おかみブログ

2016年12月1日

命を引き継ぐ瞬間に寄り添う

石や・ころころ通信25号に掲載した、「職人気質・の道のプロに聞く 仕事へのこだわりと家族のつながりについて思うこと」より。
今回は「看取り士」の岡亜佐子さんにお話を伺いました。

看取り士とは、一般社団法人「日本看取り士会」が認定する民間資格。
ターミナル(回復の見込みがない段階)の人が最期のときを自分らしく迎えることをサポートする。
医療、介護、葬儀に関わる人が資格をとることが多いが、あくまでも「家族」の立場として終末期の人に寄り添う。

岡亜佐子さんは甲府市在住。
介護職員、終活カウンセラー。
4人の子供を育てながら、冠婚葬祭業をベースに幅広い業種の仕事を経験。
透析で通院入退院を繰り返していた父親を病院で看取ったことをきっかけに、終末期にある本人や家族をとりまく昨今の事情について深く考えるようになった。
看取り士派遣の要請に応じる一方、日本看取り士会主催「看取り学講座」での講演や看取りについて話し合う「カフェ・看取り~と」を開催。

―「看取り」とは岡さんにとって何ですか?
言葉として言えば、死ぬ瞬間を看ることですが、そこにはその人の魂を受け継ぐ、という大切な意味があるのです。
人は、出産と同じく、死ぬ瞬間にもものすごいエネルギーを発すると考えられています。
そんな大切なエネルギーならできれば家族に受け継がれてほしい。
「息子」という字は「最後の息を引き受ける子」なんですよ。
最後の瞬間、確実に誰かに命をバトンタッチすること、それが看取りです。
私も今までいろんな人に迷惑をかけて生きてきましたので、看取りの場には「いさせていただく」という気持ちで臨んでいます。
お世話になった社会への恩返し、ならぬ「恩送り」でしょうか。
 
―今、どうして看取り士が必要なのですか?
60年前の日本では、ほとんどの人が亡くなる場所は自宅でした。
それが高齢者の医療費無料の政策が打ち出された1970年代から医療機関で亡くなる人が在宅の人を上回りました。
医療機関に最期をまかせるのが当たり前になり、死と身近に触れる機会が激減してしまったんです。
一方、2025年には団塊の世代が一気に75才以上の後期高齢者になります。
病院や施設での受け入れができず、介護難民は10人に3人、という試算も。
身寄りのない高齢者の孤独死も増えるのでは、と危惧されています。
だからこそ家族の立場で寄り添い、望ましい形での「命のバトンタッチ」ができる人が必要なんです。
また、家族が死を遠ざけたりせずきちんと向き合えるようにサポートするのも看取り士の大切な役割です。
日本人がもともと持っている看取りの文化を呼び起こしたいです。
 
―死を考えるにあたって、何が大切ですか?
核家族化が進んで、高齢者が子どもや孫と一緒に暮らしてないケースが増えていますが、だからこそ「受援力」つまり援助を受ける勇気が大切だと思うんです。
東日本大震災以降「絆」という言葉がよくつかわれますが、これはもともと馬や牛のたずなのこと。転じて「しがらみ」「束縛」という意味もあります。
でもそれを排除してただ好き勝手にすることが本当の自由や幸せかどうか。
介護は親が命がけでする最後の子育て、とも言います。
「子どもに面倒をかけたくない」という遠慮で、子や孫が大切なものを受け継ぐチャンスを断ち切ってしまわないでほしい。
本人の決意と家族の覚悟をしっかり共有することが大切だと思います。
看取りは良いことを積み重ねてきたエネルギーを渡す場面。
死は命日でもあり、再誕生でもあるのです。
 
photo20170303-2

photo20170303-1

2015年6月26日

北野天神社 菅公一千百年

小淵沢にある北野天神社が今年「菅公一千百年」にあたるとされ、記念碑を建てました。
竣工を記念し、昨日は盛大な神事が執り行われました。


 

