おかみブログ

2007年10月18日

ライスショック

NHKスペシャル「あなたの主食は誰が作る」を見ました。
内容はNHKのホームページを↓
第1回「世界がコシヒカリを作り始めた」
第2回「危機に立つコメ産地」
要する外国からコシヒカリが逆輸入されてきて、国産のコメは価格競争に負けそう。日本経済は上がらないから消費者は安いコメに殺到する。
生産者は作っても利益にならないどころか赤がでるありさま。
ということを危機感たっぷりに伝えていました。
危機感だけあおって、識者のインタビューと現場の声を交えるにとどまり、最後は「消費者自身が考えていかなくてはいけない」というまとめ。結局結論や具体的提案はできないわけです。
食糧は買うものという発想がある限り、安い食料が外国から入ってきて、日本の農業は荒廃して、日本から農地がなくなる。
日本は工業製品売って、食糧は外国から買えばいい。そんな図式がどれほど危険か。
そういう私だって農業従事者じゃないのにいつもいろんな食材が安易に入手できる環境にあります。
八ケ岳に住んでいるからこそ、家庭菜園も身近になったけど、都会にいる頃はスーパーが近くて田舎よりこっちのほうが便利だと思っていました。
だからこそどこかで、国民規模の意識改革が必要なのではないでしょうか。
難しいこと考えずに一家に一つ、10坪家庭菜園奨励、とか。
それで自給率が直接上がるわけじゃないけど、少なくとも食べ物を自分で生み出す苦労と喜びが得られる。
特に子供たちにそんな経験をあたえるべき。
だってお百姓さんになりたい子供たちが少なすぎるんだもの。
そんなことを考えていたら居ても立ってもいられなくなって、ふと、ウチの前の畑が借りられたらなぁ、という希望がふつふつと湧いてきました。持ち主さんは売りたいと言っていたと人づてに聞きました。80坪くらいはありますが、最大でも幅4m程度しかない細長い土地なので機械を入れての農作や宅地には向かないと思われるのだけど・・・。
ここに、半分ヒマワリを植えて、あとの半分ズッキーニとミニトマトとブルーベリーを植えたい。
さらにはいつかコメも作ってみたい。
はたけ
家のすぐそばじゃないと続かないだろうから、とりあえずダメモトで聞いてみよう。
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2007年10月13日

池辺晋一郎「愉快な音楽室」に出演?!

明日、こぶちさわ音楽祭のビッグイベントのひとつ「池辺晋一郎・愉快な音楽室」コンサートが行われます。
なんとMCを担当することになった私。
実は池辺先生の音楽も、今回の演奏である合唱曲についてもほとんど知識がない。
かといってMCのプロでもない。
なんでー!まぁ一番は予算の関係でしょう。
でもせっかくいただいたお話、しかも入場料2000円の演奏と池辺先生のトークがタダで聞けるのですから悪いハナシではない。
太鼓の大先輩久保酒店のオヤジさんからの依頼でもあり、舎弟としてはお受けしないわけにいきません。
今日はゲネプロでした。
ゲネプロの前に池辺先生とお話する機会がありました。
ウワサには聞いていましたが今日もダジャレ連発。
「池辺先生の音楽は知らなくてもダジャレが得意なことは皆さん知っています。」という演出さんのいうとおりでした。
「アンコールの『里の秋』のあとはさーっとハケます」
こういうのがサラサラでてきます。
言葉の芸術とでもいうんでしょうか、頭が切れる人じゃないと浮かばないですね。
さだまさしさんとは「シャレ仲間」だそうで、俳句や短歌などのたしなみもあるくらいですから、なるほど日本語をあやつる芸術のひとつとしてそういう趣味の会があってもおかしくない、と妙に納得し、笑いと共に感動を覚えたのでした。
ともかく、明日、そのトークが思う存分聞けるわけです。
あいやいや、メインはもちろん音楽演奏ですが。
小淵沢エコーコーラス(混声合唱)、フォンティーヌ(女声合唱)、ベル・ヴェント(マンドリン)の演奏と池辺先生のハーモニーを心ゆくまでお楽しみください。
会場でおまちしてま^ー^す。
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2007年9月26日

