おかみブログ

2012年5月24日

絹の町・岡谷を歩く

諏訪西側湖畔の町・岡谷市は明治以降、蚕糸業で栄えたところ。
その歴史を伝える保存物を見る、町歩きツアーに参加してきました。
ツアーは、ころころ通信の「プロに聞く」コーナーで、建築と石やお墓の関係についてお話してくれたもろずみさんが主催。
諏訪エリアの歴史遺産や街並みを訪ねて歩く「おらが山里ネットワーク」という企画をたちあげ、
会員制で参加者を募っています。
今回の企画もそのひとつ。
テーマは「製糸業の岡谷、栄光の近代産業遺産を訪ねる」
まず最初に訪れたのは「岡谷蚕糸博物館」。
蚕糸博物館5 蚕糸博物館4 入口には大谷石が。
ここでは製糸で使われた機械の数々が展示してあり、その進化の歴史をみることができます。
残念ながら、この博物館は今月いっぱいで閉館するとのこと。
今後は別の場所に移転しますが、その準備のために1年半ほどお休みするそうです。
ということで、しばしの見納め。
若いけどしっかりした学芸員さんがわかりやすく、ひとつひとつの機械を説明していってくれました。
江戸の頃は手作業で糸を繰っていました。
明治の開国で、外国(イタリアやフランス)の繰糸機が入ってきて、製糸にも機械化が進んでいきます。
外国の繰糸機を日本の労働事情などに合うよう改良したのが、「諏訪式繰糸機」で、
これが全国にも広がりました。
その後「御法川(みのりかわ)式多条繰糸機」が開発されたりして、岡谷の製糸業を飛躍的に発展させたんだそうです。
蚕糸博物館3 蚕糸博物館2 蚕糸博物館1
モノづくりニッポンの原点。
岡谷の生糸はブランド化され、上物として外国に多く輸出されました。
推定では日本国中で稼ぐ外貨の実に1割を岡谷市の製糸業が占めていたとか。
今でいう自動車産業の豊田市のようなものです。
そんな説明を聞いたあと、いよいよ実際に製糸が営まれていた工場建物や実業家の住宅を訪ねるために、岡谷の町歩きが始まりました。
旧山一林組製糸工場事務所。
木造ですが、モルタルと細かい粒石をまぜた壁が風情があります。
山一5 山一3
<礎石にさび石が使われていたり、 スロープの縁の終わりにおもしろい石彫刻がほどこされていたり。 とても雰囲気のある建物です。 山一1 山一4 山一2
金上繭倉庫。
金上
照光寺。
木造の立派な蚕霊供養塔を見に来ました。
総ヒノキ造りで棟梁は大隅流石田房茂。
照光寺3
供養塔もすばらしいですが、参道の入口の亀甲積みもなかなかのもの。
やはり石のほうにも目がいってしまいます。
照光寺2 照光寺1
最後の見応え、旧林家住宅。
製糸業で巨万の富を築き、鉄砲製造にも手を伸ばした、稀代の実業家、林国蔵の居宅です。
趣向をこらしまくった建物のみごとさに感嘆。
林2 林3 林4
午前中たっぷりかけてまわった、岡谷の製糸業跡でした。
午後は産業遺産のいくつかやつつじの名所を訪問したりする計画でしたが、
私は午後は予定があったので、午前中だけで失礼しました。
他の人たちは「せっかくここまで来たからウナギで一杯やっていこう」と、老舗のうなぎ店に行かれたようです。
うらやましい!
そこで私も「せっかく」気分を味わおうと、岡谷駅前のデパート内にあるうなぎ屋さんでお弁当を調達しました。
わかさぎの佃煮もお土産に買ったら、おまけにウナギの骨のから揚げをもらいました。
そして、帰りの電車の中でごきげんなランチ。
弁当
シメはやっぱりこれですね。

