おかみブログ

2010年2月8日

七色の声

Mooはもうすぐ5才になります。
最近の会話の発達にはめざましいものが。
もともとおはなしが早かったのですが、もうフツーに茶のみ友だちのような会話をしているので
時々笑ってしまいます。
本が好きなのは、うれしい限りです。
「絵本の読み聞かせはなるべく想像力を養わせるために、ヘンに感情をいれないようにすること。
声色を使い分ける必要もありません」
何かの育児書か絵本指南書で、そんなことが書いてあったような気がします。
とにかく、ゆっくり、読むこと。 だそうです。
そんなこと言われても、寝る前に(本を読んでやるのはたいてい寝る前)そんな淡々と読んでたら
こっちが寝てしまう!
それにセリフ読みみたいにしたほうがおもしろいやん!
そんなわけで、私が読むときはかなり抑揚をつけて声色もかえて読んでいます。
どうもそんな性で。そうしたほうが自分が楽しいんです。
そんな読み方が子どもの情操教育に正しいかどうかはわかりませんが、
ウチの子は自分で読むときも劇的に読みます。
最近はひらがなカタカナ簡単な漢字の混ざった絵本を一人でどんどんページをめくっていってしまうのです。
先日「おたんじょうびに」と本をプレゼントしてくれた人がいました。
「いそっぷのおはなし」
イソップ寓話が9つ入っていて、どのお話も1〜4ページ完結。
絵が斬新で、お話が短くて、一回読むだけでほとんど内容を覚えてしまえるほど。
・・・と思ったら、まだ読んでない回まで目をとおして、私にあらすじを教えてくれます。
すごい。
しかも声色つかって。
斧を落としたきこりの前に現れる神様は、私の記憶では確か女神だったと思ったけど、
この絵本では巨人の男神。
まだ読んでやってないのに、勝手に神様のセリフは声を低くして、威厳をもった口調に変えてくれます。
ちゃんと自分の経験値の中で、役柄をつかみ、再現できてるというわけです。
これでもやっぱり絵本は感情入れて読まないほうがいいのでしょうか。
こんなことできちゃう子どもを見てるほうがおもしろいです。
『いそっぷのおはなし』のレビューはこちらもどうぞ。
むうた♪えほんの部屋 読みきり感覚の潔さ「いそっぷのおはなし」

2010年1月22日

森のようちえん「ピッコロ」が大賞!

