おかみブログ

2013年4月5日

一茶歌碑を訪ねて

小林一茶の句碑が全国にあることがわかりました。
それなら八ヶ岳の近くにもあるかもしれない。
インターネットで調べたところ、「茅野市玉川菊沢・稲荷神社入口」とあります。
茅野市なら往復2〜3時間かな。
ということで、今日の午後思い立って茅野市玉川までとんできました。
菊沢の稲荷神社はすぐ見つかりました。
小さな無人の神社とはいえ、拝殿はきれいに板がしかれ、舞もできそうな感じです。
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日帰り温泉「望岳の湯」の隣、同じところに公園もあります。
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でも、肝心の句碑が見当たらない・・・。
向い側の共同墓地のほうに行ったり、ウロウロ小半時も探しました。
ここまで来て・・・!
意を決して茅野市役所に電話で問い合わせました。
生涯学習課というところにまわしてもらい、事情を知る人が応対してくれました。
「確かに、稲荷神社の近くにあることになってますね。(資料を見ながら)でも境内の中ではないですね、どう説明したらいいのかな、どこか個人のお宅の近く、と表示されてます」
「その資料をメールかFAXで送っていただくことはできませんでしょうか」
「紙ですので、メールではちょっと・・・。FAXでも見づらいと思われます。来ていただければコピーを差し上げられるのですが」
・・・そうか、やっぱり市役所まで下りなきゃだめか。
正直、午後も小さな予定や仕事が残っていたりしたので、玉川の現地から茅野中心部まで下る(標高が下がるから下る、という言い方になるのです)のは時間的に厳しいものがありました。
でも、せっかくだから今日片付けていきたい。
何を「片付ける」のか、わかりませんが、ここまで来たら意地みたいなもんです。
「わかりました。そちらに伺います」
そう返事して、神社を後にしましたが、なんとなく鼻が利く方向へ行ってみました。
担当者の人の言っていた「個人のお宅の近く」という言葉から、田園の中ではなく、民家が集まる集落内に足を向けました。
公民館があったので、ここで車を停めます。
子供たちが公民館で遊んでいます。
不審者と思われたらどうしよう。
そんな卑屈な思いを抱えながら、代々続いてそうな家に聞いてみようかと、めぼしい家を探し始めたとき。
路地の角に古い石碑や石仏が建っているのが見えました。
これはこれで、ネタになりそうだから撮っておこう、と近づいたところ、
一番端の石碑になにやら文章のようなものが彫ってあるように見えます。
とにかく昔の石に手で彫ってあるので、彫りが浅く、かなりボロボロで文字の判別もしづらいし、ましてや簡易拓本がとれるような状況ではありません。
(お石塔に戒名を追加彫りするとき、前の彫刻文字に合わせるために拓本をとりますが、
簡易拓本と私が言ってるのは、障子紙を石塔にあてて、濃いえんぴつでなぞりとるやり方。
本当の拓本は墨とタンポで丁寧にとっていくのですが、石屋はとりあえず前の人の文字配置がわかればいいので、こういう簡易的な拓本をとっているのです。)
話をもどすと、その文章みたいに見えるものは、よく見るとドンピシャ!一茶の俳句でした。
「我と来て遊べや親のない雀」。
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で、なんで稲荷神社入り口、と情報があるのに、この場所?
それは、この路地から田んぼをつっきってまっすぐ行ったところが神社だからでしょう。
つまり、神社への参道、というわけです。
その距離約300m。
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なあるほど!
すっきり目的物を見つけて得意になった私はさっそく茅野市役所の担当者の人に電話をかけ、「見つかりました!」と報告しました。
あー、すっきりした。

2013年3月31日

石の似合う、栗の町 小布施

黒姫高原のログペンションであたたかい夜を過ごしたあくる日は、またまた肌寒い曇りの日。
でもなんとか雨は持ちそうなので、帰りがけに小布施町に行くことにしました。
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2013年3月30日

