おかみブログ

2010年8月23日

家族葬について

NHKのあさイチ、今日のテーマは「家族葬」でした。
家族やごく身近な知り合いだけで、故人をじっくりと送ることをめざす「家族葬」。
6割の人が希望するというこの葬送の形を、メリットデメリットをふまえて紹介するという内容でした。
誰もが迎える「死」。たいていの場合、一度は親しい人を「送る側」になることについて、きちんと考えてみることは重要なことです。
ただ、いつもこの手の番組は、ハラハラしながら見ているのが本音。
「心をこめる」という殺し文句の陰に、安易に「安さ」「簡便さ」「人間関係の希薄さ」を助長するような内容にならないかどうか。
もちろん、どんな番組でも、とりわけNHKですから、望む人が多い反面の問題点の指摘も忘れてはないのですが、
興味をもって見てる人ははなからこのテーマに共感するから見るのであって、自分の考えを曲げるつもりはあんまりないのではないでしょうか。
よっぽどデメリット部分を強調しすぎるくらいにしないと、危機感は伝わらない。
ゲストの一人が山口もえちゃんではちょっと弱い・・・。
ですから、今日はあえて、丸ごとは共感できない立場からのツッコミを。
(どうも、NHKモニターの癖が抜けないなぁ)
まずタイトルが危険。『格安で実現!私らしいお葬式』。
このタイトルで、まず葬儀屋に多額の金を払うのはバカバカシイという印象を植え付けてしまう。
金をかければいいってもんじゃないけど、かけないからいいもんでもないだろう。
「従来のお葬式」とは決して、葬儀屋に一切をまかせて自分は何も希望を言えない、というものではない。
本来、従来のお葬式とは、近所や檀家同士など、地域社会の中で行ってきたもの。
番組中でも紹介されている、「3日間戦争」と言われる雑務の煩雑さを、当家がするのはそもそも無理。
喪主はムードメーカーとしてその場にいるだけ、あとは葬儀委員長に任命された組内の会長さんなどがすべてを仕切る。
これは田舎ならまだ残っている風習ですが、都会ではそんなメンドウなことは皆無になり、結果葬儀屋が代行して行うというパターンが一般的になりつつある。
(田舎ですら、近年組内だけで葬儀をあげることは少なくなっています)
番組ではドラマ仕立てで家族葬の一例を紹介。このドラマがまた、センチメンタルなまでに主人公である喪主(故人の妻)に感情移入させる内容になっている。
祭壇、花は菊、戒名、お経…
ふだん馴染みのないものだから、お葬式だけそういうものに触れるのは抵抗がある、
「(葬儀屋)仏様は北枕が普通」←→「夫はいつもこちらを枕にしていましたから」と断る妻。
「お坊さんの手配を…」←→「意味もよくわからない、聞きなれないお経をあげてもらっても夫らしくない。戒名もいらない」
宗教の自由を約束された国家だから、どういうスタイルにしようともちろん自由。
でも、人間が精神と知恵を結集して培ってきた宗教観を、現代の「自由」という名の下の「無知」で片付けてしまってはあまりにもったいない。
お経や仏事の意味を少しでも知ろうとしたことがあれば、こんな言葉は出ないはず。
葬儀屋は専門家だけあって、仏事神事、風習慣習、道徳常識はよく勉強している。
この機会にそういうものに触れてみよう、勉強してみよう、というのも自分の身になるのに。
「親しい人だけで送る」
これ、実はある意味すごく排他的。
だいたい、「親しい人」をどの線で区切るつもりなのか。
普段会話している人と親族だけ(親族も何等親まで?)では、逆に今の社会に合わない。
おさななじみや昔の同僚、年賀状だけのつきあい…仕事や結婚の活動範囲が広くなって、ふだんつきあえないけどその故人をしのびたい人は多いはず。
私はまだ親しい人を送る機会が少ない年代だから、ちょっと顔見知り、あまり会えないけど懐かしい、尊敬している、というようなたぐいの人が多い。
その別れの場に行く機会を設けてもらえないのはかなりさびしい。(ある意味、失礼)
「家族葬」「密葬」の名のもとに、「来るな」と断られているようで。
ただ、これにはいい面もあることはあって、亡くなった直後の遺族のつらい顔を見るより、半年くらいして落ち着いてからのほうがこちらの気持ちも楽だったりする。
平服で訪問し、ゆっくり思い出話をできる場合もあるから。
少人数葬儀を選んだ家は、そういう風にバラバラと訪問客を受け入れるのをヨシとする覚悟くらいはもつべきだろう。
困るのは遠方の場合や、個人的にわざわざ訪問するほどの仲でもなかった場合。
お葬式で集まった者同士、しんみり話をすることも、大事にしたかったりするから。
葬儀は、冠婚葬祭の中でも最も短時間にやるべきことが山積みになる儀式。
大勢の人員総動員してやっと成し遂げられる総合事業なのだ。
地域社会のつながりが希薄になったことで生じた問題を、解決するのはお金や簡素化ではない。
極論。
ただでさえあわただしい葬儀で、ムリヤリ個性を出さなくたって、
あとでいくらでもその人らしい偲び方、残された者同士の心の交流はできると思う。
それでも葬儀という儀式はやっぱり必要。それは故人や遺族のためだけでなく、人生で彼らに関わったすべての人に対する礼儀として。
その上で、「その人らしさ」が出せればもちろん理想的。
こういう番組を流すことが、そもそもの問題である「つながりの崩壊」を黙認することにならなければよいが。

