おかみブログ

2010年1月4日

年末年始はどっぷりNHKモニター

10月から始まった半年間のNHK番組モニター業務。
月に12本以上がノルマで、各モニターで400字以上を書くというのは、思った以上の労力です。
でもおかげでちゃんと番組を見るようになり、考えさせられたり思わぬ情報を得たりして楽しんでます。
年末年始は特別視聴の期間。
1年間まとめたニュースやNHKスペシャル、特番などを優先的に視聴することになっています。
特に紅白歌合戦と大河ドラマ初回は最優先で見るようにとのこと。
というわけで、バーバや義弟も交えた大晦日家族食事会の席で、ほとんどムリヤリ紅白をつけて視聴していました。
やっぱり「紅白」を見ながら大晦日に鍋やって、年越し蕎麦食べて、というすごし方は国民行事でしょ!
でも男の人は紅白見たがらないですね。
夫は映画を見たいといっていたし、年始に会った太鼓仲間も半分以上は格闘技など民放を見ていたみたい。
家でテレビをみなかった、という人も多いし。
確かにこれだけ歌謡曲を聞くツールがちまたにあふれていると、わざわざ長時間歌番組みないかも。
年々派手にはなってきたけど、おもしろさには欠けるのかもしれませんね。
対して大河ドラマ。
かっこいい。の一言。
3OPカメラによる深みのある映像美。
「白洲次郎」「坂の上の雲」など最近のNHKが特に力を入れているドラマに見られますが
まるで映画のようなスケール。
演出では、「ハゲタカ」で鬼気迫る斬新な映像演出を手がけた大友ディレクターが、いよいよ大河に侵出。
今までの大河のようなコテコテ感がなく、非常におしゃれな、かっこいいつくりになっています。
どんな歴史上の人物でもそうでしょうが、特に龍馬は多くの人が典型的な龍馬像を抱いている「超有名人」です。
その固定化された龍馬像の典型を冒されたくない、つまり「龍馬のこういうところが好き」という部分をお約束どおり刺激してくれることを望む一方、斬新な描かれ方も求めていて、その新鮮にまた喜ぶ、という矛盾のファン心理。
今回のドラマはその両方が満足できるつくりになっていたと思います。
うまく言えないから言ってることがよくわかりませんね。
見た人ならわかってくれるかな。
・・・またNHKのまわしもんになってしまいました。

2009年12月24日

うぐいすの声・・・

雇用保険でカバーしてくれる産休期間が明け、1才を過ぎたTazも慣らし保育期間を過ぎ、
いよいよ仕事再開モード・・・。
とはいっても当分フルタイムでは戻らず、雑誌編集の請負仕事と石屋の手伝いの二足わらじでのスタイルです。
9時過ぎに保育園の送りから帰ってきて、4時にはお迎え。
昼食や片づけをのぞくと正味5時間の労働時間。
締め切り前はそれではとても間に合わないので、深夜に集中したりすることもしばしば。
というわけで、2〜3週目はまったく余裕がない。
気が付いたら先週1週間のブログ更新が手付かずでした〜。
10日ほど前のネタですが、宅建主任者資格更新のための講習に行ったときのこと。
午後の部で、裁判事例に基づく講義があったのですが、
その弁護士の先生のコメントが最高でした。
都会のマンションで隣人が迷惑行為をして他の住人が出て行ってしまったことについて、大家は損害賠償を請求できるか、というような事例を話していたときのこと。
「やっぱりねー。人が多く住んでいればいろいろもめごともありますよ。
昔からね、こういう言葉があるんです」
といって紹介してくれたのが
うぐいすの 声を聞こうと思ったら 酒屋に三里 豆腐屋に五里
うぐいすの声が聞けるくらい静かでのんびりした生活を送れる場所は、酒屋に3里離れ、豆腐屋に行くに5里歩くような辺鄙なところだ、という意味だそうです。
つまり田舎暮らし。
利便性をとるか、心の豊かさをとるか。
究極の選択ですが、いいたとえですね。
こんな詩的なことばを、まさか主任者講習会で聞けるとは思いませんでした。
いや、いっぺんで目が覚めました!

