宿題も多くて、持ち物をそろえたり音読を聞いたり、
けっこうやることが多いのです。
当然、毎日親子してどっかヌケてる。
夜、子どもが寝静まって静かにしてると、やっと余裕が出てきます。
石屋の事務所では仲間の石屋さんが「毎日戦争だね」とからかっていきます。
げんなり。
だけど、このあいだ従業員のKatoくんがこんな言葉を。
「いいなぁ、毎日がお祭ですね」
なるほど!お祭。
泣き声はピーヒャララの笛の音、騒ぐ声は「せいや、わっしょい」の掛け声。
そう考えると楽しいですね。
とびきりハデな神輿、ハタマタだんじりか、ねぶたか。
ちなみにKatoくんの奥さんの第一子出産は秒読みです。
楽しい、げんきな、幸せな子が生まれることでしょうね!

2011年11月2日

バカバカしいけど大発見!

  
石や・ころころ通信をファイリングしていたときのこと。
Mooに手伝いわせていましたが、急に「ぷーっ」と奇妙なラッパ音が。ファイルの背表紙をMooがくわえています。音はそのプラスチックの背表紙から鳴っていました。しかも吹いても鳴らなくて、吸うと鳴るんです。
これはおもしろい。穴をあけたら音階が作れるかも?!あまりのバカバカしさとおちゃめな音で場がなごみました。

2011年9月2日

ウミトモっ!

Kuhを産んだのは病院ではなく助産院でした。
退院後も乳児検診に加え、石屋の通信を送ったり、いただきもののジャガイモを届けたり、何かとおつきあいが続いていましたが、今日はついにお食事をご一緒することができました。
Kuhと同じ日に産まれた男の赤ちゃんとそのママも誘い、同じくこの助産院で産んだママ友の経営するお店に行きました。
今はいろんな関係を「●●友」と呼ぶことが多いので、こういうおつきあいも私なりに名づけてみました。
名づけて「産み友同窓会」!
産み友(ウミトモ)って、自分でつけたつもりでいたけど、もう先例があったんですね。
検索したらいくつか出てきました。やっぱりおんなじようなこと考える人がいるんだ。
いや、しかし、まさに出産の修羅場を同じ時に経験した戦友のようなものですよ。
行ったお店は小淵沢のネパール食堂「タラ・マウンテンスパイス」。
ネパール人のご主人と、先輩ママ友まりさんの経営するエスニックムードたっぷりのレストランです。
まりさんも時期は4年ほど違うけど、同じ助産院で産んだ仲間。
院長先生と若先生を囲んで同窓会のような楽しいひと時を過ごしました。
MooとTazはとてもきれいな産婦人科クリニックで産んで、
最新設備ときれいな部屋やアメニティのあるホテルのような病室で、
シェフの作る食事やスウィーツ、エステ、お祝い膳を楽しんで、
それはそれなりによかったのですが、
助産院での「母子」に特化した深い思いやりは変えがたいものがありました。
「あたしはつくづくこの仕事やっててよかったよ。なかなか思うように産まれなかったりすると心配したり落ち込んだりするけどね、おぎゃーっという声を聞いた瞬間のあのうれしさったら、ないよ。この手で最初に命をあずかるんだからね。醍醐味だよ」
熱く、たくましく語る先生の言葉を聞いてると、わが子がいまさらのように愛しくなります。
タラのご主人いわく、
「着くなりすごい形相で怒られてね、そこに車とめるなーって。それくらい必死で妊婦さんの対応をしてるんだと思いましたよ。腕と足開いて、さぁ来い!って構える姿は、それはそれは頼もしかった。」
「私はあの夜食が忘れられない。真夜中にぼた餅持ってきてくれるんだけど、寝てても起こされたりして。
でもちょうどおなかがすく時間だし、どうせ夜泣きで起こされてるから、手作りの夜食がほんとにありがたかった。」
と、産み友キョウコさん談。
産み友全員口をそろえて、
「あの食事は今でも毎日食べたい。ボリュームも栄養も満点の。」
「生姜湯の足湯も〜」
「いやいや、産まなくてもいいから、入院だけしたい」
はずむ会話にかまけて、料理の写真を撮るのをすっかり忘れていました。
本日いただいたメニューは「マイルド・チキンカレー」、激辛「料理人のまかないプレート」、ミルクとスパイスを効かせた紅茶「チヤ」、そしてデザートは富士見高原いちごをたっぷり使ったムースでした。