おかみブログ

2010年12月30日

へその緒信仰

Kuhのおへそがとれました。
この、他人が見れば「こぎたない…」としか思えない黒いかさぶたのようなものが、
母体と胎児を結んでいるんですね。
だけどこれを大事にとっとく習慣があるのは日本人だけだとか。
へその緒信仰ですね。
日本人は実質的には意味のなくなった体の一部に象徴的な意味づけをするのが得意。
髪の毛をわら人形に入れて呪詛したり、
抜けた乳歯を屋根やら軒下に放り投げたり、
遺骨をことさらに大事にしたり分骨したり・・・
今回、お父さんがへその緒を切りました。
助産院の先生が「やってみろし」と勧めたこともあって。
直径1cmくらいのソーセージ状のそのホースは、思ったより弾力があって切り離すのに少々力が要ったとのこと。
「ほうずら。これだけ強い絆でお母さんと結ばれてるだよ。」
胎盤も、私は今回初めて見ました。
透き通った薄い膜に包まれた、フリスビーサイズのレバー。
けっこう存在感のある大きさの臓器でした。
グロテスク、といってもいいかも。
「きれいな胎盤だよ」と先生。
そういうことでほめられるのもなんだか奇妙な感覚ですが、うれしい気もしました。
切り取ったへその緒のホースもくっついてます。
これのおかげで、お母さんが食べたものが栄養素となって赤ちゃんに届けられ、
ぎりぎりまで赤ちゃんがおなかにいられ
血液型が違っても大丈夫なようになってるというわけか。
妊娠中最後のほうは重くて圧迫感が気持ち悪くて、同じ哺乳類でも有袋類はいいなぁ、などと愚痴ったものでしたが
これのおかげで、人間は高等生物になれたわけです。
ほとんどの哺乳類はへその緒も胎盤も出産後に親が食べます。
敵に跡を知られないように、処理するという意味もあったりするそうですが、
そもそもとても栄養のあるものだとか。
人間も、へその緒をせんじてのめば病気が治るとかいいますもんね。(日本人だけ?)
また、胎盤を素手で触っていると手がつるつるになるそうです。
コラーゲン効果?!
産院によっては産後の食事に味付けを施して食べさせてくれるところもあるみたいですが、
この助産院ではさすがにそれはありませんでした。
処分するためには医療廃棄物扱いで2500円がかかりますので、先生は一応「どうする?」と聞いてくれましたが、やっぱり食すのも持ち帰るのも遠慮しました。
生で自分のおなかに入ってた臓器が見れただけでも貴重な体験です。
産院でくれた桐の箱に、Kuhのへその緒を入れ、引き出しの奥にしまいました。
10ヶ月間、どうもありがとう。
へその緒1 へその緒2

2010年11月27日

お墓ディレクター

お世話になっている町内のお寺のパンフレットデザインのお手伝いをすることになり、
打ち合わせに行ってきました。
打ち合わせの途中、参拝者が御朱印張を持ってこられたということで、
方丈さんが墨書きするシーンに居合わせることができました。
Image182.jpg Image183.jpg
南無阿弥陀佛 おお、なんかありがたそう。
曹洞宗のお唱えの言葉は「南無釈迦牟尼佛」、と丸暗記していたけど、
「南無阿弥陀佛」も汎用性のある言葉だから使われるのかな…。
などと細かいことを考えるのも、今、当石屋では従業員一同「お墓ディレクター」試験に向けて勉強中だから。
「お墓ディレクター」とは石材産業協会が認定している資格で、宗教・埋葬・石材・土木工事などに関する幅広い知識が要されるものです。
1級と2級があり、1級は実務経験7年以上の2級保持者、という条件がありますが、
2級はとりあえずその準備段階のようなもの。
夫は2年前に1級までとりまして、協会のホームページにも名前が公表されています。
今回は当店従業員4人(残りみんな)が2級に挑戦します。
私も受けるつもりでいたのですが、試験日が来年1月の出産後1か月。
勉強期間や東京まで受験しに行くことを考えると、今年は無理しなくてもいいか、と見送ることにしちゃいました。
でも、過去問を解いていると、なかなかおもしろい。
<正誤問題より>
クイズと思って解いてみてください。
・イスラム教では「土葬は神を冒涜する」という考えがあるので火葬にします。
・縄文時代の代表的な遺跡として奈良県の三内丸山遺跡があります。
・日本へ伝えられた仏教は漢訳された中国仏教です。
・行基は近畿を中心に四十九の寺を建てたといわれています。
・「小松石」「山崎石」は岩石分類で見ると花崗岩系になります。
・「ビシャンは眼の細かいのから順に荒いのをかけて石面を平らにします。
・「お墓を買う」ということは、墓地・霊園の経営主体との間で墓所とするための区画を利用する権利を取得すること、ならびに墓石業者との間で墓石等の埋葬用の施設の制作を依頼することをいいます。
当たり前のようにわかる問題と、{ん?」と考え込んでしまうものがありますが、
確かにひととおり何年か分の過去問を解いておけば大丈夫そう。
全員合格をめざして!