2012年2月13日

もうひとつの北の杜

杜の都、仙台。
石屋団体・全優石の総会に夫が出席するのに便乗して、家族(Kuhは預けて娘2人連れ)で行ってきました。
毎年全国もちまわりで、石産地近くで総会が開かれますが、今年はあえて仙台となりました。
仙台は10年ほど前にも総会が行われたところですが、今回は人が集まることの経済効果を狙ったものとみえます。
私は仙台は3回目。
不思議なご縁だなぁ、と二つ返事で同行を決めました。
「杜の都」という呼称が北杜市も髣髴とさせるので、親近感を覚えています。
規模や町並みが神戸に似ていて、どこか懐かしい、それでいて都会的な心地よい緊張感も得られる、大好きな町です。
でも子連れで東北に行く、というと
「ガイガーカウンター、買った?!」と眉をひそめられる世の中です。
山梨から見ると未知の世界、実際はどうなっているのか・・・。
ひとごとでしか考えざるをえない震災の爪あとを少しでも肌で感じられれば、何か変わるかもしれない。
被曝の心配より、そんな覚悟と期待も含んでの、研修旅行となりました。
1日目、夫以外の3人は動物園へ。
寒さでどうぶつたちはみんなオリの中へ入っていましたが、みせていただけました。
子どもたちは動物が見られただけで満足。
サル山では寒い中、たくさんの親子ザルがキャッキャキャッキャと遊んでいました。
閉園まぎわだったからか、飼育員のおにいさんが売り物のエサを分けてくれて、Tazに投げさせてくれました。
動物たちも震災直後は大変だっただろうなぁ。
電気も使えないし。
元気に生きていてくれて、ありがとう。
2日目。
いよいよ浜辺のほうへ。
まず松島。
日本三景のひとつで、今はカキのおいしいシーズン。
なのに、観光客は激減、特に外国からのお客は皆無だそうです。
松島も浸水1m以上あったことが、待合室の写真ギャラリーでは紹介されていたけど、今では大きな爪あとは残っていないように見えました。
松島石堤防
そして石巻へ。
言葉を失う光景。
倒壊したお墓。
地面は基礎までえぐられ、海の砂が入り込んでいる。
石巻倒壊墓石1 石巻倒壊墓石2 
住宅街。
石巻被災住宅街1 石巻被災住宅街2
石巻被災住宅街3 石巻被災住宅街4
住宅街には人の気配がまったくない。
ガレキ撤去と解体作業が、建設機械でもくもくと行われている。
もしかしたら、写真だけでは「きれいになった」と感じるかもしれない。
とても整然と、なんとガレキまで木とプラスチックなどに分別されている。
ガレキ木材をバイオマス燃料にするためだろうか。
まじめに、真剣に、誠意を持って。
日本人の気質、そのままだ。
だからこそ、よけいに悲痛に感じる。
柱がむき出しになり、窓ガラスや壁のボードが破れたままになっている巨大な無人空間が。
何をしてるんだろう・・・と自分を振り返りました。
報道陣でもあるまいし、ただ被害の様子を見るだけで。
ごめんなさい。
撮影させていただき、ありがとうございました。
近年のしっかりした施工のお墓はほとんど倒れてないことがわかりました。
土砂には埋まってるけど、傾きはみえません。
石巻倒壊墓石3
お墓が倒れるということは、長期にわたって心理的不安が続きます。
石屋として、精一杯のことをやるだけだ、と気持ちを引き締めることくらいしかできませんでした。