2010年8月22日

パワーストーンブレスレットいろいろ

天然石ビーズのブレスレットの製作販売を始めました。
まずは私の好きな石の中から一般的なものを集めてみました。
黒…スモーキークォーツ、ブラックトルマリン
赤…カーネリアン
水色…アクアマリン、ブルーレースアゲート、
青…ターコイズ、ラピスラズリ
緑…ヒスイ、アベンチュリン
ピンク…ローズクォーツ
紫…アメシスト
透明…クリスタルクォーツ
タイガーアイやシトリンなどを近々に入荷する予定。
組み合わせを考えながら、つなげていきます。
組み合わせによって印象が変わるのがおもしろい。
石の持つ作用や意味と、チャクラ(体の各部との調和)を考えながら、ひたすらつなげます。
アクセサリーとしてはシンプルすぎるほどシンプルな、シリコンゴムでつなげただけのブレスレット。
ビーズの大きさは6mmで、ラウンドのものに統一。
色の石が映えるようにクリスタルをベースにしています。
よくシルバーパーツを使ったり、ビーズの大きさや形を変えてアクセサリー色を強くしたものも売られていますが、私はなるべく飽きのこないスタイルを、とこだわってみました。
わっかをつなげる作業は、なんだか心が静まって癒されるようになるから不思議。
半分瞑想修行のつもりで、いくつか作りためてみました。
お気に入りを見つけてもらえるのもうれしいし、
ご希望に合わせてオーダーメイドも承ります。
ほぼ石代とパーツ代だけでご提供。平均価格2500円くらいです。
男性用に、ビーズ玉サイズの大きいもの(10mm)や、法要にも使える数珠タイプのものも、これから作る予定です。
天然石ブレス1
天然石ブレス2

