おかみブログ

2007年1月17日

ペコちゃんに罪はないのに

娘に予防接種を受けさせるためにホームドクターのところに行きました。
注射されても娘は泣かずにけろりとしていました。(鈍感??)
ごほうびに先生がペコちゃんのペロペロキャンディーをくれました。
ここ連日騒がれている不二家の不祥事。
これはもう、残念で仕方がありません。
「食の安全」うんぬんより、ペコちゃんに汚名を着せられたようで、かわいそうです。
店頭からペコちゃん商品が撤去され、人形も奥にしまわれてしまいました。
正直、以前から我が家では不二家製品を敢えて子供に買い与えるようなことはしていません。
お菓子は甘いし、賞味期限切れ以前にいろんな添加物が入っているので。
でも娘はペコちゃん大好きです。
ペコちゃんはこどもたちのアイドルであり、幸せの象徴なのです。
企業のブランド。本体はたいしたことなくても、このブランドがあるから人は満足度があがり、企業は唯一無二の地位を手に入れる。
本体以上の価値観を与え、ともすれば文化や歴史さえも築き上げる。
現横浜市長の中田宏さんが、米産牛肉解禁で吉野家牛丼が復活したときに、「僕は吉野家を毎日食べてた国会議員でしたからね」と嬉しそうに話していました。
これだって、単に中田さんが牛丼が好きというだけの意味では当然ないですよね。
吉野家=庶民の好物という一種のブランドを利用して、海運が主産業の横浜市民に、自分が庶民に近い存在だということをアピールしたかったんでしょう。
子供に夢を与えるキャラクターの存在の大きさを、その企業の人たちはどこまで理解できてるでしょう。
社長から工場の一作業員まで、自社キャラクターは自分の子供だという意識があるでしょうか。
今回、不二家はマスコミの前で謝る前に、まずキャラクターたちに謝ってほしかったです。
と、思わず熱くなってしまうのも、私たち夫婦が新卒入社で某キャラクター会社にいたからかもしれません。
くだんのペロペロキャンディーは飴だと教えず娘に与えました。
娘はPPに印刷されたペコちゃんに話しかけながら、飴は食べずに喜んで遊んでいます。
富士見のAコープや、国道141号沿い韮崎の不二家ショップはどうなっているのかなあ。
ペコちゃんだけでもいてくれるといいなあ。

2007年1月13日

おっばけやしきー!

我が家には名前がついています。
「サツキとメイの家」をもじって私と娘の名前をつけたもの。
音的に似てるので、自画自賛して喜んでます。
最近実は中身もにているのでは、ということを発見しました。
なんと、「おっばけやしきー!」なのです。
赤目小僧
娘が天井を指差して「あっかんべー」と言うので何かと思ったら
おばけやしき1

実は木の節です。杉板を使っていて、大きいのも小さいのも無数に節の模様があります。
壁から手が
お風呂の壁に手が・・・!
おばけやしき2

十和田石を貼った壁に手を押し付けて「かーか(お母さん)ぱー」「MOOちゃんぱー」「おとうさんぱー」
と喜んでいます。

ナゾのラップ音
「ぴしっ、ぱちっ」冬になると奇怪な音が前触れなく家を襲います。
「なんのおとー?おとーしゃん、ぷーしたでしょ」
部屋が乾燥して無垢の木の梁などが割れる音です。