ナウマンゾウと小林一茶のふるさと

恐竜大好きなMooのために、古生物つながりで、日本に生息していた古生物を見せてあげようと思ったのが、春休みの家族旅行のきっかけでした。
比較的近場で、でもちょっと八ヶ岳とは違うところ。
ナウマンゾウ博物館のある信濃町野尻湖畔です。
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まだまだ寒々しい湖の様子。
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ここで発掘が行われます。 なんか、背中で語ってるぞ。
ナウマンゾウは日本のあちこちで化石が発掘されていますが、
市民の手で長く発掘作業が行われている野尻湖が有名。
原始の時代の人間にとっては大切な食料であると同時に衣服や道具をつくる材料でもありました。
ナウマンゾウの名は日本でゾウの研究に従事していたドイツ人の「ナウマン」氏に由来して。
そうかー、日本らしい名前じゃなくてちょっと残念な気も。
野尻湖周辺もまだ雪が残っていました。
雪かきをして積み上げられたところがアスレチックみたいでおもしろいらしく、子供たちは泥だらけの雪山によじのぼります。
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ゾウと人間をモチーフにした鉄アートがなかなかおしゃれ。
黒姫山を背景に、写真を撮ってみました。
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湖を一周ドライブし、黒姫山を望むベストスポットで記念撮影。
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さて、ナウマンゾウ博物館が思いのほか早く見終わってしまったので、
宿に行く前にもうひとつ見学を、と
小林一茶記念館に行きました。
一茶についての知識は、数編の俳句以外ほとんどなく、とても勉強になりました。
信濃町は小林一茶の生まれ育ったふるさとです。
今年は一茶生誕250年、誕生日は5月5日。
いつも以上に様々なイベントが、記念館では予定されています。
全国に一茶の句碑があることもわかりました。
ウチの近くにもあるかも。
また調べて、訪れてみたいです。
記念館の裏には集落共同墓地があり、そこに一茶の個人墓と小林家の代々墓もあります。
一茶のお墓棹石がとても長いもの。そのまま俳句を一行で彫れそうな感じでした。
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一茶さん、ありがとう。
信濃町の春はまだ先。
黒姫高原はスキーシーズンの最終段階です。
お泊りはその高原エリアのログハウスペンションを取りました。
八ヶ岳にいるとログハウスをよく目にするのですが、自分が寝泊りすることはほとんどありません。
たまに行くと木の重厚感がめずらしく、山小屋のあたたかみが感じられて、すてきです。
今回は黒姫でその感覚を味わうことにしました。
ログペンション「セシルクラブ」。
しっかり、丸太ログ。
私たちが泊まった一番大きな部屋はロフトがあり、上の子2人はそこが大のお気に入り。
そして、何より嬉しかったのは、お食事のおいしさ。
家庭的ですが、とても上品でいいお味のフレンチでした。
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雪に囲まれた黒姫高原の夜は更けてゆく・・・。