2010年10月18日

「最新」?お墓事情番組

今朝のNHKあさイチはズバリ!お墓の話でした。
前も書いたように、葬祭業に携わる者としてこの手の番組には神経をとがらせてしまいます。
今まであたりまえだった「日本人の常識」が、価値観の多様性とやらでどんどん薄れている世の中だから。
非常識を助長するような内容になってないかどうか、すごく気になってしまうわけです。
結論からいうと、今回の番組は比較的まともな内容でした。
これなら公共放送として流しても大丈夫かな。
まず、最近のお墓のお悩みベスト3をあげて、解決例の紹介や疑問点回答。
ベスト3とは「お墓が遠い」「跡継ぎがいない」「夫の墓に入りたくない」だそうです。
またこういうことに関連して具体的な質問が来ていて、答えるコーナーもあります。
「お墓は引越しできるのでしょうか」
「苗字が違っても同じ墓に入れるのでしょうか」など。
質問に対しての回答者は小谷みどりさん(第一生命経済研究所 主任研究員)。
いたってまともな回答を端的にしてくれ、安心できました。
とりわけ最後に、「法律ではこうなっているということを知ったうえで、それぞれの価値観宗教観に基づいて判断していくことが大切です」としめくくったのはウマイ。
また今回は、比較的年配の男性陣出演者がいい意味でブレーキをかけていました。
NHK解説委員柳澤さん「お墓がたとえ遠くてもそこにおまいりにいくことが大事」「お墓っていうのは家族の集まる場所」「守るのは子どもの使命」
石田純一さんは番組中一生懸命メモをとりながら、お墓を守っていくことの大切さを折にふれて訴えていました。
「お葬式事情」のときもゲストだった山口もえちゃん。前回は雰囲気で家族葬ってなんとなくよさそう、的なノリでひやひやしましたが、今回は「夫の墓に入るのが当たり前だと思ってました。他の選択肢があるなんてしらなかった」と優等生的な答えで感心。
「跡継ぎがいない」解決例として合葬式のお墓を紹介する程度でとどめたのもよかった。
さらに「子どもに心配をかけたくないから」という理由でこの埋葬を選ぶのは違う、
子どもを信頼せずつながりを断ち切る行為になりかねない、そんなふうに柳澤さんもしっかりブレーキコメントしているのはさすがでした。
こういう番組ではとかく散骨だの樹木葬だのを安易に取り上げるケースも最近では目立つけど、今回はなかった。
「たぶんあんまり感心しない例だと小谷さんが助言したんじゃないかな」と夫。
散骨も樹木葬も、遺骨の処理の話であって心のよりどころとしてのお墓とは直接関係ないのですが、
他の番組ではよくいっしょくたに取り上げられます。
市町村によっては節度を守る分には黙認、とされてきていますが、実際は法律上かなりのグレーゾーン。
お骨を海や山に撒く、埋めたあたりに木を植える。なんとなくよさそう、と思ってしまう人が多い反面、自治体や住民の心情が考慮されない点や、こういう処理をしたあと遺族がとても後悔する例も多いことは意外に紹介されていません。
葬式の回のとき、ブログに書いたようなことを「あさイチ」番組宛にメールしたのが、もしかして反映されたのかしら。
しかし、番組タイトル「最新お墓事情」がなんか違う。
最新、どころか20年も前からある例や疑問点でしょう。
むしろそういう当たり前のことを疑問に思う人が増えてきたということなのでしょうか。