2011年8月19日

関西学院大学の石建築

明石に帰省中に母校放送部の60周年同窓会がありました。
関西学院大学の別館の式場を借り切って盛大に行われました。
終わった後、同期たちとしばしキャンパスを散策。
学校案内書に必ず載る、時計台や中央芝生を懐かしんできました。
「きれいな学校やなぁ・・・」と改めて感動。
建築様式はスパニッシュ・ミッションスタイルというそうです。
淡いクリーム色の壁に赤レンガ。
随所に石も使っています。
正門
関学1
正門について、「古いものやから、地元の本御影とちゃうか?」と同期の一人が言いました。
確かに少し黄みがかって、さび石のような色になった御影石なので、そうかな?と思いましたが、
私ではよくわかりません。
夫が写真だけ見ると「ちがうんじゃないかなぁ」と言ってましたが。
彼は最近お父さんが亡くなって、お墓を建てた際、石についてかなり勉強したらしいです。
「庵治石って世界一高級な白御影なんやろ?」
すごい!ちゃんと日本の銘石を勉強してる!感心!
ランバス記念礼拝堂
関学2
私が卒業したあと、関学にも建築科ができました。
総合政策学部都市政策学科。どちらかというと一般の住宅より地域設計の勉強でしょうか。
いろんな素材を勉強して、石、とりわけ地域の風土や景観にあった石建築を生み出してほしいなぁ。

2011年6月25日

浅葉克己・東北応援デザイン

全優石が、東北を応援する店頭ポスターを制作、各店に配布しました。
アートディレクター浅葉克己氏のデザインです。
全優石ポスター
円は地球を表し、今回の地震がくさびのように大きくつきささったことを意味。
字にかかるクルクルの模様は、地震、津波、原発、余震により混沌とした世の中を表現。
…と全優石からの説明書にはあります。
インディペンデント紙の震災直後のポスターに、影響されたデザインですが。
コピーはこっちのほうが好きです。
全優石「全国優良石材店の会」とは、全国約300社で構成される石材業ブランドチェーンです。
厳しい審査があって加盟でき、業界全体からの保証などの顧客サービスのほか、石材業や墓石のあり方などについて啓蒙活動をしたりしています。
その全優石の、東北の地場産業をバックアップしようという試みのひとつが今回のポスターなのです。
東北は良質石材の宝庫です。
福島県は日本で最も採石場の多いところですし、
茨城県の真壁石は採石量が日本一。
個人的に好きなのは、独特な黒が魅力の宮城・伊達冠石と、建築や石窯などにおしゃれな栃木・大谷石。
守っていきたい地場産業があること、
石材業界のブランド組合がバックアップしようとしていること。
そういう全優石の意図までは読み取りづらいポスターですが、
浅葉さんのデザインとともに、日本の石の元気をとりもどしたい、と思います。
ウチの工場の前を通ったら、そんなこともちょっと感じてもらえたらうれしいです。

2010年5月14日

なんかかわいい、公園のおともだち

甲府のお客様のところへ行ったときに見つけた、公園のオブジェ。
0517千塚公園1 0517千塚公園2 
0517千塚公園3 0517千塚公園4
車道との縁石がわりに公園を守っている石のオブジェたちです。
こういう埴輪的な、単純な顔、大好き。
市民の憩いの場「千塚公園」。