2009年12月1日

シュトーレンの季節

あたたかい小春日和です。
これで12月?
12月といえばシュトーレン。
この季節あちこちのパン屋さんやお菓子屋さんでそのお店ならではのシュトーレンをみるのが楽しみです。
3年前は数軒のシュトーレンを買い比べ、実に楽しい思いをしました。
今年もすでに2軒のを買ってしまいました。
コーヒーといっしょにいただくと幸せ〜。
シュトーレンは生まれたばかりのキリストをイメージしているとのこと。
まぶされた粉砂糖はおくるみのイメージだそうです。
シュトーレン1 シュトーレン2
こちらは長坂のフェアリーさんのもの。
1600円、とシュトーレンにしては求めやすい価格で、軽い口当たり、かわいらしい甘みが特徴です。
甘ったるいのが苦手で、どっしりとしたタイプがお好きなら、小淵沢のセルクルさん。
パンと同様、酸味のきいた天然酵母の味がワインにもよくあいます。
シュトーレン3

2009年10月1日

信仰のもとで送る

今日、知り合いのご主人がなくなり、葬送式に行きました。
享年76歳。
奥様と2人のお子さん、それぞれのお孫さん、そしてご友人多数に見送られた、穏やかなキリスト教式の葬儀でした。
式はご夫婦でいつも通っていた教会で行われました。
娘さんが奏楽、ご友人が聖歌隊、遺族あいさつを息子さんが、それぞれ立派に勤められました。
そして奥様は穏やかな顔で、献花に来た列席者一人一人の手をとり、あいさつをされていました。
葬儀というものは、宗教色が出ることが多いものです。
最近は形式ばかりの仏式を敬遠し、無宗教で行ったりすることも出てきましたが、
仏式にしろ神式、キリスト教式にしろ、心のよりどころとして何かの教えに基づいて行われる葬儀というのは、とても気持ちが穏やかになるものです。
一人の人間の死、それはとても重くて、人間一人で受け止めきれるには大きすぎる出来事。
他の家族友人がいるから一人じゃない、ということもできますが、
神仏は関係者すべてを抱きかかえ、癒してくれる力があるのではないでしょうか。
そして、一番近しい者同士で同じ教えに帰依していることは、とても幸せなことだと思いました。
今日は私の好きな、シベリウスの「フィンランディア」を原曲とした「やすかれ、わがこころよ」の合唱もあり、その賛美歌のとおりやすらかな故人のお顔を拝見することもできました。
愛するものとの別れを受け止めるための、生前からの接し方について描いた絵本のレビューをしてみました。
むうた♪えほんの部屋

2009年7月19日

親子でブックスタート

Tazの7ヶ月健診で、市から絵本を2冊いただきました。
「ブックスタート」という運動だそうで、
十数種類の絵本から自分の好きなものを選んでいいようになってます。
ブックスタート
ウチは「おつきさまこんばんは」と「しろくまちゃんのほっとけーき」にしました。
どちらも色彩が鮮やかで、単純な顔の絵なので、じーっと見ています。
膝にのせて読んでやる日も近い。
おつきさまこんばんは しろくまちゃん
さて、我が家のリビングは絵本だらけ。
何しろお父さんも遠くのおばあちゃんも、何かっていうと絵本のプレゼント。
Mooが2才の頃からいままでに増えた本は80冊を超えました。
元からある本でお蔵入りになってるものもあるので、全部引っ張り出せば絵本図書館を開けるくらいたまってきました。
Mooに読み聞かせするだけではもったいない。
そんなことで、Tazがブックスタートしたのをきっかけに、私もブックレビューを書いてみることにしました。
別ブログを立ち上げ、本の読書感想文をかいてみます。
むうた♪えほんの部屋
うまく自分専用にカスタマイズしたいところですが、面倒なのでとりあえずこのデザイン等でアップしています。
当分はネタにこまらないです。
こちらのサイトもどうぞよろしく。