娘が毎週通っている、森のようちえん「ピッコロ」の先生が
小学館『3、4、5歳児の保育』の「わたしの保育」という懸賞作文に応募し、
みごと大賞をとられました!
45回という歴史のある賞で、賞金の額をみても「こりゃすごい!」というものです。
3、4、5歳児の保育
いろんな先生が普段の保育生活の中で感じたことをつづっていて、
それぞれの先生が子どもと接するときの思いが伝わり、とても興味深い感動的な作文ばかりなのですが、
ピッコロの先生の文は大賞をとるだけあって、ぜんぜん別格です。
懸賞のタイトルは「わたしの保育」なので、他の先生は文字通り自分の保育について書いているのですが、
ピッコロの先生は子どもたちの成長記録が前面に出ているのです。
しかも「動物の死」というきわめて重いテーマ。
ある意味「動物」とか「死」とか出したら反則だろう(大賞ねらいすぎ?)という感もあるかもしれませんが、
実際その現場を直視して、子どもたちをしっかり観察した記録なので、
テーマ以上の重みと愛情を感じるのです。
今日は小学館の編集者の人2人が東京からわざわざピッコロに来られ、賞状と懸賞金が授与されました。
ピッコロ授与式
『3、4、5歳児の保育』の編集長さんのおはなし。
「ピッコロに着いたら、子どもたちが一人前に厚いつなぎを着て山から下りてきて、なんだか北欧の幼稚園みたいでかっこいいな、くらいに思っていましたが、よく見るとみんなどろんこで、よく動いて、相当イイ感じで遊んでるな、という印象を受けました。」
また、こんなお話も。
「今、特に若い保育士さんが仕事に対する夢や希望が持てなくて、子どもが好きというだけでかろうじて仕事を続けているような状態。彼らのストレスは保護者です。業務の6割は純粋な保育ではなく保護者対策。集団生活の中で子どもがケガしたとか、仲間はずれにされてるとか、そういうことを親からクレームつけられる前に防御することがあまりにも多い。そこへいくとピッコロは保護者と先生と子どものそれぞれの距離がとても近いと思います。」
確かに。
ピッコロは保護者が保育に関わる割合がとても高いです。
外での保育だからケガなどリスクは普通より数段高いし、
先生がリーダーシップをとるのではなく子どもたちにチームワーク作りは任せる保育だから、ひとりぼっちの子が出てくる可能性だって高い。
でもそういうことに親が介入し、保育士に責任を追及するようなことがまったくないのです。
もちろん最低限の保険には加入していて、ケガはある程度カバーできる体制にはなっていますが、
ちょっとくらいのキケンは覚悟で子どもを預けているというところ。
それがまったく問題なく「いいこと」なのかどうかの結論は出せませんが、全体の意識が違うことは確かです。
昨年はいろんなメディアでも取り上げられたピッコロ。
森の中での、子どもたちの自主性を見守る保育が、小さな渦から大きなうねりになっていく手ごたえを感じています。
『3、4、5歳児の保育』を購入したい方はこちらのサイトへどうぞ。
むうた♪えほんの部屋「森のようちえん「ピッコロ」が大賞!」

2010年1月13日

突発性発疹でした

「インフルエンザの反応も出ないし、おそらく突発性発疹でしょう。」
先日、Tazがお昼寝の後もいつまでもぐずぐず言ってると思ったら、どんどん熱が上がってきて、
とうとう40℃近い熱が4日間続きました。
連休中だったので普段の病院にかかれず、40分かけて甲府の小児救急センターにかけこみました。
そこで、鼻の穴に綿棒をつっこんで(いたそー)インフルエンザの検査をしましたが、反応でず。
インフルエンザはMooのついでに1回目の予防接種をうけてはいましたが、まれに予防接種が聞かないという例もないわけではないとのこと。
休日明けに行った白州診療所でも同じような検査をうけたのに、やっぱり反応でず。
苦しい思いしたのにねぇ。
昨日の午後、急に解熱し、今朝はいきなり35.6℃。(これは逆に低すぎのような気も・・。)
と思ったら胴体にレース状の発疹が現れました。
まちがいありません。
ウイルス性ではあるのですが、予防のしようはなく、
人から人へ確実にうつるというものでもないみたいです。
1才前後までにほぼすべての子どもがかかる病気だそうで、
高熱が出る以外は特に悪さをすることもなく、
比較的元気な場合や無症状の場合すらあるということ。
恐れるにたりない病気なんだそうです。
長女Mooのときはそんなものしたっけな、というくらい印象にないのですが、
お医者さんいわく、「ほぼ間違いなく済んでます」とのこと。
Tazの場合は典型的な症状で発病しました。
病気の経過も症状の画像も、いまはぜんぶインターネットで調べられるから便利な世の中です。
<Tazの場合の症状>
・急な発熱、40℃くらいまで
・機嫌が悪くいつまでもめそめそしている
・食欲が落ちる
・夜泣きが多い
・丸4日で急激に解熱
・解熱後レース状の発疹
・一日で発疹は消える
突発性発疹←発疹の様子 突発性発疹2←倦怠感。やる気ない〜
突発性発疹=治った後に診断が下る