 
小淵沢北野天神社(旧郷社壱之宮)設立一千百年とは。
西暦915年(延喜十五年)、字天神森に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀り「郷社壱之宮」が設立されたことに、由来しているようです。
それ以前より、菅原道真没後世の中が荒れたことで日本各地で道真公を祀る天神社ができてきており、
郷社壱之宮もその流れで天神社としてあったものとされます。
その後西暦987年(永延元年)、京都北野天満宮から正式に菅原道真の神霊を勧請し、「北野天神社」ができました。
 
北野天神社のある小淵沢久保地区には古いお神楽が伝承されていて、
毎年10月第一日曜日の「秋祭」で舞われています。
 
今回の記念事業を機に、学問の神様として入園入学入試などの折に、いっそう町民のみなさんに参拝してほしいものです。
 
小淵沢久保区の区民は基本、全戸氏子となり、今回の碑石建立は氏子のみなさんの寄付によって建てさせていただきました。
氏子衆と関係者には、区より記念品として日章旗が配られました。
久保集落ではこれから祝日に各家で日の丸が掲げられた様子が見られるかもしれません。
日の丸を掲げる家が少なくなってきた現代、町の風物詩となりそうです。


 
山梨日日新聞さんと八ヶ岳ジャーナルさんが取材に来てくれました。


 
トチノキは町指定重要文化財。
とても樹形がよいです。
「モチモチの木」のようですね。

2015年6月24日

小淵沢小学校町たんけん

今年も来てくれました。
小淵沢小学校2年生、町たんけん。


 
今年は男子ばかり5人、ですがとてもまじめで人の話をよく聞く、いい子たちでした。


 
「石はたいせつなことばやおもいを、伝えたりのこしたりするのにぴったりなんですよ」とおはなしし、「大切なじぶんの名前」を彫る体験をしてもらいました。


 
彫る、と言っても実際にサンドブラストで彫るのは職人のおにいさんなのですが、その手前の、石にマスクゴムを貼るまでの作業を。こういう工程で彫る、というのを知ってもらえれば十分です。
石材切断用の大きな機械も見てもらいました。


   
それから大切なお墓のはなし。
思いをこめたい、伝えたいからお墓には石が使われるということ。
お墓はおじいちゃんおばあちゃんに会えるところであると同時に、自分のいまのきもちや将来のことを考えたりできる場所、というおはなしをしました。
  
5年目になる、小学生社会科見学受け入れ。
ほぼ同じようなことをやっていますが、毎年少しずつ反応が違ってとても面白いです。

2015年5月13日

富士見の宝・アララギ派の歌碑にふれる

ある有名な歌人の歌碑の版木を彫る、というお仕事の依頼がありました。
 
世の中には歌碑や仏像の拓本をとる、というたしなみがありますが、
やり方をしらずに石に直接墨を塗りつける輩もいるそうで、
基本、有名な歌碑の拓本は石からとってはいけないことになっています。
その代り、レプリカとして木の彫刻(版木)が存在し、そこから拓本をとり、
例えば床の間に飾ったりするんだそうです。
 
依頼のあった歌碑の版木は、アララギ派の歌人島木赤彦の短歌。
アララギ派は正岡子規の流れをくむ伊藤左千夫が、信州に立ち寄った際出会った島木赤彦と交流を深めて生まれたもの。
富士見町の油屋旅館でしばしば短歌会が催され、そこから富士見の自然や暮らしを表すすぐれた歌が生まれました。
いわば、富士見はアララギ派誕生と発展の地でもあるのです。
 