稲穂を詠む

先日初めて俳句会に参加しました。
お題は「蛇穴に入る」と「秋季自由詠」
彼岸が過ぎると蛇が穴に入って冬眠準備に入るというシーンが秋の季語なのです。
これから運動会あり、コンサートあり、遠足あり・・・私にとってはとても穴に入って静かにするような季節ではなく、むしろ暑くて忙しい夏が終わり、山景色が美しくなるこれからのシーズンはこれでもかとばかりに外に出たい気分なのですなんせ、小淵沢移住3年目の秋に景色の美しさにハタと気づき、そこから私の真の田舎暮らしが始まったようなもんですから。
こういう往生際の悪いヒトのことを「穴まどい」といい、「蛇穴に入る」の題が出たら、代わりにこっちを使ってもいいそうです。
もう一つの「秋季自由詠」は何を詠もうか直前まで悩んだあげく、ええい、机上で(車中で)考えてても始まらんわい、と帰社の足をちょいとのばし、箕輪新町のかかし祭り会場へ。
メインのイベントは9月16日にあったのですが、かかしの展示は30日までやってます。
去年行った韮崎市円野の「平成かかしカーニバル」には規模は負けますが、池と稲穂と山すその間からぽっかりと見える富士山の情景は思わずため息がでます。
かかし1

かかし2

かかし3
夕暮れに案山子も拝む黄金富士
秋、前半ロスタイムへ。
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2007年8月9日

独り旅・青木村〜もうひとつの「風林火山」

信州青木村へ出張。
都会から移住した人を取材するという仕事が隔月で入りますが、今回はちょっと遠出となりました。
往路は佐久回りで。国道141号(佐久甲州街道)を北上、八ヶ岳の東肩を山越えしてまず佐久へ入ります。その後国道18号(北国街道)で上田市へ。松本方面への山越えルート・国道143号の途中にあるのが青木村です。
小県郡青木村。
少し前、「風林火山」で「小県(ちいさがた)」の地名がよく出てきました。小県を領地としていたのが真田氏。武田に攻められ一時は上州に逃げのびますが、真田の里に再び戻るため、あえて武田についた真田幸隆がクローズアップされています。演じるのは劇団「惑星ピスタチオ」時代より気になっていた佐々木蔵之介さん。長身でイケメン、それでいてかなりひょうきん。
役者さんと役がオーヴァーラップして、「小県」=佐々木さんの図式で、なんだかこの地域に壮大なドラマを期待してしまう、今回の出張でした。
まあ実際はもちろん劇的なことなど起こりません。
小県郡といっても、訪れたのは真田町ではなく青木村だし、現在は上田市にほど近い便利さを兼ね備えた、田舎暮らし初心者向き里山。
でも、この田園と、夫神岳(おがみだけ)・子檀嶺岳(こまゆみだけ)・十観山(じっかんざん)の青木三山は昔のまんまでしょう。
幸隆がかつての敵に加担してまでも取り戻したかった故郷・真田の里と情景が似ているとすれば、確かに平和で家族的な、代えがたい「ふるさと」そのものの原風景が残っていました。
小淵沢から3時間。
充分日帰りできるのですが、今回家族の協力も得られたので一泊することにしました。
青木村の山間部にある、飛鳥時代の開湯とされる田沢温泉へ。
女独り温泉旅、続きは次回。
青木村1 青木村2

青木村3 青木村4 青木村5

2007年6月25日

こいのぼり歌詞

俳句の会で「幟」のお題が出ましたが、「幟」といえばこいのぼり。
娘が保育園でこいのぼりの歌を覚えてきましたが、聞いたことのない歌詞を歌っています。
1番は
♪やねよりたかいこいのぼり・・・
近藤宮子という人の作詞で、これを知らない人はいないでしょう。
問題は2番。
♪ごがつのかぜにこいのぼり
めだまをちかちかひからせて
おびれをくるくるおどらせて
あかるいそらをおよいでる

知ってましたか??
これも近藤宮子さんの作詞なんでしょうか。
それにしては戦前に生まれた歌詞に似合わず擬音語が現代っぽい。
でもなかなかいい歌詞なので、気に入って、何度も歌わせてます。
ここで一句。
こいのぼり 子に教えられ 二番歌詞
・・・おそまつ。