2012年5月24日

絹の町・岡谷を歩く

諏訪西側湖畔の町・岡谷市は明治以降、蚕糸業で栄えたところ。
その歴史を伝える保存物を見る、町歩きツアーに参加してきました。
ツアーは、ころころ通信の「プロに聞く」コーナーで、建築と石やお墓の関係についてお話してくれたもろずみさんが主催。
諏訪エリアの歴史遺産や街並みを訪ねて歩く「おらが山里ネットワーク」という企画をたちあげ、
会員制で参加者を募っています。
今回の企画もそのひとつ。
テーマは「製糸業の岡谷、栄光の近代産業遺産を訪ねる」
まず最初に訪れたのは「岡谷蚕糸博物館」。
蚕糸博物館5 蚕糸博物館4 入口には大谷石が。
ここでは製糸で使われた機械の数々が展示してあり、その進化の歴史をみることができます。
残念ながら、この博物館は今月いっぱいで閉館するとのこと。
今後は別の場所に移転しますが、その準備のために1年半ほどお休みするそうです。
ということで、しばしの見納め。
若いけどしっかりした学芸員さんがわかりやすく、ひとつひとつの機械を説明していってくれました。
江戸の頃は手作業で糸を繰っていました。
明治の開国で、外国(イタリアやフランス)の繰糸機が入ってきて、製糸にも機械化が進んでいきます。
外国の繰糸機を日本の労働事情などに合うよう改良したのが、「諏訪式繰糸機」で、
これが全国にも広がりました。
その後「御法川(みのりかわ)式多条繰糸機」が開発されたりして、岡谷の製糸業を飛躍的に発展させたんだそうです。
蚕糸博物館3 蚕糸博物館2 蚕糸博物館1
モノづくりニッポンの原点。
岡谷の生糸はブランド化され、上物として外国に多く輸出されました。
推定では日本国中で稼ぐ外貨の実に1割を岡谷市の製糸業が占めていたとか。
今でいう自動車産業の豊田市のようなものです。
そんな説明を聞いたあと、いよいよ実際に製糸が営まれていた工場建物や実業家の住宅を訪ねるために、岡谷の町歩きが始まりました。
旧山一林組製糸工場事務所。
木造ですが、モルタルと細かい粒石をまぜた壁が風情があります。
山一5 山一3
<礎石にさび石が使われていたり、 スロープの縁の終わりにおもしろい石彫刻がほどこされていたり。 とても雰囲気のある建物です。 山一1 山一4 山一2
金上繭倉庫。
金上
照光寺。
木造の立派な蚕霊供養塔を見に来ました。
総ヒノキ造りで棟梁は大隅流石田房茂。
照光寺3
供養塔もすばらしいですが、参道の入口の亀甲積みもなかなかのもの。
やはり石のほうにも目がいってしまいます。
照光寺2 照光寺1
最後の見応え、旧林家住宅。
製糸業で巨万の富を築き、鉄砲製造にも手を伸ばした、稀代の実業家、林国蔵の居宅です。
趣向をこらしまくった建物のみごとさに感嘆。
林2 林3 林4
午前中たっぷりかけてまわった、岡谷の製糸業跡でした。
午後は産業遺産のいくつかやつつじの名所を訪問したりする計画でしたが、
私は午後は予定があったので、午前中だけで失礼しました。
他の人たちは「せっかくここまで来たからウナギで一杯やっていこう」と、老舗のうなぎ店に行かれたようです。
うらやましい!
そこで私も「せっかく」気分を味わおうと、岡谷駅前のデパート内にあるうなぎ屋さんでお弁当を調達しました。
わかさぎの佃煮もお土産に買ったら、おまけにウナギの骨のから揚げをもらいました。
そして、帰りの電車の中でごきげんなランチ。
弁当
シメはやっぱりこれですね。

2012年2月13日

もうひとつの北の杜

杜の都、仙台。
石屋団体・全優石の総会に夫が出席するのに便乗して、家族(Kuhは預けて娘2人連れ)で行ってきました。
毎年全国もちまわりで、石産地近くで総会が開かれますが、今年はあえて仙台となりました。
仙台は10年ほど前にも総会が行われたところですが、今回は人が集まることの経済効果を狙ったものとみえます。
私は仙台は3回目。
不思議なご縁だなぁ、と二つ返事で同行を決めました。
「杜の都」という呼称が北杜市も髣髴とさせるので、親近感を覚えています。
規模や町並みが神戸に似ていて、どこか懐かしい、それでいて都会的な心地よい緊張感も得られる、大好きな町です。
でも子連れで東北に行く、というと
「ガイガーカウンター、買った?!」と眉をひそめられる世の中です。
山梨から見ると未知の世界、実際はどうなっているのか・・・。
ひとごとでしか考えざるをえない震災の爪あとを少しでも肌で感じられれば、何か変わるかもしれない。
被曝の心配より、そんな覚悟と期待も含んでの、研修旅行となりました。
1日目、夫以外の3人は動物園へ。
寒さでどうぶつたちはみんなオリの中へ入っていましたが、みせていただけました。
子どもたちは動物が見られただけで満足。
サル山では寒い中、たくさんの親子ザルがキャッキャキャッキャと遊んでいました。
閉園まぎわだったからか、飼育員のおにいさんが売り物のエサを分けてくれて、Tazに投げさせてくれました。
動物たちも震災直後は大変だっただろうなぁ。
電気も使えないし。
元気に生きていてくれて、ありがとう。
2日目。
いよいよ浜辺のほうへ。
まず松島。
日本三景のひとつで、今はカキのおいしいシーズン。
なのに、観光客は激減、特に外国からのお客は皆無だそうです。
松島も浸水1m以上あったことが、待合室の写真ギャラリーでは紹介されていたけど、今では大きな爪あとは残っていないように見えました。
松島石堤防
そして石巻へ。
言葉を失う光景。
倒壊したお墓。
地面は基礎までえぐられ、海の砂が入り込んでいる。
石巻倒壊墓石1 石巻倒壊墓石2 
住宅街。
石巻被災住宅街1 石巻被災住宅街2
石巻被災住宅街3 石巻被災住宅街4
住宅街には人の気配がまったくない。
ガレキ撤去と解体作業が、建設機械でもくもくと行われている。
もしかしたら、写真だけでは「きれいになった」と感じるかもしれない。
とても整然と、なんとガレキまで木とプラスチックなどに分別されている。
ガレキ木材をバイオマス燃料にするためだろうか。
まじめに、真剣に、誠意を持って。
日本人の気質、そのままだ。
だからこそ、よけいに悲痛に感じる。
柱がむき出しになり、窓ガラスや壁のボードが破れたままになっている巨大な無人空間が。
何をしてるんだろう・・・と自分を振り返りました。
報道陣でもあるまいし、ただ被害の様子を見るだけで。
ごめんなさい。
撮影させていただき、ありがとうございました。
近年のしっかりした施工のお墓はほとんど倒れてないことがわかりました。
土砂には埋まってるけど、傾きはみえません。
石巻倒壊墓石3
お墓が倒れるということは、長期にわたって心理的不安が続きます。
石屋として、精一杯のことをやるだけだ、と気持ちを引き締めることくらいしかできませんでした。