2010年8月23日

家族葬について

NHKのあさイチ、今日のテーマは「家族葬」でした。
家族やごく身近な知り合いだけで、故人をじっくりと送ることをめざす「家族葬」。
6割の人が希望するというこの葬送の形を、メリットデメリットをふまえて紹介するという内容でした。
誰もが迎える「死」。たいていの場合、一度は親しい人を「送る側」になることについて、きちんと考えてみることは重要なことです。
ただ、いつもこの手の番組は、ハラハラしながら見ているのが本音。
「心をこめる」という殺し文句の陰に、安易に「安さ」「簡便さ」「人間関係の希薄さ」を助長するような内容にならないかどうか。
もちろん、どんな番組でも、とりわけNHKですから、望む人が多い反面の問題点の指摘も忘れてはないのですが、
興味をもって見てる人ははなからこのテーマに共感するから見るのであって、自分の考えを曲げるつもりはあんまりないのではないでしょうか。
よっぽどデメリット部分を強調しすぎるくらいにしないと、危機感は伝わらない。
ゲストの一人が山口もえちゃんではちょっと弱い・・・。
ですから、今日はあえて、丸ごとは共感できない立場からのツッコミを。
(どうも、NHKモニターの癖が抜けないなぁ)
まずタイトルが危険。『格安で実現!私らしいお葬式』。
このタイトルで、まず葬儀屋に多額の金を払うのはバカバカシイという印象を植え付けてしまう。
金をかければいいってもんじゃないけど、かけないからいいもんでもないだろう。
「従来のお葬式」とは決して、葬儀屋に一切をまかせて自分は何も希望を言えない、というものではない。
本来、従来のお葬式とは、近所や檀家同士など、地域社会の中で行ってきたもの。
番組中でも紹介されている、「3日間戦争」と言われる雑務の煩雑さを、当家がするのはそもそも無理。
喪主はムードメーカーとしてその場にいるだけ、あとは葬儀委員長に任命された組内の会長さんなどがすべてを仕切る。
これは田舎ならまだ残っている風習ですが、都会ではそんなメンドウなことは皆無になり、結果葬儀屋が代行して行うというパターンが一般的になりつつある。
(田舎ですら、近年組内だけで葬儀をあげることは少なくなっています)
番組ではドラマ仕立てで家族葬の一例を紹介。このドラマがまた、センチメンタルなまでに主人公である喪主(故人の妻)に感情移入させる内容になっている。
祭壇、花は菊、戒名、お経…
ふだん馴染みのないものだから、お葬式だけそういうものに触れるのは抵抗がある、
「(葬儀屋)仏様は北枕が普通」←→「夫はいつもこちらを枕にしていましたから」と断る妻。
「お坊さんの手配を…」←→「意味もよくわからない、聞きなれないお経をあげてもらっても夫らしくない。戒名もいらない」
宗教の自由を約束された国家だから、どういうスタイルにしようともちろん自由。
でも、人間が精神と知恵を結集して培ってきた宗教観を、現代の「自由」という名の下の「無知」で片付けてしまってはあまりにもったいない。
お経や仏事の意味を少しでも知ろうとしたことがあれば、こんな言葉は出ないはず。
葬儀屋は専門家だけあって、仏事神事、風習慣習、道徳常識はよく勉強している。
この機会にそういうものに触れてみよう、勉強してみよう、というのも自分の身になるのに。
「親しい人だけで送る」
これ、実はある意味すごく排他的。
だいたい、「親しい人」をどの線で区切るつもりなのか。
普段会話している人と親族だけ(親族も何等親まで?)では、逆に今の社会に合わない。
おさななじみや昔の同僚、年賀状だけのつきあい…仕事や結婚の活動範囲が広くなって、ふだんつきあえないけどその故人をしのびたい人は多いはず。
私はまだ親しい人を送る機会が少ない年代だから、ちょっと顔見知り、あまり会えないけど懐かしい、尊敬している、というようなたぐいの人が多い。
その別れの場に行く機会を設けてもらえないのはかなりさびしい。(ある意味、失礼)
「家族葬」「密葬」の名のもとに、「来るな」と断られているようで。
ただ、これにはいい面もあることはあって、亡くなった直後の遺族のつらい顔を見るより、半年くらいして落ち着いてからのほうがこちらの気持ちも楽だったりする。
平服で訪問し、ゆっくり思い出話をできる場合もあるから。
少人数葬儀を選んだ家は、そういう風にバラバラと訪問客を受け入れるのをヨシとする覚悟くらいはもつべきだろう。
困るのは遠方の場合や、個人的にわざわざ訪問するほどの仲でもなかった場合。
お葬式で集まった者同士、しんみり話をすることも、大事にしたかったりするから。
葬儀は、冠婚葬祭の中でも最も短時間にやるべきことが山積みになる儀式。
大勢の人員総動員してやっと成し遂げられる総合事業なのだ。
地域社会のつながりが希薄になったことで生じた問題を、解決するのはお金や簡素化ではない。
極論。
ただでさえあわただしい葬儀で、ムリヤリ個性を出さなくたって、
あとでいくらでもその人らしい偲び方、残された者同士の心の交流はできると思う。
それでも葬儀という儀式はやっぱり必要。それは故人や遺族のためだけでなく、人生で彼らに関わったすべての人に対する礼儀として。
その上で、「その人らしさ」が出せればもちろん理想的。
こういう番組を流すことが、そもそもの問題である「つながりの崩壊」を黙認することにならなければよいが。