2007年6月19日

俳句会に入門

知り合いに俳句会に誘っていただきました。
俳句…ガラにもないな、と尻込みしていましたが、改めて大家の句を読んでみると五七五の限られた言葉の中にものすごく広い世界が広がっています。(もちろんそうでない作もあるんでしょうが)
短いからこそ、読み手の想像力を働かせ、余韻が残る。
もともと言葉遊びから始まったものだそうですが、それほど身近だったということでしょう。
日本人の言葉に対する頭のよさと芸術性の高さが象徴される、実にウィットに富んだ文化だ!と今さらながら大感動。
私も言葉って好きですが、訓練してないとだらだら書きたい放題書いてしまう。
よし、せっかくのご縁だから訓練させてもらおう!
と言っても、今回は太鼓の練習と重なり、しょっぱなから欠席。
でも「投句だけして」といわれ、頭をひねってみました。
今やインターネット俳句会なんてのもたくさんあるように、文字データさえあれば成り立つ世界。
美しい書で花なんかに結べば雰囲気もでるのでしょうが(あ、それは平安時代の和歌かな)、良い句は体裁を選ばず。
活字でもネットでも伝えることができる、いわば互換性万能。
私も今回はメールで投句しました。
毎回、2つの季語のお題が出されます。
今回のお題は「幟(のぼり)」と「植田(うえた)」
5月頃の季語だそうです。
ウチの前には田んぼがあってもう苗も植わっていて、通りを挟んだ民家には先月まで大きな鯉のぼりが上がっていました。
家の前の景色をみながらしばしボーっと考えてみました。
こういうゆとりを持つことも俳句づくりがなければ普段はあまりないことです。
「幟」についてはその鯉のぼりではなく、通勤途中に毎日見かけるいちごの直売所のものを詠みました。いつもその前を通ると娘がいちごをすごい勢いでほおばっているのを思い浮かべます。
「植田」については、まだ水面が見える田んぼに苗がそよそよと揺れているのがきれいで、先日の快晴の日は富士山まで映っていてダイナミックでしたが、その横を散歩していたときに、娘がうれしがって靴を飛ばしてしまい、結局どこかへいってみつからなかったことがありました。
そういう思い出を五七五にまとめてみました。
はずかしいからここでは公表しません。
この句会ではまず名前を伏せて、出席者がめいめいどの句がいいと思ったかを選びます。
一番いい順に「天」「地」「人」などの評価をつけます。
他の人がどんな句を詠んだのかも知りたかったのですが、私は今回欠席だったのでまだ詳細は聞いていません。
私の「幟」の句も選んでくれた人が何人かいたようです。
でも「幟」と「いちご」は季重なりだったのではないかと心配。
「季重なり」というのは一つの句に季語が複数入っているもので、一般的にはタブーとされています。
しかも幟といちごは微妙に季節がずれている…。
季語って「夏」とか「冬」みたいに漠然と長い期間をあらわすものもあれば、数日間だけのごく短いものもあります。
この言葉がどのあたりの季節をあらわしているのかを知ることも、季節感のない現代では必要な知識かもしれません。
それはそれで、自分でも季語を作っていいんですってね。
例えば「ユーミン」が冬で、「チュ-ブ」が夏、とか。(某サイトのぱくりですが)
いいご趣味、になるといいなぁ。
植田

2007年6月13日

深夜のお買い物

今日は「ガイアの夜明け」で深夜ビジネスについて紹介していました。
深夜のテレビショッピングの番組が高視聴率で、高額商品が飛ぶように売れているとか。
インターネットショッピングサイトのアクセスは夜9時から右肩あがり、深夜0時から3時にピークを迎えるそうです。
つまり、買い物は深夜、自宅でする時代、ということです。
私もかなり夜更かししてしまうほうで、ブログの更新時間はいつも0時を過ぎていますし、確かにネットで買い物する場合の注文は夜ばかりです。
最近子供がキャラクターに興味を持ち始め、しかも欲求を抑えられない反抗期まっただなか、ということでスーパーに連れて行くと一大事です。
キャラクターの乗り物にただ乗りして、ほっとくと小半時も遊び続け、離れようとしません。
アンパンマンのジュースはほしがるわ、長靴やカサは試用したがるわ。
ということで買い物も生協の宅配が中心です。
もちろん商品が比較的安心ということもありますが、一番は買い物に日中行きたくないから。
ところが最近始めた某生協(班配達のみ対応、山梨県内で一番商品基準の厳しいもの)では、ネット注文は0時から朝7時までは受け付けないのです。
このご時世、そんなことが許されるのか?
これはつまり、「この生協からとる人は、生活スタイルもあらため、早寝早起きをこころがけましょう」というメッセージなのでしょうか。
それとも「顔の見えない関係は勧めません、ちゃんと注文票を班長に出して、地域のコミュニケーションをとってください」という意味か。
そうだとしたら、ある意味画期的。
その不便さがかえって商品価値をあげることになるのかもしれません。