2009年12月26日

ちょっともらいすぎでしょ〜

クリスマスも過ぎ、いよいよ年末・お正月モード。
大人は年末、ただただ忙しくて、ゆっくり味わっている暇もなかったけれど、
昔はクリスマスといえば、静かに音楽を聴いてすごしたものでした。
大学がミッション系だったこともあって、派手なロック調のポップスより、聖歌のほうが好きです。
初の就職先はクリスマス・年末商戦の忙しい企業、その後もなんだかこの時期は忙しく、
石屋にきてからはキリスト教のお祭り、と片付けられてきました。
さて、今年も結局イベントらしいイベントはなかった我が家。
それでもプレゼントくらいは子どもに用意してあげようと、気を配ります。
幸い、まだ「これがほしい」という具体的かつ強烈なリクエストはなく、
なんとなく普段ほしがってそうなものを与える感じになりました。
しかし、この時期はいろんな人が子どもにプレゼントしたがるときで。
結局集まったプレゼントはこんなになりました。
クリスマスプレゼント
ついでだからこの写真には私がもらったものも入れちゃいました。(炭グッズやボアスリッパ)
父親から絵本、母親から食器、ばーばから本やぬいぐるみ、保育園からおもちゃやおかし。
サンタさんはプーさんのスリッパをくれました。
どうやら、一応リクエストを事前調査しただけあって、これが一番のお気に入りらしいです。
集めてみるとあらためて圧巻で、楽しいです。
しかし・・・ちょっともらいすぎでしょ〜。
いかにたくさんいろんなものをもらったかがわかります。
大事に・・・してくれるといいなぁ。
クリスマスプレゼント2

2009年11月30日

ペンションで発表会

今日はMooのピアノの発表会でした。
ピアノ発表会
今年の2月から習い始めたばかりだけど、子供の上達は早いもので、あっという間に両手の2曲を暗譜で弾けるようになって、感無量です。
曲は誰もがよく知っているベートーベンの「よろこびのうた」ともう1曲(長めのやつ)。
子供用の簡単なアレンジですが、楽しく聞くことができました。
家では気が散って間違えずに弾けることのほうが少ないのに、今日の本番は完璧な演奏。
意外と本番に強いタイプなのかもしれません。
さて、親バカはこのくらいにして、発表会全体のこと。
とにかく会場がすてきでした。
ジャズライブやクラッシックのサロンコンサートをよく催している、ペンション月下草舎
専門のホールのような規模や機材はないけれど、吹き抜けの天井に音がよく響いて、周りから明るい自然光が入って、やさしい雰囲気のホールです。
角に本物の木(まさかまだ生きてるのかな?)が立っていて、屋内なのに森の雰囲気。
八ヶ岳の森は背の高い木が多く、スーッと上にのびる感じが特徴なのですが、
まさにそんな八ヶ岳の森さながらです。
プログラム構成もとても満足感の高いものでした。
子供たちの演奏がもちろんメインなのですが、それだけではありません。
スペシャルゲスト(今回はトランペット奏者でもある先生のご主人)と先生との共演。
個人的に管楽器のソロは大好きなので、目をハートにして聞き入りました。
間にお茶の休憩も入りました。
明るいダイニングで、甘いクッキーやケーキをいただきながら歓談。
先生のソロ演奏も6曲もありました。
アンドレ・ギャニオンや西村由紀江などのイージーリスニングで、会場の雰囲気にぴったり。
生徒の一人が伴奏するコーラス曲の演奏も。
まずお教室の卒業生でもある伴奏者の男の子のおねえさん(大学生)が独唱。
透明感のあるきれいな声でうっとり。
そして会場の人みんなで大合唱し、感動の渦の中終了となりました。
自分の子供の演奏だけでなく、ぜんぶが楽しい、すてきなサロンコンサートでした。