富士見町図書館のある建物の2階にある「高原のミュージアム」には、アララギ派をはじめ富士見を愛した文豪の足跡が常設されています。


 
また、アララギ派の著名な歌人4人(伊藤左千夫、斉藤茂吉、島木赤彦、森山汀川)の歌碑が、富士見小学校の近くにある富士見公園に建てられています。
この富士見公園は伊藤左千夫の設計で、当時は山々を見渡す絶好のロケーションだったそう。
いまでは住宅が増えたり木が育ったりして葉のあるシーズンに山を望むことは難しいですが、四季折々の木々と歌人たちのどっしりとした石歌碑が立ち並ぶ空間は、訪れる人を穏やかな気持ちにさせてくれる憩いの場になっています。




  
版木の依頼主は、富士見在住の現在のアララギ会の方。
高原のミュージアムの資料室にはそれぞれの歌人の版木がいくつもありますが、赤彦のものが歪みが特にひどく、町からの予算もないことを憂いて、この方が個人として寄付してくださることになりました。
「赤彦先生の歌碑は茂吉先生の書、左千夫先生の歌碑は赤彦先生の書。こんな贅沢な合作は他では見られないんですよ。
富士見はすごい宝があるんだってことを、もっと知ってもらいたい」と熱く語られます。




 
ここも、私の中で新たなパワースポットになりそうです。

2015年5月6日

焼山峠の子授け地蔵尊

かねてより一度は訪れたいと思っていた子授け地蔵の場所へ、
子どもの日の今日、行くことにしました。
 
子どものない夫婦に子を授けるという言い伝えのあるお地蔵さまは各地にありますが、
うちの店によくお問い合わせのあるのは「焼山峠の子授け地蔵尊」。
焼山峠というのは、山梨県牧丘町(現・山梨市牧丘町)の林道を登ったところにあります。
今ではきれいに舗装されていて、森の中、快適なドライブをすることができます。

子授け地蔵尊のあるのは、県道206号と県道219号(クリスタルライン)の分岐点。
小楢山登山口、乙女高原入口でもあります。
広い駐車場があって、トイレも整備されています。

 
駐車場からすぐ近く、明るい木漏れ日のそそぐところに、たくさんのお地蔵様がお祀りしてあります。 
こちらが伝説の解説。牧丘町と牧丘町観光協会の協力で由緒碑が建てられています。

 
全国にこの種の言い伝えは多いですが、ここ牧丘のお地蔵様は特にご利益があるらしく、
年々増えているというのですから、驚きです。
 
このお地蔵様のことを教えてくれて、ウチの店にそのお礼のお地蔵様を買いに来てくれたのが、塩山に住むOさん。
初めは初孫・娘さんの長男くん誕生のお礼のために。
その後そのお礼で納めたお地蔵様を息子さん夫婦が持って帰り、拝んでいたところ、こちらもめでたく女の子を授かったとのこと。このご夫婦は結婚して十数年もお子さんがなかったのに、お地蔵様を連れてきてわずか数か月でご利益があったということなのです!
それもウチから連れて行ってくれたお地蔵様で。
ありがたい、うれしい限りですね。
 
我が家はもう子どもが3人いて十分幸せをいただいていますので(笑)
お地蔵様を持ち帰ることはせず、感謝の気持ちだけ伝えて手を合わせてきました。

 
乙女高原展望台。

  
琴川ダム。

 
クリスタルライン沿いの「栃地蔵」。大きなうろのある巨木の脇にお地蔵様と湧水。 

2015年3月22日

お墓参り写真

今日はお彼岸。あちこちの墓地の点検と撮影の一日を過ごしました。
暖かくてお墓参り日和。


 
たくさんの人が家族でお墓参りに来ていて、新しいお花と笑顔でいっぱいでした。




 
うちの子たちもお水をささげたりお花をあげたり、一生懸命です。


 
でも実はお供えのお菓子が食べたいから??