2010年8月21日

ロハスなおまつり

「ありがとう地球まつり」に行ってきました。
芝生と木陰、ステージのある広い敷地の施設、小淵沢アルソアウェルネスガーデン。
地球の恵に感謝しながら音楽や飲食を楽しみましょう、というイベントでした。
ステージではラフターヨガ、コキリコ節、アフリカンダンスなど。
いろんな人たちが出店ブースを出していて、おいしいものや、かわいいものを売ってました。
地球まつり1
お昼ごはんはピッコロのお母さん友達の一人が出しているカレー屋さんで。
その場でナンをこねて焼いてくれ、2種類のカレーをステンレス皿でいただく、本場さながらの一品。
さすがインド在住経験のある一家らしいものでした。
地球まつり5
他にも手作りパンやマクロビオティックスイーツがいろいろ。
黒蜜豆乳チャイはスパイシーな味で、Mooは「苦い・・・」とお気に召さなかった様子ですが、私はおいしくいただきました。
地球まつり8
地球まつり2
おやつはかき氷。
とにかく最近地域のお祭りやくじ引きでかき氷を食べる機会が多かったのですが、
この猛暑だからかき氷はうれしいおやつなのですけど、どうもあの色水シロップは私自身抵抗が。
子供がパクパクおいしいと言いながら食べているのを横目で見るのも複雑。
他の人の手前、あまり厳しく「こんなものたべちゃダメ」とも言えず。
でも今日売ってたのは自家製すももシロップをかけたもので、
天然の甘酸っぱさと鮮やかないちご色がきれいな、絶品でした。
暑さのせいか、飛ぶように売れていました。
地球まつり4
地球まつり6 あおぞらのもと、絵本読み聞かせ。
地球まつり7 竹で作ったアスレチック。
しかし、出店者も含めて来場していた人半分くらいは知り合い、というのも、おもしろかった。
集まるところにはみんな集まってくるものです。

2010年8月15日

練り込み囃子、親子参加

今年のお盆も早や終了。
高原とは思えない蒸し暑い日。
14日はすずらん祭りがありました。
今年から商工会青年部主催ではなくなり、有志実行委員会での開催となったすずらん祭り。
文字通り、「やりたい!」と願う地元民の手作りのお祭りになりました。
予算のない中、せめて例年レベルの盛り上がりを演出したいところ。
和太鼓による「練り込み囃子」も6月末から練習を開始しました。
子どもたちが今年もたくさん来てくれました。
今年で3回目以上になる常連の子たちが、そのお友だちを呼んで、総勢20名もの大子ども連を結成。
練習は主に子ども中心で行いました。
礼に始まり、礼に終わる、というケジメもきちんとつけます。
できる子が多いし、初めての子もすぐできるようになるので、今年は通し稽古中心でした。
おかげで今年の子どもたちは忍耐力が養われたようです。
本番は30分ぶっつづけ、という長丁場が何回かありますが、
投げ出したり、観客側に流れたりすることもなく、きっちり演者としての誇りを持って最後までやりとおしました。
Mooも今年で3回目。
太鼓の練習の日を楽しみに待つようになりました。(純粋に太鼓だから、というより、夜も保育園のお友だちと会えるというのが大きかったようですが)
すずらん祭りの本番も指折り数えていました。
ところが、前日の13日、よりにもよって発熱。
7月終わりごろにTazが夏風邪にかかり、私へとうつり、二人とも終息へ向かっていて「Mooちゃんは大丈夫だったね」と油断していた矢先でした。
13日午後、元気はあるものの38度の熱。
この日ばかりは水分嫌いの本人も言うことを聞いてポカリを多めに飲み、夜更かしを断念して8時頃おとなしく床につきました。
なんだかその様子には「ぜったいあしたまでになおすんだ」という気迫すら感じられました。
そして14日当日の朝。
7時ごろにハタと目を覚まし、「ねつさがった!」とすがすがしい顔。
5才の子に自分が何度の熱があって、それが下がるという感覚がどういうものか、どこまでわかっているのかと思いましたが、確かに36度2分の平常体温。
気合で治しました。
練り込み囃子やすずらん祭り全体の動画を、小淵沢在住のJoeさんがご自身のブログにアップしてくれました。
Joeさんのはいつも八ヶ岳南麓のイベントや自然を紹介されていて、この地域を知りたい人は必見のブログです。
顔が映るとイヤ、という人もいるのですが、私は「どうぞどうぞ、ぜひ撮ってください」と承諾したので、
親子でいっぱい撮ってもらいました。
練り込み囃子の動画
すずらん祭りの動画
お祭りは終わったあとが肝心。
控え室となった公民館。私は受付係。
参加者の人たちが一斉に太鼓と衣装を返却する嵐のような数十分が過ぎたあとは、太鼓の積み込みや掃除、片付け。
Mooも屋台を見に行きたいのをこらえて、片付けに付き合ってくれました。
一般参加者が全員帰り、太鼓メンバーが太鼓を片付けに行き、私たちは留守番、という時間。
さっきの熱気がうそのように静まり返って、私たち親子だけが公民館に残されました。
「なんだかおなかすいたね。」二人で黙々と支給されたお弁当を食べました。
親子、というより同志のようでした。
そうしてるうちに太鼓メンバーが片付けから帰ってきて、その一人がどこからか拾ってきたおもちゃの弓矢をMooにくれました。
窓を的にして弓矢遊びにハマるMoo。
子どもらしい顔と、大人の聞き分けのよさが混在して、不思議な生き物を見ているようでした。
この日、お父さんは同窓会で遅くなり、Tazはバーバんちにあずけられていました。
2人だけの我が家に、10時すぎ、ようやく帰宅できたMooと私はまずは風呂場へ直行。
そこであらためて「最後までよくがんばったねー」と本心から声をかけると、
Mooは声もなく泣き出しました。
大きな達成感がそんな感情表現となって爆発したようです。
未就学児最後の夏。Mooにとっても特別の思い出になったんじゃないでしょうか。
neri.jpg 練習風景。