2010年7月10日

個人情報取り扱いの進化

Tazの1才半健診に行ったあと、母子手帳を会場に忘れてきてしまいました。
合併前は小淵沢町内の、徒歩でも行ける保健センターで行っていた健診ですが、
北杜市に合併してからは市内とはいっても東の端、高根の保健センターで行っています。
往復1時間弱。もし会場から市役所のほうに移管されていたとしたら、さらに南の端の須玉まで行かなくてはいけません。
めんどうだなぁ、でも悪いのは自分か。
ところが。
たまたま同じ保育園児のお母さんがいて、渡しましょうかと言ってくれ、預けたとのこと。
担当の保健師さん、
「母子手帳は個人情報ですからどうしようかとは思ったんですが、またこちらまで出かけていただくのもご面倒だと思って、そのお母さんのご好意に甘えてしまったんです。一応ちゃんと封筒に入れてテープで止めておきましたので、大丈夫かと思います。こちらも気がつかなくてすみませんでした。」
なんと。助かる上、安心丁寧な対応で、ありがたいです。
かつてMooの母子手帳交付のために小淵沢の保健センターへ行ったのは、6年ほど前のこと。
そのときは玄関先のカウンターで、事務所内にいる職員さんから
「ではこれに記入してください」
と、大学ノートとペンを渡されました。
記載事項は「名前」「住所」「電話番号」「初産婦か経産婦か」などだったと思います。
項目名がノートの1行目にかかれ、手書きで縦線を入れたところに順番に記入していきます。
つまり、前の人の記述をすべて見ることができるというわけ。
私の妊娠はそこで後の記載の人にばれ、その人がたまたまよく知ってる人だったため、井戸端会議のネタとなったのでした。
まあ狭い町内ですから記載される人は遠かれ近かれたいてい知ってる人ですし、それがなくても噂になるのは時間の問題だったと思います。
何にしてもおめでたいことだからいいじゃない、という考えも。
しかし、今ではちょっと考えられない行政処理なんじゃないでしょうか。
その後、北杜市の処理も改善(?)され、母子手帳をもらうときは、申請用紙を市健康増進課に直接提出する方法になりました。
その分、用紙には家族構成、勤め先、子育て環境や心配事など、事細かな記載事項があり、市が各家庭の把握をしっかりできるようになっています。
同時に保健師さんからたくさんのパンフレットと妊婦の心得や子育て環境へのアドバイスを受けます。
ノートに書いて袋一式渡されておわり、とはずいぶん変わったなぁ、と思ったものです。
ところで、今回Taz母子手帳の受け渡し役を買って出てくれたお母さんは、
Mooのとき、私の直後に母子手帳交付の受付をしてノートで私の名前を見た人の、身内の人でした。
なんだかこっ恥ずかしいけど、そんなことがきっかけでちょっと親しみを感じる妙なご縁です。