2015年3月18日

現場打ち合わせ写真

めったに撮る機会のない、自分の仕事中写真。
近くでウチの職人さんが別の工事をしてたので、撮ってもらいました。


 
お客様とお墓現場で打ち合わせしてるところ。
八ヶ岳を一望する墓地で、気持ちいいです。
お参りしやすいように、敷地全面に砂利を入れることになりました。
 
ここはひときわ八ヶ岳の眺望がよく、南アルプスも富士山も垣間見えます。
お墓でピクニックができそう、と思う人も多く、
本当に石のガーデンテーブルセットを入れてしまった人も。

2015年3月17日

実家から春の便り

実家から春の便り
明石海峡のいかなごの釘煮です。


 
EXパックで送られてきたけど、「いかなごのくぎ煮佃煮」専用ラベルが貼られていた。
さすが地元発!


 
いつもは雑穀米を食べてるんだけど、今日はぜいたくにほかほか白ご飯にのせてみました〜。
子供たち、いつもの倍くらいごはん食べてました。
 
いかなごといえば瀬戸内海の庶民の味の代表でしたが
年々値段が高くなっているとのこと。
収穫量が少ない、漁師さんが高齢化で減っている、船の燃料が高い などなど。
20年前は400円/kgだったものが、今では1000円前後、今年はいっとき2000円かも、なんて噂も流れました。
 
そんな高級品を・・・。
かあちゃんありがと。
 
しかし、母も信州出身なのに、こんなのが作れるようになるもんなんですね。
私もほうとう作るの得意です。
女はどこ行っても順応性高い。特に食に関しては。

2015年3月2日

シルバーのみなさんとけん玉

地域のお役目で福祉部の部長をさせていただいています。
福祉部とは、65才以上の方を対象とした支援事業で、
集いの場を提供したり、85才以上の一人暮らし世帯にお弁当を配ったりします。
 
昨年度から2年任期で勤めてきましたが、今月でやっと任務終了・・・!
ほっとする前に、最後の大仕事「はつらつシルバー」。
今日は年4回の集いのうち最後の集いの日です。
 
毎回12〜15人くらいのシルバーの方に集まっていただき、
ちょっとしたレクリエーションと昼食会(または茶話会)をします。
任期最後の今回は、けん玉あそび。
石屋の職人さんのつてで、なんと日本けん玉協会から5段を持つ指導員さんが来てくれることに!!(↓クリックすると拡大します)
 

 
ふだんはシルバーの方だけなのですが、
今回はこんないい機会を逃す手はない、と子供たちにも声を掛けました。
世代間の交流も図れて、一石二鳥!
 
まずけん玉のしくみを理解するために、手で持ってすぐ近くから玉を乗せてみたり、床に置いて固定される場所を探してみたり。
 

  
そんな基礎練習をしたあと、いよいよ入門技に挑戦です。
膝の屈伸をつかって、リズミカルにするのがポイント。
こんな動きを通して、脳と体への適度な刺激になり、活性化されるというわけです。
 

 
けん玉協会の指導員、吉村さん。
その場で級も認定してくれました。
今回の最高級取得者は3人!5級を取得しました。
真ん中のSさんは、お手玉もとても得意なんです。
動きが似ているんですね。


 
立ってけん玉をすることができない高齢の方も、
この機会にみんなに会えて話ができてよかった、と言ってくれました。
小淵のシルバーさんたち、ますます元気で活躍してほしいです。


 

 

2015年2月9日

石の旅 神戸編

広島の帰りに、実家明石に立ち寄りました。
子どもたちは両親があずかってくれるというので、私は一人で懐かしの神戸へ。
神戸でおひとりさま♪ 贅沢な半日です。
 
神戸旧居留地は世界のブランド店舗が集まるところ。
石造りの洋館の間を闊歩してみました。
 

 

 
エルメス大丸神戸店は三十八番館建物にあります。
ここは本場神戸御影町産の本御影石の建物。
みかげ石の名がここから出ているという、いまでは幻の石です。


 
震災で多くの古い建物が崩れましたが、石造りの建物は比較的残ったとか。
今では震災の爪痕はほとんど消えているように見えました。
ますます、元気になってほしい、神戸の街です。