2009年10月15日

子供って上昇志向なんだ

Tazが階段をどんどん登っていってしまうので、困ります。
よじ登るようにして器用に、あっというまに2階に到達。
今のところ落ちたことはないけれど、危なっかしくてしょうがない。
「なぜ登るの」「そこに階段があるから」てなかんじで、
理由もなく、ただ登ることが楽しいみたいです。
階段のぼる
一方Moo。
ディズニーの「WALL-E」DVDを借りました。
お掃除ロボットウォーリーは人間が地球を捨てて出て行ってしまった後もたった一人地球に残ってせっせとゴミを片付けています。
「この子、ひとりしかいないの?」
「そう、ひとりぼっちだね」
「じゃあいちばんさいしょにうまれたんだ」
そうかーー!!
ひとりぼっちなのは、最後だからじゃなくて、最初だからなんだ。
すごい。なんて前向きな発想。
きょうだいの場合、下の子が生まれるまでは一人っ子だから、そこからの連想なんでしょうね。
ウォーリーが最後に残された子じゃなくて、史上初の子だったら・・・。
Mooの何気ない一言から、とてつもない時のながれの「始まり」と「終わり」を想像して、
ちょっとぞくぞくしました。
大人たちはいつから「後ろ向き」を知るようになったのでしょう。

2009年9月25日

公共の15帖和室を二人占め

武川方面へ取材を兼ねたドライブ。
武川米の里1
武川米の里2
武川米の里はいまや収穫の最盛期をむかえ、秋空にそびえる甲斐駒ケ岳を背景に、黄金色の稲穂がそよいでおります。
と、Tazが走行中急に泣き出した。
走っている最中はあんまり泣かないんだけど・・・どうしたのかな。
そういえばそろそろおなかがすく頃かも。
ミルクとおやつの用意はしてあるので、どこかで停まって授乳休憩にするか、とあたりをみまわしたところ、ちょうど武川教育福祉センターのそばを通りかかりました。
こういう公共施設を利用しない手はない。
今はたいてい赤ちゃん用の設備も完備してあるはずです。
とりあえず奥の図書室へ。
「すいません、ミルクとかあげるところは・・・?」
図書館員さん
「(Tazを見て)まあ♪では隣の和室をお使いください。」
どうやら、武川では特別にそういう部屋はないようでした。
その和室。
むかわ図書館
15帖に床の間までついて、窓は開放され、心地よいことこの上ない。
こんなぜいたくな授乳室で、ゆったりとミルクをあげ、パンをたべさせ、おむつも交換、ついでに私も深呼吸。
優雅なひとときを過ごせました。