2010年8月6日

21世紀の縄文人展

おらんうーたん作家有志による特別展「21世紀の縄文人展」
谷戸城ふるさと歴史資料館で開催中です。
初日に行ってきました。
「縄文」をテーマに様々な素材の作家たちが腕を競う。
というより、それぞれ好き勝手な世界を自由に表現。
ある意味「縄文」はこじつけだったりもするのだけど。
でも不思議と空間全体が妙な統一感もあったりするのです。
まじないの場のように円形に配置された和紙灯り。
縄文人展1 和紙造形・深沢修さん
静かに流れてくるオルゴールの音。メロディーがあるようなないような。
太古の水の流れにも似ています。
縄文人展2 オルゴール製作・名取淳一さん
縄文時代の装飾品をイメージした形のガラスアクセサリー。
雨のしずくのような。
縄文人展3 ガラス・藤巻晶子さん
不公平かもしれませんが、私が特に好きだった作品をご紹介しました。
猛暑だからか、今のマイブームなのか、「光」と「水」に惹かれます。
ぜひ見る人それぞれのお気に入りの「縄文世界」を見つけてください。
21世紀の縄文人展
8/29まで
谷戸城ふるさと歴史館
作家によるギャラリートーク
8/17、8/19 14:00〜

速報!8/17のギャラリートークには、北杜市長もトークに参加されることになりました。
おらんうーたんの活動はいまや北杜市観光の目玉のひとつにもなっていて、市長もバックアップ。
日ごろから市の文化活動普及に積極的な市長が、作家たちとどんな話をするのかも見所です。

2010年8月4日

ひとんちの子は早い

ツバメ
2週間ほどで、ツバメがこんなに大きくなりました。
ツバメ2
ぎゅうぎゅうづめ。
この頃になると、エサはトンボなど。
親ツバメがほんの0.5秒くらいの滞留時間でエサやりをするので、ぜんぜん写真に撮れませんが、
かなり「肉食系」です。
羽のひろがったトンボをぐしゃっと親が子の口につっこむ。
それを子があっという間に丸呑みする。
よく見ると意外とワイルドな顔つきなのです、ツバメって。