2009年3月14日

アラフォーだねぇ。

去年の流行語大賞になった「アラフォー」。
天海祐希さんのおかげで、一昔前とちがって40歳前後がすごく魅力的に思えるのでありがたいです。
社会人・妻・母・自由人・・・と女性の生き方に多様性が認められ、一人何役もこなしているのが当たり前の世代。
一方で、従来の家庭型でない女性は将来について漠然とした不安をかかえている世代でもあるそうです。
卒論で、もう一人の同じゼミの女友達とペアになり「女性の職業意識」について調べました。
あの頃は社会に出るってどんなものか全然わかっていなくて、ただ漠然とキャリアウーマンってかっこいいなぁと思っていたのでした。
先輩がたが卒業してどんな人生を送っているのか知りたくて、約20人くらいのOGさんにご協力いただき、インタビューしました。
インタビューって、今だから痛感しますが、こちらにも知識やキャパがないとできないものです。
とうていあの頃の私たちにまとめきれるシロモノではなく、ご協力くださった方々にひたすら申し訳ない出来でしかなかったのですが、あの時聞いたことはそれからずーっと意識の奥に残っています。
細かい話は覚えていないのですが、それぞれの世代の人たちから受ける対面の印象は鮮明です。
1年前から10年前に卒業した女性を対象にインタビューしました。
各年2人ずつくらい。
卒業後10年というと32歳くらいですから、今の私よりずっと若いのですが、当時はうんと遠い存在に思えました。
私たちは92年卒業組です。
『男女雇用機会均等法』が施行されたのが86年、当時より6年前のことです。
10年の年差の中で、先輩方の意識も86年を境に変わってきている気がしました。
86年以前の人は文系女子の就職といえば補助的な仕事が当たり前、大半の人はそれを自然に受け入れている。
86年以降の人は「一般職」か「総合職」かの選択をまず迫られ、「総合職」を選んだ人は半ば挑むようにキャリアを重ねていく。
数年上の、比較的身近な存在である86年以降卒の先輩たちの背中を見、
86年以前卒業の先輩たちのまなざしを受け、
卒論そのものは稚拙でしたが、のちのちの自分の意識に大きな影響を与えてくれた、調査期間でした。
そして今「アラフォー」と呼ばれている人たちは、まさにこの86年以降の人たちであるわけです。
法律ができても急には変らない企業や男性の体質に初めは果敢に挑戦しながら、次第にしたたかに要領を得る。
夫、子ども、自由、富、趣味、資格・・・いろんなコンテンツから好きなものをチョイスする。
チョイスの数だけ人生パターンが生まれるから、前の世代のようなお手本がなくて、
これでよかったのかナとバクゼンとした不安が残るのもこの世代。
でも後戻りはできない。いいんじゃないの、これで。
なんとかなるさー。とどこかお気楽なのもこの世代。
「アラフォーもアラサーもいい女が多いわ。努力してる人に限るけどね。
一昔前なら女は若けりゃいい、みたいなところあったけど。
それに反して男はアカンな〜。」
と今日の私の誕生日にメールをくれた友人のコトバ。
男は女ほど要領よくチョイスすべきコンテンツを増やせないでいるのでは??

2009年2月27日

葬祭関係・・「おくりびと」

「おくりびと」の話題でもちきりです。
昨日の「クローズアップ現代」で、映画を通して生死を考える、という解説がされていました。
納棺師によって美しく装束をつけられることによって、遺族は目の前に立ちはだかる悲しい死を客観的に見ることができる。
それは故人との生を静かに見つめなおす瞬間でもあり、自分の生を実感するときでもある。
納棺の儀式に限らず、葬祭全般、それを目的に営まれるものではないでしょうか。
ひとは「カタチ=形式」を必要とする生き物。
お墓は、生と死を見つめなおす「カタチ」の集大成であるともいえます。
人が亡くなり、残された人がその人を惜しむ。
感謝したり、懐かしがったり、時に怒りを思い出し、最後には笑い。
そうしていくことで、生きている人は故人との思い出に少しずつ区切りをつけながら自分の未来を歩んでいく。
お墓とはそういう場です。
お墓、といってもいろんな意味があります。
遺骨を埋葬するところ。
墓標を建てるところ。
信心をあらわすところ。
遺族が集まるところ。
これらの目的を最も分かりやすくひとつの形にしたものが、墓石です。
墓石を建てる仕事をしている私たちは、「おくりびと」のようにいろんな人生を垣間見させていただけます。
墓石店に来る人はたいてい一連の儀式を経て心の整理がついている場合が多いですから
映画のような生々しさはないけれど
やはり、時を経たなりの生と死、そして家族のつながりを教えられます。
墓石はモノではない。心のカタチなのです。

2008年11月13日

予定説に思う

今夜は満月です。
ルナパワーが炸裂するんだとか。
出産率も高くなるそうで。
プロテスタントの概念に「予定説」というがある。
自分が天国に行けるかどうかは、既に決められていることで、
生前の善行如何で左右されるものではない。
そんなこといったら、みんな虚無に陥るのではと思うけど、実はその逆で、
こんなにカミサマをしたって、善行をしている自分はきっと救われているはずだという解釈になるんだとか。
それで、その恩に報いるため、さらに善行に励む。
その善行の結果、お金がたまり、生活が豊かになるのは正しいこと。
・・というところから資本主義が発達したんだと。
有名な社会学者、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」って
そういうイミだったと思う。
大学に入って最初のゼミでたたきこまれた。
なんで今そんなことを思い出したのかな。
男の子か、女の子か。
もうそれは決まっていること。
いい子かな、
こんなに楽しみなのだからきっといい子に決まっている。
出産も「予定説」に似ている。