2009年9月4日

謝るまでの時間

先日知り合いが子連れで遊びに来ました。
3才になったばかり、いたずらざかりの反抗期。
ダメといわれるのはうすうすわかってるけど、触ってみたい、遊んでみたい、自分のものは自分のもの、人のものも自分のもの。
このくらいの年になるとおとなしいか元気か、いろいろ性格の個性がはっきりしてくるものらしく、このおじょうちゃんは活発できかん気のほうでした。
Mooも手に負えなくてげんなりした時期が始まったのもこのくらいだったかなぁ、などと回想しておりました。
でも他人の子というのは意外と冷静に見れるもんで、Mooのときに頭ごなしに怒ってたことも、
成長の過程だったんだ、と気づかされます。
最近はMooも少し落ち着いてきたように感じていたところなので、
「あんなにガミガミ言わなければよかったな」などと反省したりすることしきり。
さて、この3才のおじょうちゃん、Mooとひとつ違うところがありました。
触ってほしくないものを触っちゃって倒したりしたときや、おしっこをもらしちゃったときなど
怒られそうになると即座に「ごめんなさい」と謝るのです。
ガチャン、「ごめんなさい」。そのすばやさ。
相当言いなれてるな、と思いました。
こんなにすぐに謝れる子もいるんだ。
よくしつけたな。
ピッコロ
Mooは4月から週1回の野外保育ピッコロに通っています。
はじめのうちは知ってるおともだちもいなくて、決まったカリキュラムもないピッコロ保育になじめず、「つまらない」としょんぼりしていたMoo。
夏休みがあけたころから、具体的な名前を出しておともだちの話をするようになり、ともだちから教えてもらった遊びを教えてくれたり、前の日からピッコロの準備をするなど、みるみる慣れてきた様子が伝わってきていたところでした。
迎えに行くと先生がその子のその日の様子を報告してくれます。
昨日のお迎えのとき。
「今日、Mooちゃんが・・・」と、先生はちょっと含みをもたせた口調で話し始めました。
丸太を電車に見立てて車掌さんごっこをしている1つ下の女の子がいて、
Mooがその子の前にどーんと座って自分が車掌きどりになったところ
その女の子が泣いてしまったとのこと。
大声でわんわん泣いて、ちょっとした騒ぎだったとか。
そういうときでもピッコロの先生は仲裁したりしません。
身の危険がない限り、様子を見守っているだけです。
そのときも「あー、泣いちゃったな」と思って見ていたそう。
不思議とピッコロの子どもたちはともだちにいやなことをされても先生にいいつけにきたりすることはなく、その女の子もひとしきり泣いて騒いでいるだけでした。
しばらくたって、そんな事件(?)もみんなが忘れて、お帰りの会も終わりにさしかかったとき。
おもむろにMooがさっき泣いていた女の子に「さっきはごめんね」と言ったそうです。
女の子もすぐに「いいよ」と言ってくれました。
先生もびっくりして、「どうして今ごめんね、って言ったの?」ときいたところ
「だって、さっきはすごくないてたから」。
つまり泣きじゃくってすごい状態だったから、声もかけられなかった、聞いてもらえそうになかったからというのです。
でもMooの中ではずっと「悪いことをした」という気持ちがあって、相手がおちついたところでちゃんと謝ることができたのでした。
相手ももう落ち着いていますから、すんなり許してもらえて、それから何もなかったようにまた一緒に遊びだしたそうです。
私もあとでMooに聞いてみました。
「今日○○ちゃんにごめんねしたんだって?どうして?」
「だって、○○ちゃんにでんしゃごっこさせてあげなかったから」
ちゃんと状況も理由も、するべきこともわかっていたのでした。
こういうシーンは急に訪れて、気をつけていないと見過ごしてしまいます。
子どもによって謝るまでの時間は違うけど、今回はちゃんと感じて理解して、納得したところで行動にうつすことを学べました。
大人は口を出したいところをちょっとがまんして見守っていれば
感動のシーンにも出会えるかもしれない。
「鳥肌がたちますよ。子どもってすごいなって。」
そう語る先生の、見守る保育術にも拍手を送りたい気持ちになりました。

2009年8月30日

ハサミがない!

またハサミがない。
大事に使ってきてよく切れる、私専用のはさみだ。
パソコンの脇のペン立ての中が定位置。
小淵沢にしては少々蒸し暑い風呂上りの夕方。
子どもらを風呂に入れ、自分の身支度も整えてあがってきたばかり。
選挙の電話がかかり、近所の用事で人が来て、
部屋にはおもちゃや書類や食べ残しが散乱している。
あああっ!そしてTazがコンセントを食べている!!
階段1段登っちゃったところをとりあえずおろして自分は洗面所へ。
Tazの布おむつについたうんちを洗おうとしたらせっけんがもうない。
次のせっけんをとり、いまや封を切ろうとしたら、定位置にハサミがない。
またかー!!
使ったら元にもどしてと言ってあるでしょう。
探してっ!
するとMoo、
「おかあさんもじぶんでさがしてね」
ちがーうう。「じぶんで」とはなんだ「じぶんで」とは。
持ち出した本人が探すもんだろう。
それにそりゃいつも私が言う口ぐせだい。
ぶつぶつ、いらいら、がみがみ。
とにかくはさみがないのでカッターで代用した。
でも定位置にないと気持ち悪いし、Tazが先にみつけてなめたらこまる。(Tazは失せもの探しの名人。狭いところにどんどん入ってなんでも口にいれてくれる)
なかば意地になって探す。
するとまた一言。
「Mooちゃんのハサミ、かしてあげようか?」
そーいう問題じゃなーーい。
なんだかばかばかしくなってきた。
娘は自分のせいという意識がない。
天然ボケの声で無邪気に親を気づかっている。
ハサミがない→おかーさんが困っている→貸してあげよう。
すばらしい発想の転換だ。しかもおもいやりにあふれている。
あった。おりがみを切った跡。関係ないおもちゃも同居している。
やっぱりMooだった。(もしかしたら私が置き忘れたかも、という方向もありえた)
ハサミは危ないから使ったらすぐかたづけようね、とエラそうに言い聞かせる。
Mooの返事。
「おかーさん、みつかってよかったね。」にこっ。
・・・ふぅ。
おなかすいたね、ごはんにしよっか。
はさみ