2010年8月3日

菜園、ようやく形に・・・

今年は5〜6月がなんだか忙しく、体調もすぐれなかったため畑にあまり手をつけられずにいましたが、
なんとか草を刈り、数種の苗を植えていたところ、今はこんな感じにまで育ちました。
畑1
野菜はキュウリ、トマト、インゲン、枝豆、シソ、バジル。
畑3
畑5 畑4
シソとバジルは雑草に埋もれながらも目覚しい成長をしてくれ、料理に大いに活用できるまでになりました。
キュウリとトマトはひかえめに3苗ずつしか植えてないので、山盛り収穫にはそんなに期待してません。
キュウリもトマトも近所の人から山ほどもらえるので、自分ちのは試験栽培のようなもんです。
でも中には形のいいキュウリもあったりして、食べてみると味も濃く、欲目ながら満足してます。
あまりにも手抜きのほったらかし農園ですが、
地道に根元から草刈をしてその場に敷き詰めていくという自然農のマネゴトが功を奏したのか、
初年度はちがやで悩まされた土壌も、今年は雑草の種類も変わりクローバーやぺんぺん草が主流。
人によると、この種の雑草は土が肥えてきた証拠だそうです。
豆類などは特に向いているとか。
畑の3分の1はヒマワリ。
今年新しく植えた種は、蒔きどきが遅かったため、開花はこれからですが、
去年のこぼれ種から出た花が立派に咲いています。
おもしろいことに、先に咲いた花はヒマワリらしく2mを越す大輪。
花弁も大きく、まさに夏の太陽です。
あとから植えたのはひょろひょろと小さい状態。
去年は全体的に生育が悪く、ヒマワリもやっぱり連作はいけなかったか、と反省しましたが、
どうやら雨が多かったのが一番の要因だったよう。
今年は力強い花がさいてくれて、我が家の真夏を演出してくれています。
ひまわりむうた2010-2

2010年7月31日

彫金と陶の小さな世界展

小淵沢のギャルリーアビアント。
フレスコ壁画の内装の、とても雰囲気のあるギャラリーです。
アビアント1
今開催している展示がこれ。
彫金×陶=∞ 〜無限に広がる小さな世界展〜
竹内 尋教  水野 里香
アビアント2
若いご夫婦の作品展です。8月30日まで。
アビアントにちょっと用事があって行ったら、ちょうどオープン初日。
2階が貸しギャラリースペースなのですが、階段を登ってまず目に入った小さなおうちに悩殺。
アビアント4
ドールハウスのような、ミニチュアサイズのおうち。
アカデミー賞をとった「つみきのいえ」の世界みたい。
陶の家に金属で小さなハシゴや自転車やイスを作って設置。
その細かさと素朴さが世界の広がりを想像させてくれます。
「素焼きっぽく見えますが、釉薬を一度洗い流してから焼いているんです。」(だったかな)などの説明を丁寧にしてくれる竹内さん。
ミニチュアハウスのほかに、昆虫を忠実に金属で再現したアクセサリーも。
その虫の体の一部に天然石をあしらっています。
ラブラドライト、翡翠、ガーネット・・・
石の自然な輝きが、ちょっとグロテスクにさえ見える昆虫に美しさを与え、気品さえ感じられる作品群。
虫はちょっと・・という人もつい見入ってしまいます。
でもペンダントやイヤリングは、実際に身に着けるのはちょっと勇気がいるかな。
インテリアでもいいかもしれません。
アビアント3
夏の日差しギラギラの、暑い八ヶ岳ですが、
フレスコ画のアビアントの中は外気の熱気も適度に遮断され、淡い自然光がここちよく、やわらかい風も入ってきて、癒される空間です。

2010年7月26日

石の図書館

石屋の事務所の奥に本棚を設置。
今までためておいた、石に関する本をそろえてみました。
本棚
ジャンルは大きく分けるとこのとおり。
●お墓について
 お墓の建て方ノウハウ、宗派による建墓、オリジナル墓石、アーティストの墓石など
石の本2.2 石の本2.3
石の本2 石の本1 石の本3
●宗教学
 仏教、神道、密教、死後の世界、瞑想
石の本3.2
石の本4 石の本
●石仏
 石仏画集、石仏をめぐる、信州の石仏
石の本5.2
石の本6
●パブリックアート
 都会で見る石造物画集
石の本7
●石を楽しむ
 石ころ図鑑、化石、あかりづくり、パワーストーンアクセサリー、造園
石の本8 石の本9
たぶん200冊くらいあると思います。
管理事務が大変なので、貸し出しはできませんが、店内で自由に読んでいただきたいです。