2007年1月7日

我が家も安心、火の用心

3連休中日。今日は北杜市で一斉に2つのビッグイベントが行われました。
成人式と消防出初式。
昨日からの吹雪がまだ続き、荒れ荒れのお天気の中、それぞれに晴れ着を着た青年たちが雪道を闊歩することとなりました。
消防団は体を張って地域の安全を守ってくれる、ありがたい存在。
町のボランティアの青年たちが火消しにあたります。
正月あけの出初式は一番の晴れ舞台です。
出初式の後は新築の家などを回って放水儀式をし、その家の火災からの安全を祈願してくれます。
我が家も今年は家を建てて初めてのお正月。
組の消防団長から電話があったのは暮れのことです。
「あのー、お宅新築なさいましたよね。ホースイにあがりましょうか。」
なんか遠慮がち。
でもこちらは「来た♪」という感じです。
わくわくして「ぜひお願いします」と即答しました。
そうすると相手は申し訳なさそうに、
「えっと、お礼として五千円いただくんですけど・・・」
最近は田舎暮らしを始めた都会人たちが、五千円払う意味がわからなくて(「どうせ、飲み代に使うんでしょ」という意識。)「ウチは結構です」なんてムゲに断るらしい。
なんで嫌がるんでしょうねぇ。正月の縁起物、わくわくするじゃあありませんか。
年末から早々と新札の五千円を熨斗袋に入れ、金粉入りのお酒3本セットまで準備して待ち構えました。(ごめんなさい、こちらはいただきものですが)
そして当日。
朝はちょっと晴れてたのに、昼前からびゅうびゅう吹雪。
この冬初めての本格的な積雪となった今日の一番すごい天気の時間に彼らは颯爽と来てくれました。
出初式 
↑「放水始め!」勢いよく屋根の上に放水します。
これで我が家の厄除け完了。パンパン。
消防団の皆さん、寒い中本当にご苦労さまでした。

2007年1月6日

江戸しぐさ継承考

正月明けは勤務先の社員が集まり、調布の深大寺にお参りにいくのが、仕事始めとなっています。
今年も行ってきました。
おみくじを引くと「大吉」!
さいさきがよいです。
いい気分で護摩焚き会場である元三大師堂へ。
護摩焚きの後のお坊様のお話が感動的でした。
江戸時代、民衆は相手を思いやる気持ちを尊重し、「粋に(生き生きと)」生活するための細かいルールを設けていました。
有名なのが
肩引き・・・狭い路地ですれ違うとき、お互いに肩を引いて道を譲り合うこと。
傘かしげ・・・同じように、お互いの傘を傾けて濡らさないように気を配ること。
うかつあやまり・・・混雑の中足を踏まれたときなど、踏まれたほうが先に謝ること。「こんなところに足をだしていてごめんなさい」
逆にタブーとして
刺し言葉・・・相手が一番触れて欲しくない痛い部分を突いて心にダメージを与えること。「(亭主に)ロクな稼ぎもないくせに」
江戸っ子は3代続いて初めて江戸っ子だそうです。
こういうルールを親から子、孫へ伝えることで本当に粋な江戸っ子になれるのだとか。
「継承」をとかく重荷に感じがちな現代日本人。
「子どもにお墓の心配までさせたくない」などのセリフがよく聞かれるようになりました。
でも、基本はこういうちょっとしたことだと思うのですけどね。
受け止めたあとで、自分が正しいと思うほうに微調整すれば、いいんじゃないかな。
・・・と感動と共に反省をしながら、深大寺温泉『ゆかり』で、黒いお湯につかってきました。
石浴室
『ゆかり』は床はウチと同じ十和田石、腰掛は黒御影を床に据え付けてありました。
↑注)これはウチの風呂です