2008年9月3日

ひぐらしの森

9月に入りました。
秋の句会開催の日が近づいています。
前回は作品4句ともいい評価をしてもらえ、最高得点者の栄誉をいただいてしまったので
今回は逆に力が入ってしまいそう。
こういうときはいい句は出ないもんです。
おまけにブログ更新の頻度の少なさからもおわかりのとおり、最近筆が停まり気味。
執筆アレルギーとでもいいましょうか。
スランプだ。
そういうときに限って、原稿書きの仕事が重なって舞い込んでくる。
ありがたいのですが、さて、この状態をいかにして脱出できますか。
心を無にし、句会のお題を復唱します。
「蜩」。
まずこの漢字の読み方を知りませんでした。
ひぐらし、です。
夏の終わり、森の中で「カナカナカナカナ・・・・」と鳴きつづける、あのセミの一種。
なんとなく哀愁を帯びて、初秋の風を感じさせるものの代名詞ですが
私にとっては哀愁を通り越して焦燥感をおこさせるのです。
湿っぽい空気にひっきりなしに響く音。
いやでも耳をかたむけてしまう主張の強さ。
ああ、宿題まだやってない、みたいな。
どこか、わさわさと心をかき乱されるような感覚に陥いってしまうのは私だけでしょうか?
毎年8月3日に行われる八ケ岳薪能でも、のっけからひぐらしが大合唱しています。
整然としたアカマツ林に響くその声は、まさに高原の早い秋を象徴しているのですが。
これを落ち着いた心で聞けるようにならない限り、仕事の束縛からは抜け出せないのかな・・・。
どうも、いつになっても落ち着きがない人間で、困りモンです。
さて、この難題をどう詠むか。
・・・って考えてたら、また焦ってきた。
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2008年8月4日

夏の薪能

8月3日、恒例の身曾岐神社での薪能に、今年も行ってきました。
薪能1
お能に興味を持つようになったのは、八ケ岳に来てから。
発端は珈琲館翡翠(長坂町)のマスターが、能面打師だったことで、能面から入ったお能でした。
身曾岐神社のすばらしい能楽殿のほかにも、
大泉町に笛の一曽流の道場(?)があって、以前能楽ワークショップなども開催していたりして
八ケ岳ではお能に親しむ場にも恵まれています。
もともと和の雰囲気が好きなので、まだまだ知識不足ながらすぐハマりました。
着物なんぞ着て、ヒグラシの響くアカマツ林の中のお能見物。
なんとも粋な夏のイベントです。
なんだかんだ毎年行っていたのですが、今年は忙しかったり体調不安定だったりして一時あきらめかけていたところ、とあるルートからチケットをまわしていただけることになりました。
今日の番組は能2つとも「源氏物語」が原作。
ひとつは「葵上」という、大好きな作品です。
六条御息所の怨恨が葵上を呪うという内容で、
前半は静かに抑えた調子で、後半は怒り狂った般若の形相で
女の二面性や複雑さ、せつなさを描いたお話。
能の演技は形式的かつ比ゆ的で、観客の側に豊かな想像力が要されるのですが、
この演目はわりと動きや謡もハデで分かりやすく、情念が伝わってきます。
今年の観賞は自分が着物を着るのはあきらめましたが、
VIP席に近いせいか、お着物のご婦人もちらほらいらっしゃり、
涼しげな絽の着物にうなじもすっきりと、きゅっとアップにした後姿を拝ませていただいたりして♪
すてきですねぇ。
欧米の上流社会で、オペラに行くときの雰囲気ってこんな感じなのでは。
社交界ってやつですね。
もちろんそんな風習は今の日本にはほとんどみられないので、今日のお能だってカジュアルスタイルで来ている人がほとんどなのですが、
ちょっとこういう風に身支度して、お連れの方にも少々の礼節と緊張感を持ちながら
上質な芸術に触れるという場も貴重だと思いました。
薪能2 上演前の神事
娘が中学生になったら、こんな「社交界デビュー」をさせてみたいものです。
お着物きせてやって、事前にその日の番組を予習させて、立ち居振る舞いも優雅に清楚に。
いかにも娘を持つ母らしい夢じゃあありません?
おっと、その前に自分のほうを磨いとかなきゃ。