2010年3月17日

みかげ石のふるさと

「ホテルのただ券があたったよ」と親から譲り受けた特典を有効活用するため、
家族で2泊3日の神戸旅行へ。
神戸といえば「御影石」のふるさとです。
神戸市東灘区の御影(みかげ)地区で採取された花崗岩を御影石というようになって、
いつしか花崗岩全体の通称として用いられるようになったとか。
焼物でいえば瀬戸と「せともの」みたいなものでしょうか。
神戸の御影石は業界では「本御影」などと言って、まさに本物っぽい呼び方をしています。
黄色いサビ色が出るのが特徴で、比較的水を吸いやすく変質しやすいとのこと。
だから墓石業界ではあまり使いたがらないし、第一もうほとんど取れないものです。
でも神戸の古いお墓はやっぱり、そこで取れた御影石をつかっていて、
それはそれで情緒があって、いいものです。
私たちが泊まったホテルは旧居留地の近くでした。
港に近いところで、開港の際は外国人使節が多く住んでいたところ。
今では世界一流のブティック(ヴィトンやプラダ・・・)が軒をつらねる、おしゃれな界隈です。
ステキ。普段田舎にいるから、今回はとことん町歩きをしてみました。
まずはホテルの前でくだんの御影石による建造物をみつけました。
神戸2 神戸3
外国商館跡門柱。(現第一生命ビルディング前)
開港直後の石造りの建物の一部を保存したものです。
さて、旧居留地は建築的にもはなかなか絵になるところです。
古い建物もよく残っているし、新しい建物も高級感のある造りになっている。
石もふんだんに使われていました。
神戸1 神戸4 神戸6
神戸8 神戸7 神戸12
歩道の石畳、ビルのフロントのカウンター、プランター、石柱など・・。
建築に大胆かつふんだんに石が使われていて、町全体が見ごたえがしました。
石からちょっとそれてしまうのですが、
神戸はお菓子天国でもあります♪
元町商店街のわずか数十mの間に何軒のケーキ屋さんやパン屋さん、和菓子屋さんがあったかわかりません。
つい競合しないのかな、などと心配してしまいますが、そこは甘いもの好きの神戸っ子のことですから
いくつあっても大丈夫なのでしょう。
神戸-本町商店街 神戸-サセボン 神戸-アンリ
神戸-きんつば 神戸-エコルチェ 神戸-コムシノワ
それにしても、高級菓子店はことごとく石造りですね。
この乱張りの壁なんか、神戸に合いますね。
最後の日は公園でひと休み。
夫が仕事用の資材を買いにユザワヤやロフトに行っている間、
子どもたちと私は市役所の隣の東遊園地で待っていました。
遊園地といっても、静かなパブリックスペースです。
ここにもおもしろい石造物を見つけました。
近代洋服発祥の地モニュメント。
さすが。徹底しておしゃれですね。
神戸-公園1 神戸-公園2
洋服の見ごろをモチーフにしたアートです。
神戸といえば震災の傷跡も忘れてはいけません。
私は当時はもう東京に出ていたので、あまり実感がありませんが
それ以前に知っていた神戸の町並みが大きく変わってしまったところもあります。
神戸9
これはメリケンパークの入口にある、波止場。
コンクリートが割れて街灯も大きく傾いている様子をそのままに残しています。
しばらく離れていると違う面が見れた神戸でした。
神戸11
波モチーフのアートに登るMoo。

2010年1月7日

東京・深大寺&銀座

仕事始めは東京で迎えました。
毎年会社の商売繁盛を祈願して、深大寺で護摩焚きをしてもらいます。
天台宗の別格本山。
ゆっくり回りたいのですが、毎年集合時間ぎりぎりに行って、祈祷が終わるとすぐ新年会に突入。
縁日のお店、灯篭や仏像、石積み敷石・・・どれも古い歴史があるのですが、時間がなくて残念。
深大寺1
深大寺2
深大寺3
上京ついでに久々に銀ブラ。
ここはやはりおしゃれな石の使い方をした建物があります。
銀座3
銀座」2
銀座1
芦屋マダムやマドモアゼルご用達の洋菓子店、アンリ・シャルパンティエの銀座店。
白御影を用いた柱のギリシャ調の彫刻がこの高級老舗菓子店にぴったりでした。
銀座4