2007年1月2日

おかみブログダイジェスト

あけましておめでとうございます。
と、ほんとは昨日書かなくてはいけない話題ですが、昨日は地域活動のため多忙につき、本日付のブログ更新をご理解ください。
今日、家事と育児の合間にゆっくり年賀状を拝見している次第です。
今年の年賀状にはさりげなく(?)このブログのことを宣伝してみました。
なので、もしかしたら昔の友人が検索して、たどりついてくれないかなー、とかすかな期待をよせつつ(あえてURLは書かなかった)、お義理でも訪ね当ててくれた殊勝な知り合いのためにも、このブログの振り返りと今後の抱負を書いてみたいと思います。
新春らしいでしょ。
まず自分で自分のブログのベスト10をやってみました。
お義理できてくれた初めての人は全部読んでられないと思うので、せめてこの10話だけ見てください。
言いたいことはなんとなくわかるハズ。(それでも多いか・・・)
「癒しの空間・石の浴室」
「木を育てる文化」
「包丁余話」
「お田植え」
「おかえりなさい」
「重ね煮にハマる」
「作家モノがほしい」
「お墓が倒れてる」
「パン天国」
「木琴縁側完成!」
スタートしたのは昨年3月です。
ちょうど年女としての誕生日あたりです。
夫と一緒に立ち上げた石工房「石あるく」の広報的な役割を担わせようと始めました。
・・・が、回を重ねるごとに、ほとんど私個人のハナシをつづるものとなり、工房の宣伝にはあまり貢献しなくなってしまいました。
でもそのあたりからアクセスが増えてきたんですけどね、皮肉なことに。
それでもあまり個人的なことを書くのもなんとなく気はずかしいので、一応テーマを決めています。
「石」石の魅力、お墓や葬祭、石をとりいれた生活などについて
「山」八ヶ岳の魅力、おすすめのお店など
「子」初めての育児奮闘記、日本の子育て環境について
「家」自然素材と伝統工法で建てた家づくりについて
「食」ちょっとかじったマクロビオティックや栄養学、健康について
社会人になり、結婚し、仕事と家庭中心の生活が長く続くと、どうしても昔の知り合いとはお互い疎遠になってきます。
特に私なんぞ、小中高期間中転校・エリア外入学、大学、上京しての新卒入社、転職、結婚、田舎への移住、再就職、再転職・・・などなど、数年おきに主たる環境が大きく変わってきているので、会わなくなった知り合いもやむをえず増えてきてしまいました。
でも「年賀状だけのつきあい」って、そう否定的なモノでもないと思います。
お互い環境が変わって、家も離れ、そうそう会えないのはむしろ、当然。だけど年賀状だけでもやりとりしていることで、関係性がちゃんと持続するんですから。
そんな気持ちもあって、ここ数年開き直って「年賀状だけの付き合い」を楽しむことにしています。
いつか必ずあるはずの、再会の時を信じて。
今年の抱負。
今や定年後の選択肢の第一位(?)ともいわれる、人もうらやむ(?)田舎暮らしを実践しているにもかかわらず、畑もしてない、自家製料理も少ない、トレッキングも工芸もゆっくり読書もできない。晴耕雨読には程遠い消費生活の毎日ですが、これはこれで今の私にはやむをえないし、それでも楽しく暮らしています。
楽しい理由は私の周りで、いろんな価値観を持った人がそれぞれいろんな楽しみ方をしているのを間近で見られるから。
それから四季折々美しい山や田園の景色。
私の役割はたぶんそういうことを記して、言葉や写真で再現して、口コミで他の人(とりわけ子どもや家族に)伝えることなんでしょう。
「ご趣味は?」「ブログです」といえば一見暗いけど、その真意はこういうことです。
私がブログを始めようと思ったきっかけになった人の、とても内容の濃い田舎暮らしブログはさすがにすごいアクセス数ですが、私はとてもとてもそこまで及びません。
宣伝も下手なのでしょうし。
ただ、ブログってのは便利なもので、知り合いへの近況報告にもなるんですよね。
年賀ハガキ1枚では書ききれない今の暮らしぶりを、「これ見てね!」で済んじゃう。
親が一番喜んでくれているようです。
今年はもう少しだけ広めていければいいな。
そのためにネタ集めと文章力アップに努めます。
以上、抱負でした。

2006年12月30日

ここかな?七里岩の遠望

12/22のブログで、小説『風林火山』の記述で七里岩をどこから見ているかの謎を書きました。
コメントをいただいたpockyさんのご指摘もあり、実際に探しに行くことにしました。
勘助と由布姫が歩んだ道を逆に戻るように、国道20号上り方面へ向かいます。
小淵沢から釜無川沿いに、七里岩を左に見ながら。
韮崎平野に入った円野。「平成かかしカーニバル」で有名な水田地帯ですが、ここからは小説の記述のような雰囲気は見られませんでした。
七里岩の崖がすぐそばに見えて、迫力はあるのですが、「島のよう」には見えない。
加えて甘利山などの低い山が近すぎて、その向こうの鳳凰三山は見えません。
七里岩遠望1 七里岩遠望2

ということで、どんどん遠くへズームアウト。
pockyさんご指摘の塩川大橋まで来ました。
七里岩遠望3

これですね!おそらく。
「その向こうは・・・」と表現されてる鳳凰三山の見える方向については今だクエスチョンは残りますが、なんといっても小説の雰囲気にぴったりのポイントです。
さすが、pockyさん。ありがとうございました。
たかが小説だから、実際の舞台を探しても無意味といえば無意味だけど、これでちょっとすっきりしました。