2009年7月16日

パン遠足

森のようちえんピッコロで、今日はパン遠足の日でした。
パン遠足とは、お金を渡され、歩いてパン屋さんまで行って、好きなパンを買うというもの。
前日(Mooの場合は週1回のピッコロ参加なので、前週)、子どもたちに先生からパン遠足をすることを伝えられます。
1)明日(来週)はパン遠足です。
2)100円玉を2つ持ってきてください。
3)それをお財布に入れてきてください。
これをちゃんと親に伝えられて、当日ちゃんと持ってこれるかどうか。
親は子どもから伝えられない限り、知らないフリをします。
言われなければお金もサイフも渡さない。
酷なようですが、コミュニケーション能力を養うためです。
ただ、実際は忘れて「できなかった」という思いを強く残すのはかわいそうなので、
いつまでも言うのを忘れていたりすると、ちょっとだけ促してやります。
「なにかおかあさんにつたえることない?」とか
「こんどのピッコロはどこに散歩に行くか決まってるの?」とか。
Mooは前週のピッコロで迎えに行ったとき、すぐに伝えられました。
先生が少し促してくれたのもあるけど。
2と3も正確にいえました。
なので、私も先週のうちにお金とお財布を用意してやり、Mooに渡しておきました。
あとは当日ちゃんと持っていけるか!
すぐにリュックに入れておけばいいのに、いつまでもそのへんにおきっぱなしにしてハラハラしていましたが、
出かける直前、ちゃんと思い出していました。ほっ。
そしてお店では「ハイジの白パン」をゲットしたもよう。
200円でどれだけ買えるかわからないので、1個で我慢できたようです。
忘れた場合はどうなるのか。
当然、大人が介入することはしません。
イジワルなようで、大人としては一番興味深く、子ども達にとってはスリリングな状況。
それでも今まで、忘れたり落としたりした子がパンを食べられなかったことはなかったそうです。
子どもたち同士でお金を貸したりパンを分けたり。
今回はどんなドラマがあったのでしょうか。
ちなみにMooはお金こそ忘れなかったものの、水筒を忘れてきました。
梅雨明けした甲州地方。ギラギラお日様の照りつける中の2kmの徒歩遠足ですから、水分補給は欠かせません。
私も送っていって家に帰ってから忘れたことに気づき、ちょっと心配していました。
ところが昼過ぎ迎えに行くと元気120%で走り回っています。
水筒がなくて大丈夫だったのか、喉が渇かなかったか聞くと、
お友達が空いてるペットボトルを貸してくれて、園舎のお水を入れていったとのことでした。
よかった。
だけどもうひとつ。
「きょうおしぼりもってったとおもったんだけどね、このケースだけでね、タオルがはいってなかったんだよ」
そう。それも自分で用意してもらおうと思ってたから。
「そしたらね、H子ちゃんが貸してくれたの」
よかったねぇ。
他のお友達の工夫やおもいやりはMooのほうの記憶にも刻まれることでしょう。
ピッコロ園舎から約2km離れたおいしい学校
おいしい学校