2011年8月19日

関西学院大学の石建築

明石に帰省中に母校放送部の60周年同窓会がありました。
関西学院大学の別館の式場を借り切って盛大に行われました。
終わった後、同期たちとしばしキャンパスを散策。
学校案内書に必ず載る、時計台や中央芝生を懐かしんできました。
「きれいな学校やなぁ・・・」と改めて感動。
建築様式はスパニッシュ・ミッションスタイルというそうです。
淡いクリーム色の壁に赤レンガ。
随所に石も使っています。
正門
関学1
正門について、「古いものやから、地元の本御影とちゃうか?」と同期の一人が言いました。
確かに少し黄みがかって、さび石のような色になった御影石なので、そうかな?と思いましたが、
私ではよくわかりません。
夫が写真だけ見ると「ちがうんじゃないかなぁ」と言ってましたが。
彼は最近お父さんが亡くなって、お墓を建てた際、石についてかなり勉強したらしいです。
「庵治石って世界一高級な白御影なんやろ?」
すごい!ちゃんと日本の銘石を勉強してる!感心!
ランバス記念礼拝堂
関学2
私が卒業したあと、関学にも建築科ができました。
総合政策学部都市政策学科。どちらかというと一般の住宅より地域設計の勉強でしょうか。
いろんな素材を勉強して、石、とりわけ地域の風土や景観にあった石建築を生み出してほしいなぁ。

2011年6月25日

浅葉克己・東北応援デザイン

全優石が、東北を応援する店頭ポスターを制作、各店に配布しました。
アートディレクター浅葉克己氏のデザインです。
全優石ポスター
円は地球を表し、今回の地震がくさびのように大きくつきささったことを意味。
字にかかるクルクルの模様は、地震、津波、原発、余震により混沌とした世の中を表現。
…と全優石からの説明書にはあります。
インディペンデント紙の震災直後のポスターに、影響されたデザインですが。
コピーはこっちのほうが好きです。
全優石「全国優良石材店の会」とは、全国約300社で構成される石材業ブランドチェーンです。
厳しい審査があって加盟でき、業界全体からの保証などの顧客サービスのほか、石材業や墓石のあり方などについて啓蒙活動をしたりしています。
その全優石の、東北の地場産業をバックアップしようという試みのひとつが今回のポスターなのです。
東北は良質石材の宝庫です。
福島県は日本で最も採石場の多いところですし、
茨城県の真壁石は採石量が日本一。
個人的に好きなのは、独特な黒が魅力の宮城・伊達冠石と、建築や石窯などにおしゃれな栃木・大谷石。
守っていきたい地場産業があること、
石材業界のブランド組合がバックアップしようとしていること。
そういう全優石の意図までは読み取りづらいポスターですが、
浅葉さんのデザインとともに、日本の石の元気をとりもどしたい、と思います。
ウチの工場の前を通ったら、そんなこともちょっと感じてもらえたらうれしいです。

2010年5月14日

なんかかわいい、公園のおともだち

甲府のお客様のところへ行ったときに見つけた、公園のオブジェ。
0517千塚公園1 0517千塚公園2 
0517千塚公園3 0517千塚公園4
車道との縁石がわりに公園を守っている石のオブジェたちです。
こういう埴輪的な、単純な顔、大好き。
市民の憩いの場「千塚公園」。