2010年7月25日

はじめてのお泊り会

森のようちえんピッコロでお泊り会がありました。
今年度に入ってから親の都合で(予算と送り迎え手間)月2回ペースでしか行ってないMoo。
「自ら考え行動する子ども」の育成をめざしできる限り手を貸さず見守る、という方針のピッコロ保育には、2回だけの参加では本当は少ないのですが、まあ自然の中で遊ぶという意味ではムダではないかな、というくらいで接してます。
ピッコロのお友だちも、そういうことでいつも行く保育園のお友だちほど親密ではないので、
今回のお泊り会も、参加させようかどうしようか、私もギリギリまで迷ってました。
とにかく、お泊り会の存在をMooが知って、自分から行きたいといえばもちろん参加させよう、と思ってました。
7月に入ると年長組の子どもに先生たちがさりげなくお泊り会のことを促し始めます。
毎日行ってる子は日程も内容も徐々に理解していくのですが、
Mooの場合は7月の初旬に1度その話を聞いて、「ふうん、そういうのがあるんだ」とその場で知ってあとは忘れてました。
ただ、最初聞いたときにお友達に行こうよと誘われたことがうれしかったらしく、最初から行きたいモードにはなっていたみたいです。
そして次の出席日がお泊り会の前々日。
「え?あさってなの?」と急にそのモードになり、はっきりと「お泊り会、行きたい」と言い出したのです。
よし、それなら、と参加を申し込みました。
お泊り会。
家族と離れ、お友達と先生たちだけで園舎に一泊。
他の参加者の多くの子同様、Mooにとっては初めての経験。
どの子も楽しみな反面、不安でさびしい、という気持ちからスタートするみたいです。
「おれ、泣くかも」と宣言している子も。
そんな周りの子の反応もあって、Mooも、参加するとは言ったもののやっぱり前日は不安な気持ちが強くなってきたみたいです。
「明日ぜんぜん楽しみじゃない」などとつぶやく場面も。
で、当日。
いつもと違って昼過ぎ3時の登園です。
その日は朝から保育園のほうを休み、私の買い物と仕事につきあわせたりしながら登園の時間を待ちました。
朝、持ってくものの準備。
Mooはしきりにふとんを気にします。ふとんは保育園に置いてあるので、出る前にとりに行くことにしていましたが、「ふとん、保育園にとりにいかなきゃ」と何度も口にしていました。たぶん保育園に一度は顔をだしたいのでしょう。
ふとんに気をとられていたせいか、下着などの着替え一式をリュックに入れるのをすっかり忘れ。
買い物に出てから二人で気がつきました。
「あーあ」。
「どうする?とりにはもどれないけど」
「このままでいい」
途中で買っていくという選択肢は出てこなかったようで、結局着替えなしで参加することにしました。
なぜかパジャマだけは用意していたのが救い。
登園。参加園児は5人。
他の子たちももう来ていて、ふとんを敷いたり、カレー用の一品持ちより野菜を集めたり、着々と準備が進んでいます。
「泣くかも」と宣言していた男の子はお約束どおりべそべそ泣いています。
それにつられてMooもウルウル。
先生が、親子の別れがしづらくなると察したのか、
「おかあさん、もう帰ったほうがいいかも」と、促してくれました。
それでMooがリュックを置きに行っているすきにこっそり園舎を出ました。
でも。
なんだか私自身納得いきません。
最近のMooはちょっとくらいイヤだと思っても、するべきこと、自分が決めたことは最終的には守る、ということができてきていて、「やっぱり行かない」のドタキャンはないのです。
というより、もともとそういう決心をする子ではない。
それなら、「がんばってね、いってらっしゃい」などの言葉をきちんとを交わしてから別れたほうが、本人も気がすむんじゃないか。
なにより私が、すごーく後味わるい。
車で帰路について3kmほど来ていましたが、「やっぱり戻ろう」と思い返しました。
でもただ戻るのもなんだかバツが悪いなー。もうお泊り会のプログラムは始まっているだろうし、他の子を刺激してもかわいそうだし。