2006年12月29日

お山のほいくえん

今日は仕事も、娘の保育園も御用納めの日でした。
娘は先日の風邪が完治せず、微熱が続くので最後の日も保育園に行けませんでした。
が、まだお友達と会えなくて寂しがる年でもないので、本人は特に気にしてないようですが。
1才2ヶ月から保育園に入れて、この9ヶ月の間にめまぐるしい成長ぶりです。
風邪もよくもらってきましたが、それ以上にいろんな楽しいことを覚えてきました。
いくつもの手遊び唄をほぼ完璧に歌えるようになった最近は、「保育園、入れてよかったよね」とおばあちゃんと父親と3人、目を細める毎日です。
小淵沢西保育園は甲斐駒ケ岳のよく見える、里山にあります。
すぐ近くには自動車教習所、高校の野球部グラウンドがあり、「ぶーぶ」や「おにいちゃんたち」に声をかけながら通園します。
徒歩で10分。車で2分。こんなに便利でバチあたる。
乳児から2才代までの子どもが集まる「つくし」組はぜんぶで8人。
担当保育士はおばあちゃんと同じ世代の年配の先生と、20代前半の若い先生。
若い先生に歌を教えてもらい力技で遊んでもらい、おばあちゃん先生にやさしく抱っこしてもらい、愛情たっぷりに面倒みてもらってます。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞよろしく。
むほいくえん1

むほいくえん2

2006年12月26日

しあわせ?クリスマス企画〜ホームパーティの巻

クリスマスは行事めじろおし、の予定でした。
まず23日は例のラジオのお手伝いをした後、家族でノエルさんのケーキを囲んでディナー。
24日は勤め先の社長の家で、お呼ばれ。古民家を改装したすてきなおうちなのです。
25日はラジオ仲間でもあり、和太鼓仲間でもあるB&Bランプスロッジさんのクリスマス会にお呼ばれ。
つまり、ホームパーティ続き・・・のはずだったのです。
ところがまず娘、私とたてつづけに発熱と嘔吐で倒れ、3日ともキャンセルせざるを得なくなってしまいました。
今はやりのノロウィルスか??と疑われましたが、幸いそれではなく、単なる風邪のようですが。
チキンもケーキもワインも鍋も、ぜーんぶおあずけ。
買い込んであったこの4本の生鶏モモ肉はどーするんだ!!
ということで、ケロリと元気になった今日、悔しいので遅いクリスマスディナーを朝から作ってしまいました。
子供の頃ちょっとだけ住んでいたカナダで、覚えた料理。
車で何日も遠出するようなオートキャンプで、キッチン付きのモーテルに泊まるような時によくやりました。
丸ごとのチキンにくず野菜をたっぷりかぶせ、塩コショウをまぶしてオーブンでただ焼くこと数時間。
・・・だったと思います。子供の記憶なので定かじゃありませんが。
できあがった鶏の丸焼きを数名がむさぼるように食べる姿は、今から考えるとけっこうシュールなものです。
大胆(でおおざっぱ)な大陸ならでは、ですね。
でもシンプルに素材の旨みと野菜の甘みだけで食べるこの料理法は、案外八ヶ岳流とも通じるものがあるかもしれません。
今は鶏まるごとを料理するほど家族も多くないので、かわいく、4本のモモ肉で挑戦。
鶏にフォークで穴をあけ、味がしみこみやすいようにしておき、クレイジーソルトをぬりたくる。
セロリ、にんじん、たまねぎをみじん切りにし、まず鶏の下に敷き、上にこれでもかというほどかぶせる。
オリーブオイルをかける
これで準備完了。

鶏料理1

オーブンで焼くこと2時間。
中まで火が通り、焦げ目がついてきたらできあがり。

鶏料理2

2006年12月22日

風林火山の舞台を探せ!