2009年12月28日

野辺山〜清里、高原の石

寒さは北海道旭川に匹敵すると住人にすら言わしめる、信州野辺山高原。
JRの最高標高地点、国立天文台、高原野菜畑。
今日は10時の約束でその野辺山に行くことになっていましたが、
朝ハタと重大なことに気がつきました。
「まだ、タイヤを換えていない!」
さあ、大変です。
何しろこのへんが雨でも野辺山はブリザードだったりするようなところですから、
タイヤがノーマルなのは命にかかわります。
あわてて夫に交換してもらいました。
ところが、数日続いたぽかぽか日和は野辺山も同様だったらしく、
道はカラカラ、おひさまキラキラ。
氷も雪もほとんど見られず、ノーマルでも楽勝だったかもしれない状態でした。
ということで、仕事の後は小春日和の野辺山と、その帰りに清里をめぐりました。
野辺山電波観測所の隣にある南牧村農村文化情報交流館(通称ベジタボールウィズ)。
なにやら等間隔にすえられた岩が。
ベジタ1
ロケット戦闘機の操縦訓練をこの地でした記念とか。
ロケットを模した石彫刻。
ベジタ2
となりに碑もありました。
ベジタ3
いかにも野辺山らしい八ヶ岳の風景と、最高標高地点に胸躍らせ。
野辺山-最高地1
堪能したところで清里へ下ります。
ちょっと下りただけなのに、さすがに野辺山とは空気がちがう。
清里でも小淵沢から比べれば別世界のはずなのですが、それでも今日は暖かく感じるほどの陽気。
清里-萌木の村1
このファンタジックな世界が萌木の村を象徴。
お昼は有名なオールドエイジで。
清里-オールドエイジ7
清里-オールドエイジ6
おひとりさまだから入れる、イイお値段。その分味もサービスも一流です。
家族で来たら大変。
清里-オールドエイジ1
清里-オールドエイジ4
このお店は外壁一面に大谷石を貼ってあります。
OLD AGEの名にふさわしく、格調高い雰囲気は、この石建築にあるのでしょう。
石全般の特徴でもある断熱効果が高いことから、産地では蔵にもよく使われています。
寒い清里で家の中の快適さを守ってくれそう。
また大谷石は密度の粗い凝灰岩なので、石でありながら重苦しくないのも、建築に向くゆえんです。
私の座った席は増築したサンルームで、もともと外壁だった大谷石壁がそのまま内壁になっていました。
レトロな照明器具や額縁の似合うこと。
清里-オールドエイジ5 清里-オールドエイジ8
清里駅前再開発工事も済み、駅前に石積の空間ができていました。
夏には池か噴水になるのかな?
鉄平石らしきものを使用。
清里-駅前
清里駅の西側、小海線線路を超え、キープ協会へ上っていく入口に
石積み灯篭が左右に2体立っています。
八ヶ岳の地石を乱形に割って積んだもので、40〜50年経っていそうな古いものですが、
今では逆になかなかできる人もいないだろうなと思わせる堂々とした建造物です。
石肌もいい感じの風合いになっています。
キープの石積みは昔うちの先々代が手がけたものだそうですから、
もしかしたらこれもそうかもしれません。
清里-キープ入口 清里-キープ入口2 後ろから撮影。金峰山を望む。
最後に、初冬の野辺山風景。
野辺山-最高地2

2009年11月9日

石と陶芸の町・笠間

写真の整理が遅くなり、アップも遅れましたが・・・
先週末、茨城県の笠間市に行ってきました。
ここは「笠間焼」で有名な陶芸の町。
「笠間工芸の丘」には県立陶芸美術館や陶芸体験施設、ショップ、ギャラリーなどがあり、
小さい丘まるごといっこ陶芸の世界が広がる、といったかんじ。
他にも市内のあちこちに大小の陶芸ショップがあります。
陶芸のことは詳しくないけれど、なんでも益子焼と並ぶビッグ窯業地だそうです。
もともと日用雑貨から発展したもので、お茶碗やカップ、お皿など身近で使えるものが多く
一般に広く親しまれる焼物です。
さて、一方で笠間は「稲田石」という白御影の産地でもあります。
私たちとしてはもちろん、こちらの見学が目的だったわけですが
もれなくたくさんの陶芸にも触れることができ、得した気分でした。
10/31〜11/3は「匠のまつり」を開催。
地場産業の活性化のおまつりで、「笠間工芸の丘」内の「芸術の森公園」で大々的に行われていました。
同時開催として「いばらぎストーンフェスティバル」。
笠間周辺の石屋さんが集まります。
両方あわせると、ゆっくりまわるなら1日では足りないくらいの規模。
石や陶芸だけでなく、地元産の食材を使った屋台や地元ミュージシャンによるライブなど
とっても内容の濃いイベントでした。
公園の入口にある白御影の大型オブジェ。
笠間匠のまつり-2 笠間匠のまつり-1
石屋さんと専門学校生共同で開発した石きのこオブジェ。
「庭の別荘分譲中」という心憎い売り文句。
笠間匠のまつり-3 
イベント会場のすぐ近くにあるホテル。
石と焼物の融合ディスプレイはさすが。
笠間ホテル-1 笠間ホテル-4
町中で石オブジェや石畳。
笠間市内-1 笠間市内-2 笠間市内-3
笠間市内-4 笠間市内-5 笠間市内-6
これはすばらしい! スナックの名前まで。
笠間市内-7
リバーストーン=川原石?
大谷石の倉庫を利用した、カフェ&雑貨屋さんがありました。
大谷石のもつ不思議な質感、素朴&繊細&クール&和風・・・
焼物のとても似合う空間でした。
笠間大谷石-1 笠間大谷石-2 笠間大谷石-3
笠間稲荷神社も有名。そのすぐそばの造り酒屋の近くで、この時期恒例の骨董市が開かれていました。
笠間骨董市
そして我が家にもミニチュア別荘が。
笠間SF-2
笠間。毎年行きたい石の町です。
来年は真壁まで足をのばしてみようかな。