結局、もうひとつ小さな忘れ物(歯ブラシ)をしていたことを思い出し、それを持っていくついでに、様子を見ながら会おうと計画を立てました。
園舎に戻って車道から様子をうかがってみると、もう始まりの会が始まっていて、Mooもとりあえずおとなしく座っている様子。
「こりゃー、出て行かないほうがいいかな、間が悪いな」と思っていると、
ちょうど例のベソかき少年のお母さんがまだいました。
他のお母さんがまだいるならちょっとくらいいいか、と始まり会が終わったあたりでひかえめに顔を出すと
Moo、「なんでもどってきたの?」と不思議そうな顔。
怒るでもなく、うれしがるでもなく、微妙な表情。
「いや、ほら、歯ブラシ。」
「・・・・」
「あと、ぎゅーくらいしよか。」
まあこういう間の悪いことをしたのがよかったかどうかはわかりませんが、
少なくともこの2回目の別れは特に乱れることもなく、淡々と終わったのでした。
そしてあとは次の日の迎えの時間を待つばかり。
予定では歩いて2km離れた店までパンを買いに行き、戻って子どもたちだけでカレーをつくり、花火をしたりして夜をすごし、自分たちから寝ると言い出すまで就寝は促さない。
朝は目玉焼きを作って残りのカレーとパンを食べ、スイカ割りをしたり、ウサギの世話をしたりして、9時過ぎ降園。
ただ、予定は未定で、子どもたちの様子や意思によって変わることもあるそうです。
私の心配ごとはやっぱり着替えを持っていかなかったこと。
水浸し汗まみれになったりしないかな、おねしょしないかな。
とにかくピッコロ園舎は電気はつかないし、トイレは外だし、ほとんど野外キャンプのような環境なのです。
夜おしっこに行きたくなっても、一人じゃ行けないだろうし、Mooの性格上誰かについていってほしいと言い出せるかどうか。
迎えの時間。
ごほうびに帰りに大好きな温泉に連れて行ってあげよう、と下着とワンピースの準備をして迎えにいきました。
着くといつもとかわらないすがすがしそうな顔。
とりあえずおねしょもなく無事一夜を過ごせた様子。
先生からの報告会が1時間ほどある間も、他の子と木登りしたり草をとったり、いつもと変わらないテンションで普通に遊んでいるのが、Mooらしいな、と思いました。
全体としての行事もほぼ予定通りに進んだとの報告でした。
ピッコロらしいMooにまつわる話。
夜の散歩に行こう、と子どもたちが言い出し、行き先も子どもたちが決める。
街灯もない、月明かりも半分しかない、しかも少し曇り空。
まったくの闇の中、懐中電灯だけが頼り。
勇気ある男の子を先頭に5人の子どもたちと先生たちあわせて8人が夜の散歩に出かけました。
Mooはたまたま先生と手をつないでもらっていたのですが、ふいにすっと手を離し、少し前を進んでいた男の子のところへ行って、「ねえ、Gちゃん、こっちでいいの?」と道を確認したということです。
いいとわかるとまた先生のところへもどり、手をつないでもらったとのこと。
「私に聞かないんだよね、子ども同士で確認しあうの」と先生はおもしろそうに話してくれました。
あとで感想をきくと「ちょっとこわかった」と話したそう。
意地をはって「こわくないやい」という子もいたそうですが、そのあたりMooは正直です。
みんなが眠りについたのは12時をまわっていたそうで、これも先生はびっくり。
とにかく無事におわったお泊り会。
小学校へ入る前の年のこの時期、よくお泊り保育というものが取り入れられますが、
「やっぱりこの時期なんだね」と先生は言います。
超えられそうだけど、ちょっと高いハードル。
超えた瞬間喜びを感じることもあるし、あっけなかったと感じることもあるし。
Mooの場合は一見ソツなく超えたように見えますが、誰も気づかない何かをつかんでいるかもしれません。
この一夜で劇的に変わったわけではないけど、
最近ぐっと落ち着いて、すっかり小学生と間違えられるようになりました。
何度か脱皮を繰り返す虫のように、5才半のこの時期、明らかに何かが変わったきたMooです。
お泊り会 ←一夜あけた様子。