2007年3月9日

「たらまい」のルーツを追え

昨日のハナシは山梨に来て久しい人、あるいは地元の人にとってはたいしておもしろくもない、当たり前のことでしたが、今日のお題は地元の人はほとんど知りませんでした。
和太鼓会のリーダーからこんな宿題を課されていました。打ち上げの宴会の席です。
「やよぶさん、『たらまい』って知ってる?」
名詞?動詞?形容詞?
リーダーは昔から自分のウチでは使っていたので甲州弁だと思い込んでいたようですが、地元でもけっこう知らない人が多いということに気づき、ギモンを持ち始めました。
宴会の席での料理を前にして「たらまいほして」という使い方。
「ほす」は「干す」つまり「片付ける」、「たらまいほして」で「遠慮しないで全部食べていっとくれ」という意味を表すそうです。
ということは「たらまい」は「料理」を差すということになりますが、なんでそんな言葉を使うのか、リーダーにもわからないとのこと。
「やよぶさん、ちょっと調べてみてよ」
リーダーはニヤニヤしながら言いました。
さて、ネットで甲州弁サイトを開き「たらまい」を探してみましたが、全く見当たりません。
白くておいしくて昔は手に入りにくいご馳走、ということで「鱈米」と当ててみましたがそんな造語も見つからず。
甲州弁ベタベタのド地元衆に聞いても「知らない」と冷たくあしらわれ。
どうやら甲州弁ではなさそうだというところまでたどりついたものの、なすすべもなく困っていたところ、意外なところからヒントが舞い降りてきました。
わが出身地明石で、2月末にいかなご漁が解禁になったとのこと。
春ですねぇ。
いかなごは稚魚4mm→新子3cm→成魚8cmと成長する浅海に生息する小魚で、明石海峡産は品質もよいと有名です。新子の頃が一番おいしく、よく出回り、生姜とざらめと醤油で甘辛く煮た「くぎ煮」は早春の明石の名物です。
明石の天然の鯛などは、なかなか庶民の口には普段のぼりませんが、このいかなごのくぎ煮はおかあちゃんの味として広く親しまれています。
・・・と前置きが長くなりましたが、そのいかなごや明石の新鮮な魚を販売する「うおんたな(魚の棚)」という魚市場があります。
「棚」は「店」を意味します。
また市場を「台所」と表現することも。
もしかして「たな」がなまって「たら」になったのでは。
そういえば太鼓メンバーの別の人が言ってました。
「俺はたなまえ干してって聞いた気がするな」
で、「たなまえ」で調べたらステキなサイトを見つけました。
富山弁ゼミナール
ズバリ、「たなまえ」が「台所」の意味でつかってあります。
日本海側のお国言葉が何らかの流れで(おそらくはかなりローカルな個人的ルートで)この山梨に入り、少しアレンジされて「たらまい」になったのではないでしょうか。
そういえばかのリーダーの家は寿司屋。彼は仕入れの関係で日本海側のこの言葉と出会ったのかもしれません。
「台所の食材ごとぜーんぶ食べてっとくれ」
なんだか気前のいい表現で、嬉しくなってきますね。
さて、上記の考察、真相はいかに。