2010年3月17日

みかげ石のふるさと

「ホテルのただ券があたったよ」と親から譲り受けた特典を有効活用するため、
家族で2泊3日の神戸旅行へ。
神戸といえば「御影石」のふるさとです。
神戸市東灘区の御影(みかげ)地区で採取された花崗岩を御影石というようになって、
いつしか花崗岩全体の通称として用いられるようになったとか。
焼物でいえば瀬戸と「せともの」みたいなものでしょうか。
神戸の御影石は業界では「本御影」などと言って、まさに本物っぽい呼び方をしています。
黄色いサビ色が出るのが特徴で、比較的水を吸いやすく変質しやすいとのこと。
だから墓石業界ではあまり使いたがらないし、第一もうほとんど取れないものです。
でも神戸の古いお墓はやっぱり、そこで取れた御影石をつかっていて、
それはそれで情緒があって、いいものです。
私たちが泊まったホテルは旧居留地の近くでした。
港に近いところで、開港の際は外国人使節が多く住んでいたところ。
今では世界一流のブティック(ヴィトンやプラダ・・・)が軒をつらねる、おしゃれな界隈です。
ステキ。普段田舎にいるから、今回はとことん町歩きをしてみました。
まずはホテルの前でくだんの御影石による建造物をみつけました。
神戸2 神戸3
外国商館跡門柱。(現第一生命ビルディング前)
開港直後の石造りの建物の一部を保存したものです。
さて、旧居留地は建築的にもはなかなか絵になるところです。
古い建物もよく残っているし、新しい建物も高級感のある造りになっている。
石もふんだんに使われていました。
神戸1 神戸4 神戸6
神戸8 神戸7 神戸12
歩道の石畳、ビルのフロントのカウンター、プランター、石柱など・・。
建築に大胆かつふんだんに石が使われていて、町全体が見ごたえがしました。
石からちょっとそれてしまうのですが、
神戸はお菓子天国でもあります♪
元町商店街のわずか数十mの間に何軒のケーキ屋さんやパン屋さん、和菓子屋さんがあったかわかりません。
つい競合しないのかな、などと心配してしまいますが、そこは甘いもの好きの神戸っ子のことですから
いくつあっても大丈夫なのでしょう。
神戸-本町商店街 神戸-サセボン 神戸-アンリ
神戸-きんつば 神戸-エコルチェ 神戸-コムシノワ
それにしても、高級菓子店はことごとく石造りですね。
この乱張りの壁なんか、神戸に合いますね。
最後の日は公園でひと休み。
夫が仕事用の資材を買いにユザワヤやロフトに行っている間、
子どもたちと私は市役所の隣の東遊園地で待っていました。
遊園地といっても、静かなパブリックスペースです。
ここにもおもしろい石造物を見つけました。
近代洋服発祥の地モニュメント。
さすが。徹底しておしゃれですね。
神戸-公園1 神戸-公園2
洋服の見ごろをモチーフにしたアートです。
神戸といえば震災の傷跡も忘れてはいけません。
私は当時はもう東京に出ていたので、あまり実感がありませんが
それ以前に知っていた神戸の町並みが大きく変わってしまったところもあります。
神戸9
これはメリケンパークの入口にある、波止場。
コンクリートが割れて街灯も大きく傾いている様子をそのままに残しています。
しばらく離れていると違う面が見れた神戸でした。
神戸11
波モチーフのアートに登るMoo。

2010年1月7日

東京・深大寺&銀座

仕事始めは東京で迎えました。
毎年会社の商売繁盛を祈願して、深大寺で護摩焚きをしてもらいます。
天台宗の別格本山。
ゆっくり回りたいのですが、毎年集合時間ぎりぎりに行って、祈祷が終わるとすぐ新年会に突入。
縁日のお店、灯篭や仏像、石積み敷石・・・どれも古い歴史があるのですが、時間がなくて残念。
深大寺1
深大寺2
深大寺3
上京ついでに久々に銀ブラ。
ここはやはりおしゃれな石の使い方をした建物があります。
銀座3
銀座」2
銀座1
芦屋マダムやマドモアゼルご用達の洋菓子店、アンリ・シャルパンティエの銀座店。
白御影を用いた柱のギリシャ調の彫刻がこの高級老舗菓子店にぴったりでした。
銀座4