2010年6月28日

読経de胡麻豆腐

胡麻豆腐づくりに挑戦してみました。
思いついたのはNHKの料理コーナーで「飲む前に食べておくと悪酔いしない」と言っていたから。
胡麻のセサミンという物質がアルコールの分解を早めてくれるんですって。
先日ファミリーでの集まりがあり、貸し別荘を借り切って7家族計29人でのどんちゃん騒ぎ。
持ち込み自由で、おいしいワインもたんまり、季節外れではありますが鍋を囲んで大いに楽しんだのでした。
それに先立ち、きっとみんな飲んだくれるだろうからと、私なりに気遣うつもりで、胡麻豆腐のことを思い出し差し入れすることにしたわけです。
本来なら胡麻をするところから始めるべきなのでしょうが、そこは省略、練り胡麻を使った手抜き胡麻豆腐です。
超簡単ですが、それでも私のいつもの料理を考えるとすごいスローフードの部類。
インターネットのレシピサイトを活用し、練り胡麻と葛粉汁を鍋にかけ、かきまぜます。
ひたすらかきまぜ、ねっとりしてきたところをさらに練ります。
とにかく練る、練る、練る。
レシピには30分、と書いてありましたので、忠実に守って片時も鍋を離れず練り続けました。
なにしろほっとくと焦げてしまうので、絶えずかきまわしてなければいけないのです。
単純な手作業をひたすら繰り返しておりますと、だんだん「無」の境地に入り込んでいきます。
これはある意味ここちよい。
このゆっくりした継続的規則的な動きに合うBGMは・・・。
そう、「般若心経」です。
かんじーざいぼーさつ・・・・・むーむーみょうやくむーむーみょうじん・・・・。
繰り返し唱えます。
そしてもくぎょを打つかわりに木べらを動かす。
胡麻豆腐が精進料理の基本であるゆえんがわかった気がしました。
そのようにして仕上げた胡麻豆腐。
われながらスムージーでぷりぷりふわふわの上々の出来。
みんなにもウケがよく、鍋宴会の前菜としてはまずまずの一品だったのではないでしょうか。
お唱えの甲斐もあって、次の日二日酔いに悩まされた人はいませんでした、
・・・・・かどうかはあずかり知りませんが。

2010年5月10日

母の日のプレゼント

今日は母の日でした。
え?私が対象?ってまだ実感がないのですが、
保育園では母の日プレゼントの製作をさせてくれて、金曜日に持たせてくれています。
一生懸命作ったらしきMooですが、「今日、母の日なんだよねー」とニュースでそんな話題が出たときつぶやくと
「え?そうなの?」と、よくわかっていない様子。
なんで保育園でおかあさんにプレゼントを作ったのか不思議に思わなかったのでしょうか。
まだまだ日付・時間感覚が未発達で、のんびりしたもんです。
「サザエさん」でも今日は母の日ネタでした。
無欲なフネさんに、なにかプレゼントしたいと思いをめぐらすカツオとワカメ。
けなげにも波平さんに「こっそり聞き出して」と頼んでみたりするのですが、具体案はもらえず。
ふと、古い着物でもまだ着られると丁寧につくろうフネさんを見て
「新しい着物をプレゼントしよう!」と思い立ちます。
(フネさんは「いい着物は一生着られるんだよ」と言うのですが)
二人、町の呉服屋さんへ。
ショーウィンドウにあったステキな着物がおかあさんに似合いそうだと思うのですが
なんとお値段1,000,000円。(「えっと・・・ゼロがむっつ・・・!ひゃくまんえん!?」と仰天するワカメ。このあたりおにいちゃんより数字の読みが早いところは心憎い演出でした)
それでもあきらめずに呉服屋さんに「一番安い着物はありますか?」とたずねます。
(安っぽい着物なんかフネさんにあげちゃだめだよ!と思わずツッコミ入れたくなりましたが)
呉服屋さん、ニコニコしながら「はい、ありますよ」と10万円の仕立て上がりの着物を出してきてくれました。
子ども二人だけで専門の呉服屋に入ってきて、一番安くたって到底手がでるケタじゃないことはわかりそうなものだけど、ちゃんと一人前のお客として扱って商品を出してきてくれる。この呉服屋さんもいい人ですね。
しかたなくカツオとワカメはサザエに10万円貸してくれるよう頼みます。
が、「どうするの、そんな大金」とたしなめられたあげく、「お金を借りてまで高価な買い物をしても、かあさんはよろこばないと思うわよ」と諭されます。
サザエもこの二人をバカにするのではなく、ちゃんとわかるように説明してあげているところは、さすが。
結局広場に咲いていた野の花をいっぱい摘み、ブーケにしてあげました。
「こんなにたくさんの花束をもらったのは生まれて初めてだよ」と満面の笑みのフネさんでした。
いいお話です。
さて、Mooのプレゼントは。
母の似顔絵をティッシュボックスに貼り付けたレターラックです。
母の顔は丸くてぱっくり笑っていて、髪もセミロングで、確かに機嫌のいいときの私の顔に似ているかも。
メッセージは自分の好きな言葉を書いたということで、先生は特に文章例を出さなかったそうです。
他の子は「いつもありがとう」とか「おしごとがんばってね」とかそんな言葉があったそうですが
ウチの子は「おかあさんだいすき」。
これは最高の殺し文句ですね。
0509母の日