2009年4月12日

三都物語

実家の明石に帰省がてら、関西に家族旅行をしていました。
「三都」でも「石の街めぐり」でもないんだけど、無理やり「石」にこじつけてみます。
1.京都
正真正銘、「古都」です。「都」はここだけ。
父の古希&退職祝いのため、両親・妹・叔父夫婦も集まりました。
お祝いにあげた石の記念板。
古希板
インド産赤御影、純金箔貼り
大津在住の叔父さんからは比叡山坂本の銘菓「穴太衆積(あのうしゅうづみ)」をいただきました。
穴太衆積1 穴太衆積2
戦国時代に築城された坂本城の石垣は、「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる腕の良い石工が建築にあたりました。
その石垣を模した最中菓子。
舞妓さん体験♪ネコおばけ3人のできあがり。
舞妓体験2 舞妓体験
祇園。町屋が並ぶ石畳の通り沿いにあるお店で、母子(+妹)体験。
夢のような2時間でした。
Mooも「だんだん」を見ていたので、自分が変身できて大喜び。
2.神戸
ここからは都ではなく、ただの町です。
でも、明石から一番近い都会で、おしゃれな神戸の町は大好き。
震災後はしらない建物も増えたけど、粋な神戸の底力は今も変わりません。
ホテル ラ・スイート神戸。
ラスイート
去年できたばかりの高級ホテル。
ふんだんに石が使ってあって、超ゴージャス。
3.明石
市民の憩いの場、明石公園です。
櫓と石垣を残す明石城を中心に、運動場、芝生、池、図書館などがある、県下一の規模を誇る公園です。
幼い頃から慣れ親しんだこの公園に、初めて親子三世代で来ました。
明石城1
明石城2 明石城3
明石の時刻は日本標準時になっています。
日時計を見た娘の質問。
「どうして7がふたつあるの?」
日時計は十二針等の目盛とちがい、北側の目盛は密、南側の目盛は疎になっています。
昼間しか使えないんだから、十二針等と違うのは、考えてみればあたりまえなんだけど、
しくみは全く説明できない。
「こんどお父さんに聞いてみようね」とたじたじしながら答えました。
ウィキペディアの日時計の説明。 ←ここに乗ってる写真は明石公園のだ!
明石ではバスや電車、タクシーにいっぱい乗りました。
店歩きもしました。
いろんなところに「明石」の文字がでてきます。
漢字は「石」だけ読める石屋の娘のMoo。
「いっぱい『いし』の字があるねぇ」。 ほんとだ。<明るい石>。
なんだか石屋のおかみとしては深いエニシを感じるような・・・
ただのこじつけのような。
オマケ。
明石のうまいもん。
明石うまいもん4 明石うまいもん3 明石うまいもん2 明石うまいもん1 明石うまいもん5