来年の大河ドラマ「風林火山」の放送を間近にひかえ、八ヶ岳周辺は湧き立ってきております。
遅ればせながら井上靖の原作を読み始めました。
1巻だけの、大河ドラマの原作にしては短かいものですが、だから忙しい年末のさなかでも読み切れそうです。
ご存じの方も多いと思いますが、このお話は武田信玄の家臣・山本勘助が主人公で、信玄の側室由布姫の子勝頼を武田家の跡取りに仕立て上げる話。由布姫は諏訪出身で、勝頼は韮崎の新府に城を築くということで、いわゆるこのへん、八ヶ岳近辺が舞台の中心なのです。
物語中盤でこんな記述が出てきます。
ちょっと長いですが、八ヶ岳に詳しい方は読んでみてください。
半日近く釜無川の流れに沿って進んだが、一度、韮崎付近の広いかわらの一端で休息したことがあった。(中略)
「ここが甲斐の国中でも、一番眺めの美しいしかも要害の地でございます。稚児さまが将来お城をお造りになる時は、ここを選ぶのがよろしゅうございましょう。あの丘の上でございます。」
勘助の指さしたところは、見晴るかす平原の中に、島のように一つ取り残されている俗に七里岩と呼ばれている丘陵であった。
「釜無川と塩川の二つの流れが、遠くからあの丘を包んでおります。そして、あの向こうはめったに人の入ったことのない薬師、観音、地蔵の険しい山々が迫っております。一方は山、三方は平原でございます。あの丘の上に立てば、この広い平原はどこでも手に取るように見渡せます。(中略)あの丘は四方切り立ったように削がれ、容易によじ登ることはできませぬ」

確かに、七里岩は面白い丘です。
周りが山梨きっての水田地帯でまっ平らな平原なのに、ここだけボコンとそそりたっているのです。幅はせいぜい1km程度でしょうが、長さは信州蔦木から韮崎までの28kmに及び、高さは平均して200mくらいでしょうか。
オーストラリアのウルルみたいな形、といえば他地域の人にはイメージつきやすいかな。
さて、問題は小説の記述がどこから見た七里岩を描いているのか、です。
甲府から諏訪へ行く途中に通っている道といえば甲州街道(今の国道20号)。釜無川沿いに来た、と言ってるし。韮崎で七里岩を見上げる平原、といえばやはり円野のあたりかな。ただ、「あの向こう」と鳳凰三山を指して言ってますが、円野から見てるとすれば鳳凰三山は「七里岩の向こう」ではないと思うのですが・・・。明野のほうからだと七里岩の向こう(後ろ)に鳳凰三山がありますが。
それとも七里岩が島のように見える、というのはもっと遠くから見ているんでしょうか。たとえば今の航空高校あたりとか。
・・・わかりそうで、確信が持てないのが悔しいので、たぶんこのへんからみてるんだろうーなー、という地点の写真をこれから探しに行きたいと思います。
八ヶ岳に詳しい方、ご意見、ご推測、画像などお寄せください。
↓とりあえず新府付近、桃畑から見たたそがれの南アルプス
新府

2006年12月20日

木琴縁側完成!

田舎暮らしの醍醐味のひとつが、「なんでも自分でつくってみること」です。
けれどウチは夫婦とも雑用に追われて家事にまで手がまわらないことを理由に、いろんな「セルフビルド」をあきらめてきました。
そのひとつが縁側です。
自作の縁側で涼みながらバーベキュー、なんて夢を持っていたのに、気が付いたら夏も終わり・・・。
履き出し窓から地面までは50cmほどもあり、これでは日々ここからの出入りやちょっとお客さんが来たときの用足しが不便なので、早くつくりたいところ。
かといって、この程度の仕事を大工さんに頼むのもなんだかナー、と悩んでいたところ、作業をかって出てくれた人がいました。
リタイヤ後の田舎暮らしを謳歌するTAKEUCHIさん。
つい最近仲間の移住者の方たちと自宅のテラスをサンルームに改造したばかりです。
このサンルームがなかなかすごい。
釘を使わず、いわゆるウチのような伝統工法で建てたもので、薪ストーブの煙突まで設置し、窓は元のテラスについていた履き出し窓のガラスを利用して建具をそれにあわせてつくったもの。
ということで、ウチの縁側なんぞ、朝飯まえというわけ。
現場測量、打ち合わせ、図面作成、工作、そして設置とプロ並みの段取りの良さでつくってくれました。
縁側4 縁側1
縁側3

沓石は夫作の御影石。(これだけはやってよね、とせかした。)
端っこがちょうど石段のところにくるので、通行の邪魔にならないよう、形を工夫してくれました。
名づけて木琴。
これからいろんな人のお尻や足をのせて、役に立ってくれることでしょう。
セルフビルドを楽しむ代わりに、TAKEUCHIさんとのご縁に感謝することができました。