2010年4月14日

おくさんによろしく、のきもち

知り合いの先生(先生と呼ばれる職業の方なのでそう呼んでます)から今日も黒豆煮をいただきました。
Mooはこの「おまめ」が大好きです。
「マツモトせんせい、おまめくれるかなあ?」
先生の得意料理でもあるこのお豆を、Mooはいつも楽しみにしていて、
お会いするたびに私にこっそり耳打ちします。
先生も、子どもが正直にパクパク食べるのがうれしいと感じてくださっているようで、
よく持たせてくれます。
「せんせいにおてがみかく」と言い出しました。
最近はひらがなもほぼ書けるようになって、お友だちや先生にお手紙を書くのが楽しくてしょうがないらしいです。
「いいね、なんて書くの?」
「『まつもとせんせい、おまめありがとうございました』って」
そのままやんけ。
芸がないなーと思いつつも「そうかそうか、」と一応ほめてやりました。
すると手紙の文面らしき言葉が続いて出てきました。
「『まつもとせんせい、おまめありがとう、おくさんによろしくね』」
一瞬、どうしよう、と思いました。
先生は数年前に奥さんを亡くして、今はお一人なのです。
子どもの言葉とはいえ、無邪気に奥さんの話をされると返答に困るんじゃないか・・・。
「先生は奥さんいないんだよ」
奥さんの話は出さないほうが無難だと思って、さとすようにそうMooに言いました。
すると・・・
「しってるよ、しんじゃったんでしょ。いつもチーンするところのしゃしんのおくさんによろしくね、っていうんだよ」
「おくさんはおそらにいるんだよ。おそらっててんごくのことなんだよ。
ひいおじいちゃんもそこにいるの。
つちにも きにも おそらにも おやまにも いっぱいかみさまがいるんだよ
おそなえするところにもいるよ、ナムナムすればでてくるよ」
すごい。
こんなひょんなところから、神仏混合の壮大な宗教観の説法が聞けるとは思いませんでした。
死生観も、普段見えないけど心の中に存在する、というところまでちゃんと理解しているのです。
そういえばMooはバーバの家のお仏壇においしそうなお菓子がおいてあるといつのまにか食べていて、
「おじいちゃんにナムナムしたら、いいっていった」と言い訳をしています。
大人はつい「死」を遠ざけよう、触れないようにしよう、としがちだけど
子どもはさらりと受け止めて日常にとりいれているようで、はっとさせられるときがあります。
それだけリアルな死を経験していないからなのでしょうけど、
ある意味この感覚は大人を救ってくれます。
結局手紙にはこう書かれていました。
「まつもとせんせいおまめありがとうてんごくのおくさんによろしくね」
これなら先生も返答に困ることはないでしょう。
文末にハートマークまではいって、無事お礼状の完成です。
「天国じゃなくて、お浄土、って教えようか」。
お父さんからはダメだしが入りました。

2010年3月23日

ぽかぽか日和の墓参り

いい日和の、3連休初日となりました。
卒園式で在園児最高学年として卒園児を送り出したあと、
午後はお墓参りに行きました。
石屋の先代、おとうさんのお墓は自宅と石屋のちょうど中間あたり、
郷土資料館の隣にある部落墓地の一画にあります。
(地元の人はみんな「部落」といいますが、差別的な言葉ではなく、普通の「集落」とか「地区」とかいう意味です。)
1003墓参り2 1003墓参り3
ここは小淵沢町内でも大きな部落墓地。
本町地区と宮久保地区2つの地区の墓地と、「百八つの鐘」で知られる高福寺の霊園が集まって、かなりの墓数があります。
施工現場となることが最も多い場所でもあります。
お父さんはまだ正式なお墓を建ててあげられていません。
墓標と簡易の線香立と水鉢が置いてあるだけです。
どうしてもウチウチのことは後回しになってしまって。
13回忌も過ぎ、そろそろちゃんとしたものを建てたいところです。
でもいざ自分ちのを建てるとなると、ものすっごいこだわりを持ちそうで、
それはそれでやっぱり進まない・・・。
さて、いつになることやら。
MooとTaz、二人の孫たちがお墓参りをします。
1003墓参り
Mooは墓標の頭に何度も水をかけ、Tazはせっせと落ちている線香の残りを線香立に入れようとしています。
こういう所作はバーバのフリマネです。
正式には墓標に水はかけたりしないものだそうです。
でも何かしてやりたい、という気持ちからばーばはよく墓標に水をかけながら手で土をぬぐったりしています。
それを見ていたからか、Mooも言われなくても水をくんできて墓標のおそうじができました。
卒園式でいただいたおみやげのお菓子をお供えし、ナムナム。
気持ちのよい墓参となりました。