やまなし雑学

珈琲館翡翠にて。
よく行くコーヒー専門喫茶店です。
マスターが能面師で、ログハウスの店内に自作の面を飾ってあります。
ほとんど身内のようにしていただいてるくらい、自分では「常連中の常連」だと思っております。
いつもだいたいバカ話して帰ってくるのですが、今日はちょっと高尚な話(?)になりました。
客は私の他に、こちらもよく知っている設計士さん。
マスターは名古屋、設計士さんは島根県石見、私は明石の出身です。
設計士さんの親戚筋で「美元」という苗字があり、岐阜県高山の出身だそうですが、「よしもとさん」というそうです。
変わってるよねという話から山梨に来て出会った変わった苗字や地名をあげつらいました。
題して難解苗字読み方クイズ。
鴨足
これで「いちょう」と読むそうです。なるほど銀杏の葉って鴨の足の形に似てますね。
薬袋
山梨に住む人にはあまり珍しくないですが、「みない」と読みます。
言われが2種類あります。
ひとつは信玄の薬袋を拾った農民に対し、信玄が「この中身を見たか」と問うたところ「みない」と答えたのでその忠義を褒め以後「みない」と名乗るようにと命じたもの。
もうひとつはある長寿村では医者要らず薬要らずの元気な人々が多く「薬袋もみない」ところからそういう読み方になったというもの。
どちらも敢えて反対の意味を読み方に使ったところが山梨らしいです。
山梨のお国言葉で「○○しちょ」というのは「○○するな」の意で、これも情報戦略を得意とする信玄が周辺の敵国から自国の情報の漏洩を防ぐために普通は肯定命令形に聞こえる助動詞を反対の意味で使ったということだそうですから。
あとは各自リストアップ。
小倉
御勅使
大豆生田
上手
神戸
今ではだいたい読めるようになりましたが、来た当初は読めなかったなぁというものを3人でいろいろ出し合いました。
ちなみに上から「こごえ」「みだい」「まみょうだ」「わで」「ごうど」と読みます。「上手」を「わで」というのは北巨摩ではなくもっと甲府に近い方のようですが。
ところでこういう苗字や地名もあるそう。静岡にもそういう地名が現存します。
月見里
月が美しく見える里=山がないところ=「やまなし
これが山梨の語源だという説もあるそうです。
山梨なんか山ばっかりなのにどうして?と思いますが、富士山以外の山は山とは言わないそうで、甲斐の国の誇り高さが窺える気がします。
そういえば小淵沢のネパール料理屋さんのご主人も、出身地ネパールと風景が似ていると感じたこの八ヶ岳から見る南アルプスの山並みを「丘」と言っていました。確かにヒマラヤ山脈から見れば南アルプスなんかは丘かもしれませんが、そこに親しみもこもっていて逆に嬉しくなったものです。
難解地名・苗字、ルーツや意味を調べたりしていくと、その地域がもっと好きになれそうで楽しいですね。

2007年2月24日

棺の前で

学生時代の先輩の訃報を知り、横浜・長津田へ。
ホールが4つもある大きな斎場で「○○トメ」さんとか「○○△蔵」さんのお通夜会場と同じ並びで、39歳で逝った先輩の遺影が青白い照明の下できれいな花に囲まれていました。
遺影の目線は正面ではなく、少し斜め下あたりを見ている感じで、おそらく数年前の結婚式のワンシーンだろうと思われる和装姿で、自然な表情だけどいつもよりりりしく、写っていました。
同期同士の結婚なので、奥さんもよく知っていますが、焼香台からかなり離れた奥のほうにいらして、なんとなくこちらのほうに目を向けられましたが、表情はよくわかりませんでした。
この先輩とは上京してからも時折会う機会がありました。
学生の延長で、他の同期や先輩たちも含めて、まだまだバカ騒ぎしたりしていました。
身長も横幅もある体格で、ちょっとオタクな趣味の混じった博識家で、一緒にいるととても安心したほがらかな気分にさせてくれる人でした。
ドラえもんのような丸い手を口元にもっていきながら、ひょうきんに話をするしぐさがなんともかわいいものでした。
遺影の顔はあまり見たことのない表情でした。
そうか、ちゃんとしたシーンではこういう顔もするんや、ちょっとかっこいいな、と今日久しぶりに会った仲間と話しました。
もうお経も終わり、遺族の人たちは控え室に入っていました。
「デカいヤツやったのに、こんな狭いところに入れられて・・・」とある人がいいました。
焼香台の後に、花にまぎれるように棺がひっそりと置かれていました。
ここには先輩は居ない、という感じがしました。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません

魂がからっぽの棺の前で、私たちは先輩への思いをめぐらしました。
棺の中に先輩はいないけど、私たちの会話の中では生きていました。
こういう会話が上る場所が、先輩のいるところなんだろうと思いました。
棺や墓石自体には意味はないけど、その前にいることで、純粋に神聖な気持ちになれることもあるかもしれない。
今日集まった昔の仲間は10人。(告別式のほうはもっと来るはず)
「こういう集まり方は、きっかけがちゃうやろ。」と嘆きつつも、この集まり自体が確かに故人が存在した証でもあるのでした。