2010年2月11日

八ヶ岳エコソムリエ講座

八ヶ岳エコソムリエ講座を受けてきました。
八ヶ岳の地域資源を知って、この地域の魅力を伝える人材を育成する、というものだそうです。
ただ紹介するだけの「ガイド」ではなく、生活の中から得られる魅力を適宜引き出せる「ソムリエ」を目指すものです。
自然、景観、文化、歴史・・・。
首都圏から近く、観光地として大きな可能性を持っている八ヶ岳が、
単なるグルメや宿泊だけではなく、もっと多方面の複合的な魅力を、オリジナルでブレンドしたり掘り下げたりしながら、オンリーワンの本当に満足のいく「八ヶ岳暮らし」を提案する。
それが「エコソムリエ」に期待されることなのです。
注目すべきは、この講座が観光施設や不動産会社のスタッフ向けではなく(もちろんそういう人も来てかまいませんが)
広く一般の人を対象としていることです。
実際どういうところで広報していて、どれだけの人に認知されているのかは不明ですが、
今日受講している人を見ても、リタイア世代のご夫婦の姿が目立ちました。
それも9割以上が県外からの移住者。
つまり、受けるひとにとっては生涯学習の一環だし、
そういう人に学んでもらって資格をとってもらうことで、商売抜きにした、本当の意味での「生活知」を、これから八ヶ岳に来る人に伝えられるというわけです。
以前にプレ講習会を行ったことがあるそうですが、
大々的には今回が第1回目。
10日の座学と11日のフィールドの2段階になりますが、
私は11日は出席できないので10日の分だけに出席しました。
今日の講義ははじめの言葉+3単位。
はじめに「NPO八ヶ岳南麓景観を考える会」の桑田さんが、八ヶ岳の里山景観のすばらしさと保全のこころみについてお話されました。
山があり、田園があり、民家があり、すばらしい景観なのに、無粋な道路標識や真っ白なガードレール、スチール看板や新建材の倉庫なども混在していることが残念、とのこと。
その比較例として、某石屋さんの前の道路と長野県の農道から見た田園風景の写真をスクリーンにうつしてくれました。
エコソムリエ1
前者は道路標識が多すぎ、店看板が目立ちすぎ、信号も電柱もごちゃごちゃしている絵。
後者は標識もなく、ガードレールも茶色で、そのまま絵葉書になりそうな絵でした。
某石屋さんがウチではなかったことにとりあえずホっとしましたが、
そんな例として出されたこの石屋さんも迷惑な話だろうなー。
講座1つめは小海線の話。
ペンションチップトップの清水稔三さん。
小淵沢の大カーブの理由や、小淵沢から小諸までの各駅の歴史や名所を紹介してくれたり。
小海線限定鉄道ファンの私にとっては、わくわくするようなお話ばかりでした。
2つめはオオムラサキを通した自然観察。
オオムラサキの生態をパワフルに楽しくかたってくれたのは、虫好き少年がそのまんま大人になったような跡部治賢さん。
里山保全のための活動も報告してくれました。
最後は清里開拓の歴史。
元ペンションで、それ以前は銀行員だったという山田博幸さん。
自らが出会った、清里開拓の当時のお役人だった人との交流で得たお話を、とうとうと語ってくれました。
明日はフィールドワークとしてスノーシューと自然観察講座が行われます。
スノーシューはスピードを競うものではなく、雪の中のトレッキングなので、私向き。
絶対そのうちデビューしてみせようと思っています。
ということで、今日の出席で3単位。
スタンプカードが発行され、3つ、はんこをもらいました。
エコソムリエ2←こちらは2回目参加の方のもの。
今後の開催日や内容はまだ未定ですが、次もぜひ行って見よう。
「認定」とか「資格」というものに弱くて。
もちろん資格っていっても、趣味みたいなものですから、どうということはありませんが、
なんとなくネタになるでしょ。